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2020年7月31日金曜日

overture(SKE48 ver.)

祭りの象徴


 先日、会社の上司と「生でライブに参加することが、物凄く貴重になるのではないか」という話をしました。
 上司は音楽制作を趣味としていて、CMで曲が流れるぐらいの腕前はあります。彼はDJとしてクラブで様々な曲を今年の春まではガンガン流していたので、自粛から生で音楽を楽しむことが憚られる現状に、かなりげんなりしていました。

 どちらかというと、趣味に対して在宅率が高い僕は、「まあ、そんなもんかなあ」と思いつつ、会社の休憩室を出ました。
 このブログでは、曲に関する考察や分析、メンバーについて書くことが多いんですが、ほとんどは、ブログや過去のニュース記事、そこから、自分なりの考察やこれまで読んできた文学作品や批評集の視点を応用するという書き方をしています。
 だから、そんなに「生でライブに参加すること」が必要かというと、そうでもないと思ってたんですね。最近は、週1でアンケート企画もしてるし。

 ただ、この1か月間のブログの質は、落ちているのも確かでしてね。
 SKEとSTUの「海」という場の違いについて書いた記事のようなものを本来は書きたいんですが、なかなかそうもいかず。わりとその場しのぎで書いてるなあ、と思う記事もあったりしました。

 集団で連載しているようなブログではないので、一人で書くことの限界を最近は感じています。
 でも、プラトンが三角形を書くことで、三角形の本質に気づけたように、書かないと始まりません。
 だから、書きながら考えたり次のヒントを探したりしていました(能動と受動の循環運動とも言えます)。その結果、ある期のメンバー全員の過去を洗わないと書け無さそうなことを思いついて、今、必死にブログ等を読みまくっています。

 それでも、毎回ネタ切れの状態で書いているブログなので、さあ、もうすぐ2年目も終わるけど、これからどうしようかと考えていました。

 昨晩『制作へ』や『脱・近代宣言』(落合陽一・清水高志との共著)の上妻世海さんの「創造性について」の講義を観ました。
 「書く」ことで人間の有限性を越えて意味を保存させることができる、という書くことの歴史的なスタートから始まり、道具やメディアの変換という視点から人間の考えることの進化が非常に面白かったんですね。
 その中で、「作品化以前」という定義が面白くてですね。
 対話や体験、読書を循環して繰り、自分の「美」を手に入れて、作品化するという定義なんですが、このブログにあてはめた時どうだろう、と考えたんですね。
 そうすると、圧倒的に「体験」が最近足りてないな、と思いましてね。
 なんせ、最後に行ったのが、去年の夏のフラストレーションのミニライブですからね。
 
 コンサートやライブを生で体験することによって、自分だけの視点で曲の良さやメンバーの魅力を発見することって、やっぱあるなあ、と改めて思いましてね。
 たとえば、宮澤佐江さんの卒業コンサートの前夜祭。
 映像には残ってないですが、「コケティッシュ渋滞中」のサビのフリで二人組になって片方が回るところがあります。僕の席の前で踊っていた竹内舞は、両端とも別のパートナーが居て、一人で回ることになります。この時の彼女は「うわあ~」みたいな少し困った顔をしていて、そこからすぐにまたアイドルスマイルに戻して踊っていたのが、凄く印象に残っています。
 こういうところから、色々な発想や思い出が生まれるから、確かに「生の体験」も大事だよなあ、と思いましてね。

