何色のイズムか?
皆さんは、自分のアイデンティティや個性はどんなものか、見えなくなることがないでしょうか?
先日観に行った映画で印象的なシーンがありました。
「日向坂46ドキュメント 3年目のデビュー」という映画でした。
それは「けやき坂46」から「日向坂46」に改名して、「自分たちの個性とは何か?」と悩むシーンがあったことです。
メンバーの一人が「けやき坂46時代は、ダンスを全力でやって、出番が何曲かでもお客さんの目を全部持って行ってやるって思っていたんですね。でも、名前が変わってじゃあ、このグループの色は何だろう? 分からなくなった?」というシーンだったと思います(流石にまだ1回しか観ていない映画で、記憶だよりで申し訳ありません)。
映画の中でこの悩みは「青春の馬」という名曲を聴いて、メンバーたちが号泣し、「自分たち日向坂がしたいことはこれだな」と気づくシーンが非常に印象的でした。
じゃあ、SKE48のイズムはどんなものか、とふと考えました。
以前、松井珠理奈と古畑奈和の兼任コンビの間に大島優子を置くことで、SKE48イズムというものが抽象的なもので定義しにくいですが、「曲を大事にすること」ではないか、と僕は考えたことがあります。
※気になった方は、是非、お時間のある時にこちらもお読みください。
さて、前置きが長くなりましたが、実はSKE48も先ほど挙げた日向坂46のように、自分たちがどのようなグループなのか、どう進むべきなのか、それが今年の春からのコロナ禍の影響もあり、どんなものだったのか、薄まり始めているのではないかと思います。
そこで、もう一度、SKE48のイズムはどんなものか、考えてみたいと思います。
「とにかくセンターにたちたい」
「今も昔もギラギラしています」
これはSKE48のあるメンバーの言葉ですが、皆さんは誰を思い浮かべたでしょうか?
実は松井玲奈の言葉です(『SKE48 OFFICIAL HISTORY BOOK まだ、夢の途中』より引用)。
かつてのSKE48イズムの一つとして、「反骨精神」や「負けん気」があったと思います。その根本には先を走っていたAKB48の背中やアウェイの現場で、インパクトを残したいというものがあったかもしれません(牧野アンナ先生の教えも含め)。
同著では、SKE48のアスリート性の理由として「松井珠理奈が牽引していると思います」、「まわりのメンバーが『あれが平均なんだ』と思った」と秋元康は評しています。
じゃあ、肝心の珠理奈はというと、「強いけど弱い」と自分のことを評しています。
周りからの期待に応えるパフォーマンスをする「強さ」と、本当に期待に応えられるのかという繊細な心を持った「弱さ」。この二つが同居するのが松井珠理奈だと思います。
いやいや、そんなのみんな同じでしょ、と思われる方もいるかもしれませんが、そうなんです。
神格化されたセンターとしての存在ではなく、一人の人間として松井珠理奈を見る視点が欠けている時があったのでは、と思う時があります(これは僕にもあったので、自戒の念を込めて書いています)。
そうすることで、彼女に負担が集中せずに、少なくとも彼女が色々なものに押しつぶされずに済んだのでは、と。
2013年1月10日に発行された本の一節を取り出して、語るのはズルいと思いますが、彼女には「強さ」の方を求められすぎていたのではないか、と思いました(勿論、『強さ』を必要とする場面が多かったのも事実)。
だから、彼女の「弱さ」というか繊細さを活かしたソロ曲の作詞は、彼女のもう一つの部分を活かした素晴らしい活動だったと思います。
2014年の名古屋ドーム、2015年の松井玲奈の卒業、2018年の総選挙ワンツーフィニッシュ。
これまでのSKE48やメンバーが目標としていたもの、指針としていたものは、次々と通過して消えていきました。
SKE48とは何をするグループで、何を目指して、今どこにいるのか?
残念ながら、僕にはもう定義できません。特に2つ目以降はさっぱり分からなくなりました。
一つ目は一人のファンの視点で書かせていただくと、「全力で何かにぶつかっていくグループである」ということでしょうか。多分、SKE48よりもダンスが上手いグループなんて沢山あると思いますし、外国まで視野にいれると更に数は増えると思います。
でも、与えられたことに対して、必死に立ち向かっていく姿に心を惹かれたのは確かです。
松井珠理奈視点で見てみましょう。
小学6年生の時に、AKBのセンターとSKE48のセンターになって、普通の生活と自分の小さな体に負担を与えつつ、週末は握手会に来る知らない人たちに励まされたり、時には文句を言われたりする、というあまりにも過酷な日々。
それに対して、不安と向き合いつつも逃げずに戦い続けることが、果たしてできるでしょうか?
なんとなく、連想した曲を貼っておきますね。
これは僕が尊敬するあるSKE48ファンの方の動画で出てきた松井珠理奈に対する言葉です。これほど、インパクトがあり、当時の彼女が置かれた境遇が表された言葉はないと僕は思いました。
ひょっとすると、それがSKE48を好きになった理由であり、彼女たちが持っている色なのかも知れません。
新公演がこない現実。
研究生として干され続けた現実。
自分の目標がみつかったと思ったら奪われる現実。
時代によっては「強さ」というものを全面に出さないと前に進めない時期もあったと思いますが、今はそのフェーズを過ぎていると僕は思っています。
「弱さ」を大事にして他者の気持ちや努力を想像して、励まし合いながら前に進む。
そう、「僕は知っている」の歌詞のように。
SKE48を離れることで、彼女という「個性」は芸能界に移ります。
特にこれからのSKE48を作っていく世代にも。