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2019年4月20日土曜日

おすすめのアニメソング⑤「Thanatos-if I Can‘t Be Yours」



終わりの無い地獄か天国の始まりか

※非常に個人的な内容で、あまり曲の内容を詳しく説明した記事ではありません。
 1997年7月19日。
 中学2年生で14歳だった僕は、映画館の暗闇の中に居ました。
 観ていた映画は「新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に」。
 その日、僕の学校は終業式でしたが、確か休んで観に行ったから、友達が僕の通知表をガンガンに観た後で自宅に持ってきてくれていたのを、その日の部活の練習で聞きました(学校は休んでも部活は出るタイプ)。

 僕が住んでいた地域は田舎だった為、「新世紀エヴァンゲリオン」の本放送には間に合わず、当時「ガンダムW」目当てで買っていた『アニメージュ』で、綾波レイが表紙になっていたことが「新世紀エヴァンゲリオン」を知ったきっかけでした。そこから、ビデオを借りたり、当時角川から出ていたフイルムブックを買ったりして情報を得ていました。特にこのフイルムブックの情報量の多さが、放送がされてない地域の人間には本当にありがたかったです。
 やがて、ケーブルテレビの関係で電波が入っていた大分放送で「新世紀エヴァンゲリオン」が土曜日の朝6時から放送されていることを知り、必死にビデオ録画して何度も観たのを覚えています。
 そこから世間のブームが徐々に追いついてきて、クラスの友人や部活の仲間とも「エヴァンゲリオンやばいよな」とか「初号機のプラモ買った?」みたいな会話をしたもんです。同じクラスでヤンキーをしていた女子の脇田さんが、綾波レイのイラストを描いてきて、「ねえ、似てる? 紅條くん、エヴァのことなら詳しいってホント?」と聞いてきた時は、ああ、大変なことが起こっているな、と思ったもんです。ちなみに脇田さんは、その後、ゴリゴリのアニメヲタクヤンキーになっていきます。
 
 そして、1997年3月15日。
 僕は、当時人気キャラクターであった渚カヲルを放送で観ないまま「新世紀エヴァンゲリオン劇場版シト新生」を観に行きます。
 ちょっと予告を観てましょう。

 

 最初の予告の「溶け合う心が私を壊す」は確か公開前に発売されたCDの予告の中にも入っていましたが、この一言だけで当時僕は、どういう意味でどういうシーンが待ってるんだろう、と想像を膨らませていました。
 また、公開の1か月前の2月21日に発売さてた「魂のルフラン」はパッケージを何度も食い入るように眺め、歌詞の意味をずっと考え続けたもんです。考えすぎて、放課後、教室の時間割を書く黒板の準備物欄に「散り急ぐ鮮やかな姿で」と書いてしまい、クラス全員に「何を準備してくればいいんだ」と困惑させたもんです。
  

 
 話を戻すと、めちゃくちゃ面白かったんですね。
 総集編的な「DEATH」は、本放送がしてなかった世代としては、このシーン初めて観た、というのが多くて。そして、「Rebirth」も最高に盛り上がりましてね。ネルフ本部に戦略自衛隊がガンガン攻めてくるわけですよ。そして、アスカの復活。「すげえ、すげえよ!」と思っていたら、エヴァ量産機が現れて、「わーたーしぃにー還りなさーい」ですよ。これは夏まで死ねない。そう思って劇場を後にしました。

 それから『アニメージュ』で当時やってた「エヴァンゲリオン補完計画」欄を毎月楽しみにし、春映画のサントラを聴きまくって、毎回13曲目「偽りの再生」でアスカごっこをしながら、公開当日を迎えましてね。
 「Air」に関しては、もうミサトさんとシンジ君の別れのシーンが良くてね。
 「いい?ここから先はもうあなた一人よ。全て一人で決めなさい」
 一回曲が終わったかと思ったら、また始まって盛り上がっていくところが最高です。


 さて、色々あって、アスカが死んで、シンジ君が聞いたこともないぐらい叫んで「Air」は終わります。
 そして、やっとこの曲が始まります。


 僕が観に行った劇場は緊張感の為、映画のエンドロール中に喋るような人間はおらず、くるくる回る文字を観ながら、ただ、次の話が始まるのを待ちました。ちなみに「新劇場版Q」の時は終わった瞬間、劇場でどよめきが起こっていましたよ。

 そして、始まった「まごころを、君に」。
 正直に言いましょう。
 14歳の僕には全部を理解するには、難しすぎた。
 35歳になった今でも、全部理解できるのか、というと全く自信がない。
 映画を観終わって、僕よりも年上の人達がみんな首をひねりながら出てくるのを見て、ああ、僕より大人の人も分かってないんだ、良かった、と思いました。帰り道でも全然、理解が出来ず、ただ「気持ち悪い」というアスカの最後の言葉だけが残りました。
 部活の仲間にも「エヴァの映画どうだった?どんな話?」と聞かれても、うまく説明が出来ず、「なんか、凄かったよ」としか言えませんでした。  

 そして、なんとか答えを見つけたくて、何度か友人と映画館に足を運んだあと、8月に出たこの曲の赤いクリアケースに入ったシングルと同じく赤いクリアケースに入ったサントラを聴き、頭の中で何度も映画を上映させたもんです。
 やがて、『アニメージュ』の巻頭数ページのB5サイズぐらいの袋とじみたいな記事を読んで、「現実に返れ」と言いたいのかな、と僕は思うことにしました。少なくとも、それが当時の自分が出した精いっぱいの答えでした。それから僕は暫くアニメにのめり込むことを止め、特撮への思いが過熱していきます。

 ただ、エヴァブームは頂点を迎え、僕の学校の掃除の時に流れる音楽がこれと「甘き死よ来たれ」だったんですね。
 

 毎日、掃除しながらエヴァのことを思い出すことになるわけです。
 で、「あの現実の描写が出るのは何でなんだろう」とか「青葉シゲルがかわいそう」とか、色んなことを毎日、考えることになります。「最後にゲンドウはリツコさんに何って言って『嘘つき』って言われたんだろう」とかね。
 今、考えると、当時はインターネット普及前夜だったので、情報が少なくて、限られた情報の中で、自分で考えるしかない時代だったのかも知れません。環境としては恵まれてなかった。ただ、考え続ける力はついたのかも知れません。

 それから、時は経ち、エヴァンゲリオンはリメイクされることになり、「新劇場版」が始まります。ただ、あんまり「新劇場版」には良い思い出がなくてですね。それは、ストーリーの方じゃなくて、僕個人の思い出なんですが。
 1作目の「序」を観に行った時は、「納期前の仕事をほったらかしてアニメ観に行ってんじゃねえ」と当時の上司に怒られ、「破」を観に行った時は「人の気持ちを考えて喋るようになれ」と一緒に観に行った友人に怒られ、「Q」を観に行った時は「自分の気持ちと同じぐらいの気持ちや見返りを相手に求めるな」と当時付き合っていた女性に言われ、もう、次の「シン」では、その辺の犬にまで怒られんじゃないか、と思ってます。

 ただ、旧・新劇場版ともに僕を「人間」にしてくれた作品であることは間違いないです。最初は「なんでミサトさんはエヴァのことを『エヴア』というだろう」みたいなしょうもないことを書こうと思ってたのに、昔のことを思い出し過ぎて曲の魅力を伝えらないに記事になってしまいました