ヴィジュアライズ化の先に
皆さんは、どんなダンスが好きでしょう?
現代的なヒップホップダンスもあれば、ジャズやロック、ブレイクダンス、フリースタイル的なものもありますね。
中でも僕は、ビートに対する解釈としてどうリズムを刻むのか、を表現したヒップホップダンスを観ることが、好きなアーティストの関係で多いのですが(歌詞の解釈としてフロウを刻んだり、歌詞の時代のダンスをいれていくグループは特に好きです)、「ああ、歌詞やビートをこんな風に解釈して、自分の身体を使ってヴィジュアライズ化したのか」と考える楽しみがあります。
SKE48で、ダンスを観るのが楽しみなメンバーが何人かいますが、ダンスで曲の世界観を自分で創るという意味では、古畑奈和のダンスはやはり唯一無二のものだと思います。
文脈を読み取り、曲の世界を広げていくために身体を動かす。
それを一番感じるのは「10クローネとパン」です。
まずは、普通の振り付けの「10クローネとパン」を観てみましょう。
流石は、NMB48のセンターでこの曲のオリメンセンターの山本彩、素晴らしいダンスと表現ですね。「呼吸をする度、白い息」からの歌声とかたまりません。
これは、比較する相手…まちがえたんじゃ…オリメンのいないバージョンとか持ってきた方がいいんじゃ…と心配になりますが、奈和ちゃんのバージョンはどうでしょう?
※忙しくて、仕方ないんだ、という方は4分42秒ぐらいからどうぞ!
※忙しくて、仕方ないんだ、という方は4分42秒ぐらいからどうぞ!
まずは、彼女の表情の豊かさですよね。
最初の「10クローネばかり貸してくれよ」の悲痛な願い。2番サビで即物的な幸せを連想させる物を語る時の笑顔、そして、最後のモニター越しの視線。
先ほどのさや姉バージョンと比較すると前奏部分や「司会者のジョークは笑えない」のところは同じふりつけですが、要所要所でオリジナルに変わっていますね。「僕の知らない世界へ連れて行ってくれたよ」のふりが、通常は指が下へ動くのに、奈和ちゃんバージョンは、天を指しているのが印象的です(『辺りではみたことない奇抜な衣装を』のところも)。
また「まばゆい電飾が」のところや「僕は目を閉じて」のところは、まさにヴィジュアライズ化といえる表現だと思います。
最初の「10クローネばかり貸してくれよ」の悲痛な願い。2番サビで即物的な幸せを連想させる物を語る時の笑顔、そして、最後のモニター越しの視線。
先ほどのさや姉バージョンと比較すると前奏部分や「司会者のジョークは笑えない」のところは同じふりつけですが、要所要所でオリジナルに変わっていますね。「僕の知らない世界へ連れて行ってくれたよ」のふりが、通常は指が下へ動くのに、奈和ちゃんバージョンは、天を指しているのが印象的です(『辺りではみたことない奇抜な衣装を』のところも)。
また「まばゆい電飾が」のところや「僕は目を閉じて」のところは、まさにヴィジュアライズ化といえる表現だと思います。
ちなみにサビも「それより僕は」までは一緒ですが、流石は古畑奈和。一つ一つの振りが一番遠いところまで手を伸ばしています(さや姉のしなやかな重心移動も、彼女ならではの表現で好きです)。
さらにこの曲の激しく動くところをあえて動きを抑えることで、ためを作るところも素晴らしいですね(間奏から2番の最初なんかがそうです)。「僕の母親は」からオリジナルと比較して自分の表現を激しくしていくところの助走になっています。
まるで、彼女の身体自体も表現を具現化するための道具であるかのように、曲の世界をヴィジュアライズ化していきます。
まるで、彼女の身体自体も表現を具現化するための道具であるかのように、曲の世界をヴィジュアライズ化していきます。
ちなみに、この方向性を更に進めてストーリング重視で解釈したのが、NMB48の石塚朱莉さんのバージョンだと思います(彼女の解釈も好きです)。
話を戻すと、古畑奈和の楽曲の世界をヴィジュアライズする力は、この後も2018年感謝祭の「誰かの耳」でも発揮されますし、ソロ曲の「本能」でも発揮されます。欅坂の楽曲とも相性が良いのも分かる気がします。
ただし、あえて表現をおさえることで曲の別の側面をピックアップすることもあります。それが、2017年の「ランクインコンサート」で披露した。「Escape」です。
ここでは歌いあげることに集中し、踊ることをセーブして、最後のふりだけオリジナルに合わせます。
ダンスの激しさが目に行きがちですが、歌詞やメロディの素晴らしさを改めて認識させられる素晴らしいパフォーマンスになっています。
ここでは歌いあげることに集中し、踊ることをセーブして、最後のふりだけオリジナルに合わせます。
ダンスの激しさが目に行きがちですが、歌詞やメロディの素晴らしさを改めて認識させられる素晴らしいパフォーマンスになっています。
じゃあ、振り付けがないものはどうするのか?
よく「渋滞曲」とか言われるメンバーが手を振りながら、大会場を移動する曲ですね。
上に挙げた2017年、「ランクインコンサート」では「あなたが居てくれたから」の時にメンバーたちが客席まで降りて、撮影タイムとして歩いていくんですが、彼女はここで涙が溢れて顔を覆っていまいます。
上に挙げた2017年、「ランクインコンサート」では「あなたが居てくれたから」の時にメンバーたちが客席まで降りて、撮影タイムとして歩いていくんですが、彼女はここで涙が溢れて顔を覆っていまいます。
※8分20秒あたりから
この時の奈和ちゃんは、いったいどんなことを思っていたのか、彼女のブログを読んでみましょう。
総選挙という自分の価値を数値化されて叩きつけられるイベント、大勢のアイドルの中の自分、この残酷な世界の中で自分の味方で居てくれる人、「これまでのこと」、様々な思いが駆け巡って涙になっていったんですね。
初めての選抜、そして、「あなたが居てくれたから」という曲の歌詞がこれほどまでにしみるシチュエーションはないでしょう。
シチュエーションや歌詞が彼女の心に反響して涙になったと仮定すると、古畑奈和という人の人間性や感受性の豊かさ、それがあるからこその表現力だと思います。
そんな、奈和ちゃんだからこそ、曲の世界の「表現」というところから離れた、目の前や中継を見ているファンの方への感謝という、別の「文脈」で曲を受け止めた時に、溢れてくる涙の美しさ。
総選挙というイベントは、既に終わりを迎えましたが、彼女がファンの皆さんと一緒に嬉し涙を流せるような、イベントや場があればいいな、と思いました。まずは、歌唱力のイベントでしょうか。
日常を彩ってくれたラジオ番組「10月のお楽しみ」も良かったですが、まだまだ、彼女の表現力は様々な場で輝くと思います。次は、どこで彼女の人間性を見せてくれるでしょう?
※2017年総選挙について書いた「悔しさの先に見えてくるもの」の記事はこちら!
※2018年総選挙感謝祭で披露した「誰かの耳」についての記事はこちら!