 今度は「生のSKE48の体験」を辿っていくと、僕が真っ先に思い浮かぶのが「over ture」なんですよね。


 皆さんも初めて行ったSKE48のコンサートやミニライブを思い出してみてください。

 SKE48のヒット曲がオルゴールで会場で流れていることが多いですよね。
 ざわざわとファンの方々の声がしているあの会場で、コンサートが始まる瞬間、ピタッとオルゴールの音が止まった時の高揚感。
 そして、先ほどまでの優しいメロディとは真逆の爆音で流れる「overture」。
 大声で叫ぶ「オイ!オイ!オイ!」や「SKE48!」の掛け声。
 僕はこの瞬間が物凄く好きでしてね。
 ライムスターの宇多丸さんが「ダンサブル」ツアーのZeep TokyoでのMCで、「ライブは出てきた時が一番盛り上がる」と語っていた現象が、これかも知れません。
 思えば、初めて行った握手会のミニライブでは、AKBと同じく3連ミックスを打ってしまい、隣りの人が同じことをしないので、「ふふふ、やる気のないやつだぜ、このエリアは僕が引っ張る!」みたいな、勘違いも甚だしい経験もしたもんです。
 でも、ガイシで聴いた「over ture」や名古屋ドームで聴いた「over ture」のワクワク感。トヨタスタジアムで席へと向かう通路で聴いた「over ture」のもう少し待ってくれという思い出。
 様々なことが甦ってきます。
 ただ、どの会場でも一緒にいた百人から4万人、それぞれのファンの方々の熱気がそこにはありました。
 かくいう僕も普段からためこんでいた何かを爆発させて、「さあ、コンサート始まるぞ」とワクワクしていた気がします。
 まさに、「祭り」というか「ハレの場」がありました。
 
 現在、SKE48は、無人で公演を行っています。
 おそらく会場にファンが入るようになっても、ファンが声を出すことが許されるまでは、時間がかかると思います。
 ましてや、満席の大会場で「over ture」が響くことはもっと先かも知れません。
 でも、いつかまた、あのコールや爆音を体験したいな、と思っています。

 書き終わったので窓を開けると、むわっとした風が入ってきました。
 今日も暑くなりそうです。
 大声で叫べない僕らの代わりに、セミたちが鳴いていました。
 少し羨ましく思いながらも、セミたちよりも長く生きる僕らが、もう一度大声で叫べる日を、今は待ちたいと思います。

 2020年7月の終わりに。

 

2020年7月29日水曜日

第4回アンケート企画結果発表

それでもあなたを繋ぐものは?


 すっかり毎週の恒例となっております、アンケート企画。
 今回は過去最大の投票数になりました。
 テーマは「ヲタ卒を考えたことがある?」です。
 結果はこちら!


 
 まずは、「ヲタ卒を考えたことがない!」という方が52%!
 多分、皆さんがそれぞれ推してらっしゃるアイドルだったり、アイドルグループだったりに色々なことが起きていると思うんですね。それでも、離れずに残り続ける理由はそれぞれです。
 たとえば、Twitterにコメントをくださった方の中には「卒業する推しから頼まれた」という方もいらっしゃいました。また、忌まわしいイベントがあってもそれ以上のドラマがあるから、離れられないという方もいらっしゃいました。
 僕は新日本プロレスが好きなんですが、2001年ぐらいから好きになってずるずるともうすぐ20年来のファンになりそうです。暗黒時代もあったんですが、なんとなく付き合ってしまうんですよね。

 次に「考えたことがある」が36.3%。
 実は僕もこれです。
 要因は人それぞれだと思います。
 「なんだか疲れて…」という方もいれば、自然とフェイドアウトという方もいらっしゃるかも知れません。

 僕はドキュメンタリー映像の「アイドル」を初日に名古屋まで観に行って、この描き方を公式に是非の「是」としたならば、僕はもうこのグループにはついていけないな、と思い、ヲタ卒を考えました(特に前半は本当にこんなに尺がいる?そもそもこれって本当にいる?と観ながら思いました)。
 ドキュメンタリー映画「アイドルの涙」と比較するとあまりにも取材にかけた時間や予算、編集の丁寧さ、ナレーションと文字、テーマ、どちらも違い過ぎたのもあると思います。
 ちなみに制作した竹中優介さんに関しては、レギュラー番組を制作してくださっていることや、グループを盛り上げようとしていることは凄く理解してるんですけどね。
 でも、作品の質とは別の話なわけで。
 ちゃんと黒字になった作品が良い作品なら、2020年で一番良い映画は、今のところ「今日から俺は!」になってしまいます。本当にその理論でみんな納得すると思うかい?と。
 ブルーレイも本編ディスク2枚はすぐに捨てたぐらい、納得いかない映像でした(パンフも手抜きが本当に酷かった)。
 自分を納得いかす為に3回観ましたが、やはり納得いかず、「僕が他のファンの皆さんと『素晴らしい』とか『感動した』とかの価値観がずれてるんだろうな。アンチとかになる前に去ろう。同調圧力に屈して『良い映画だね』とは絶対に言わない」と思ったもんです。
 なんとなく、映画「新聞記者」の主題歌を貼っておきますね。



