波が伝えるもの
本日、2021年12月13日、STU48の派生ユニット「勝手に!四国観光大使」の新曲「夢をガラス瓶の中に」のMVが公開されました。
まずは観てみましょう。
何かが「海流」を通して必ず届くことに。
情熱的な思いや時間はもう消えてしまうかもしれない状況です。
そのリーチは地球一周分にも匹敵するのでは、と考えます。
色々なところを「夢」が巡った距離が、「願いの強さ」になっていく。
ガラス瓶の中を流れて行くのは、「純粋な気持ち」。ただし、「遠いあの頃」とあるので、やはり主人公の「僕」は日常の中で「夢」への情熱や「純粋な気持ち」を失いつつあったのかも知れません。
世界の涯はここから見えなくても、「海流」というものはどこかへと必ず流れています。
そして、「海流」を司る「自然」は人間のように諦めというものを知りません。
自分が望むものは簡単に手には入らない、やるだけやったらじたばたせずに待つしかない、と考え始めます。
そして、今の自分に出来ることを「潮騒」という「波」や「海流」を連想する言葉の中から意識します。「夢」が届くかどうかは、じたばたしてもしょうがない、今は「日常」の中で待つしかない、と。
そして、大サビなんですが、最後の部分が1番のサビとは違います。
「遠いあの頃」に抱いていた純粋な気持ちだけではなく、「祈り」も入れています。
「不安」だけではなく、信じる気持ち、願う気持ちである「祈り」も「ガラス瓶」の中に入るのです。
つまり、歌詞の中で主人公は瓶から離れた立場に居ながら、瓶の内容物を増やし精神的にも成長しています。それを教えてくれるのは、「波」であり「海流」でした。
「僕」の夢はどうなるでしょう?
前々からSTU48の歌詞を書く時に秋元康は何度も海というモチーフを使っていますが、歴代でも最高クラスの使い方ではないでしょうか?
「川」が超えていくべきものとして「RIVER」で描かれたのに対して、「海」はまるで心情の交差点のように描かれています。
初めて聴いた時は、良い意味で「日向坂に行く予定の曲だったんじゃ?」と疑いたくなるぐらい誰かの背中を押していくような徐々に盛り上がっていく構成になっています。
僕は、Aメロのメロディが特に好きです。
自然の代表格として「海流」を設定し、人間の代表格として「僕」を設定し、対比しています。
自然の代表格である「海流」はいつまでも絶えることなく流れつづけます、我々人間側には「波」として伝わってきます。その行為は「あきない」、「諦めない」と「永遠」を連想させられます。それに対して人間の「僕」は「忘れる」、「負ける」と「無力」感を連想させられます。だからこそ、自然をリスペクトするのかもしれません。
自然というものの大きさや時間的なリーチの長さを感じられます。
永遠に続いていくものの中には「日常」や「当たり前の日々」も含まれていくかもしれません。でも、僕は「ガラス瓶」という人工物の中に「大切なもの」を入れます。自分が忘れてもどこかに残るようにと。
上記のことを元に、ここから僕は三つの解釈をしてみます。
① 「海流」を人生とみる解釈
人生というどこまでも続く時間の中で、「僕」は情熱的で楽天的だった若さを連想させられる時代は終わってしまった、あるいは終わろうとしているのかも知れません。でも、「ガラス瓶」という何らかの装置の中に思い出だけは入れて、いつか人生の中でもう一度情熱を取り戻す時間が来ると信じている。
年の終わりに今年のベスト級の曲が来ましたねえ。
だから、本当に人生の時間の中で、今、出会えて良かったし、来年何度も聞く曲になると思います。
いつか、あなたにとって出会えて良かった曲も教えてください。