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2019年2月9日土曜日

バケット①


もう戻れない日々


 時々、秋元康は48グループにもう興味ないんじゃないかな、と思う時があるんですね。かつてAKB48が誕生した時には、様々なアイディアを出しては失敗しての連続だったんですね。「秋元康の仕事術」とか読んでると。でも、凄い楽しそうなんですね、立ち上げの頃の話は。紅條は「大声ダイアモンド」ぐらいで、AKB48のファンになったので、その頃のAKB48の成り上がりぶりは、なんとも楽しくてね。それに反して、なんか今はもう、停滞感が凄くてですね。坂道の方に秋元康の意識が行っているのかなとも思うんですが、そんな時思い出す曲があるんです。本店のアルバム「サムネイル」通常版の13曲目「バケット」という曲です。

 歌詞の世界を見て行くと、歌の主人公は芸術家なんですね。1番ではうまく行かなった日々のことを書いています。でも、この主人公は傍に理解者の「君」が居てくれたから「上手くいかない挫折の日々になぜだか笑ってた」と乗り越えられたんですね。サビ前では「どんなに作品が売れても虚しいんだ」「僕がずっと望んでいた生活なのに喜んでくれる人 もういない」と売れた後の気持ちを語っています。そして、貧しかった頃食べたバケットのことを思い出します。「何もなくたって 美味しく感じてた 君がいるだけで…」と物質的に充足してなくても、精神的には幸福だったということですね。

 2番では二人は喧嘩をしてしまいます。大事なものを忘れた「僕」に「君」は幻滅するんですね。賞とかお金とかじゃなくて、自分が描きたいものを大事にすべきだったのに。「君が一番理解してくれていたのに 勘違いし始めた」と自分の過ちを後悔します。「今あるすべて二人で分け合い 愛を噛みしめた あれがしあわせだ」と。

 大サビ前に「欲しいものがありすぎたんだろう 今ならばわかるんだ 答えはひとつ」と大事なものに今更気づきます。そして、大サビであの頃二人で食べたフランスパンであるバケットのことを思い出して曲は終わります。

 なんだか、いつもの曲の主人公よりも年齢が高いと思うんですね。この曲を歌っているのは渡辺麻友、松井珠理奈、宮脇咲良の3人。当時のエース級3人が歌っているわけです。そして、これがアルバムの最後という一番良い位置に持ってきています。

 この曲が持つ意味は何なんでしょう?
 「バケット」が収録された「サムネイル」が発売されたのは、2017年1月15日。AKB48はもう、とっくの昔に東京ドームに立つという夢を叶え、支店は増え続け、参勤交代にも似た動員システムでミリオンヒットを出し続けます。日本国民の中でも「会いたかった」、「フライングゲット」、「ヘビーローテーション」、「恋するフォーチュンクッキー」、「365日の紙飛行機」、「マツムラブ!」の中で1曲ぐらいなら知ってるよ、という人が圧倒的になってきた状況でした。

 48グループ自体がもう欲しいものは全て手に入れて、どうしたらいいのか分からない状態になってしまっていたんじゃないか、と僕は思いましてね。様々なしがらみが生まれ、身動きが取れなくなってしまった。やりたいことをやっていた自由さはとっくの昔に失われていた。反対に坂道シリーズは全盛へと進んでいきます。前年に欅坂46は鮮烈なデビューを遂げ、乃木坂46は「ハルジオンが咲く頃」や「サヨナラの意味」といった卒業メンバーとの関係性を感じさせる名曲が続々と生まれて、どんどん大きくなっていきます。なんで、この背景を説明したかというと、歌詞の中の「僕」と「君」は誰なのか、ということを考えて行くために必要だと思ったからです。

 最初に聴いた時は、「僕」が「秋元康」で「ああ、秋山先生、すっかり疲れてんなあ。うんうん、分かるよ、その映画『ソーシャルネットワーク』みたいな気持ち」と思ってたんですが、段々「僕」というのは、実は「48グループ」を喩えていると読み解くことはできないかと思い始めたんですね。全てを手にいれた「48グループ」でも、大切な「君」は去ってしまった。この「君」は誰なのか?実は秋元康なのではないか、と僕は思いましてね。それを彼自身が書いた別れの歌なのではないか、と思いましてね。すっかり勘違いしてしまった「48グループ」というか「運営」というかに対して、「もうサヨナラしたいよ、46行きたいよ、本当は」みたいな意識なのかな、と僕は感じてしまったんですね。

 もう一つ考えられるのは「君」というのは、実は「ファン」なのかな、とも思うんですね。いつもそばにいて理解してくれていた「君」。なのに、勘違いしてしまっていなくなってしまった。なんなら、坂道に転がってしまった。居なくなってから気づくということです。「僕」はお金や名誉を欲しがったせいで、自由さを失ってしまった。それは、まさに「48グループ」や「運営」のどんどん失われていく自由さを観てきた我々ファンの気持ちかもしれません。

 どちらの説にも考えられますし、やっぱり「僕」が「秋元康」で「君」というのが「情熱」じゃないという考え方も正当だと思いますしね。ひょっとしたら、上に挙げたどちらも含まれているかもしれませんし。
 皆さんの意見が聞きたい名曲「バケット」ぜひ、聴いてみてください。とても優しくて、ラジオ青年だった秋元康のイノセンスな部分を思い起こさせる名曲です。