 日向坂のドキュメンタリー映画にも竹中さんは関わってるんですが、こっちは凄い良い感じなんですよね。ちゃんと時間と予算をかけて、映画として成立するものにしている。だから、こっちは凄い楽しみですし、期待しています。
 また、竹中さんがドキュメンタリーを撮るとすれば、きちんと時間と予算をかけて続きを作って欲しいな、と思っています。石原真プロデュサーが過去の映像をうまく繋ぎ合わせてSKE48イズムとは何かをきちんと証明したように。
 あと、映画館という大スクリーンと良い音を使える場所に本当にふさわしいものか、とかね。

 話がそれました。

 「実際して帰ってきた」が6.3%。
 戻ろうと思ったきっかけが知りたいですね。
 新しいメンバーとの出会いか、久しぶりに聴いた新曲の素晴らしさか。
 僕個人としては、ごりごりの平成仮面ライダー派だったんですが、最近「ウルトラマン」に復帰して、「ウルトラマンタイガ」は全話観て、「ウルトラマンZ」も観ています。復帰したきっかけはラジオの「アフターシックスジャンクション」なんですけどね。ふとしったきっかけで自分の好きなものと再会できるって良いですね。

 最後の「もう二度とあそこには戻らない」が5.1%。
 一体なにがあったんだ、と思いつつも僕もそうなっていたかも知れない瞬間はあったわけで。
 いつか、うっかりコンチネンタルホテルで殺人を犯して、SKE48を出禁になって、世界中の殺し屋から狙われることになっても、「SKE48?あそこは良いとこだったよ。一回行ってみたら?」と言えるグループであったりファンコミュニティであって欲しいな、と思います(意味が分からない人は『ジョン・ウィック・チャプター2』と『ジョン・ウィック・パラベラム』を観よう)。

 さて、実はこの記事を書こうと思うと、どうしてもネガティブなことを書くことになってしまい、筆が進まなかったんですが、今は推しメンもいるんで結構楽しくヲタ活してます。
 総選挙みたいな「進撃の巨人」の主題歌が似合いそうなイベントはありませんが、今のSKE48の温度を楽しみながら、ヲタ活を続けたいと思っています。

 10年20年後はSKE48とどんな距離でいるかなあ。

2020年7月25日土曜日

SKE48とSTU48における海

発見と満ち引き


 皆さんは「海」という場所にどんなイメージがあるでしょう?

 実はこのブログ、SKE48の曲や人物像だけではなく、STU48の曲も取り扱っていましてね。
 単純にSTU48のシングル曲の世界も凄く好きなんです。
 そして、STU48に登場する「海」という場がなかなか面白い働きをしているところになっていて、これはSKE48の曲で描かれている「海」とは少し違う場だな、と思いました。
 今回は、この2つの「海」を比べてみることで、曲の魅力をもう一度見直してみようじゃあないか、という記事です。

 まず、SKE48から。
 SKE48における「海」はまず大きくわけて3つあります。

 ① 発見型
 SKE48の代表曲である「パレオはエメラルド」、そして、センター世代交代を感じさせた「意外にマンゴー」。この2曲では一緒に来ている相手の魅力を発見する場として、「海」が登場します。いずれも彼女の大人になった一面にハッとするところが語られています。



 


 ② 準備型
 SKEのセカンドアルバムのリード曲「夏よ、急げ!」、ゆななセンターのカップリング曲「キスポジション」。男性目線、女性目線の違いはあるものの、どちらの曲も恋が盛り上がるであろう、夏に向けて、まだ骨組みだけしかない海の家の季節や5月に海に来ています。
 どちらの曲も太陽がどのように昇ったり沈んだりしているのか、ということを考えていることも印象的で、秋元康文学における「太陽」がSKE48の曲の中でどのような使われ方をしているかを考えるのも面白いな、と思いました。
 そして、この準備型の先に恋が成就した「アイシテラブル!」が来るのではと思います。





※「夏よ、急げ!」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/02/blog-post_22.html  ③ 内観型
 SKE48の名曲「羽豆岬」。
 こちらは上記の2つとは違い、南知多の夏の風景が描かれています。
 ここで描かれる「海」は、自分の気持ちを整理して元気をもらえる場として描かれています(特に2番)。
 そして、大サビでは羽豆岬に行った時の体験が、思い出として語られます。
 心理学用語の内観が一番近いかな、と思いこちらのタイプ名をつけました。
 ちなみに、この曲に登場する「船」は、2番では港に帰り、大サビでは再び港を出ていきます。曲の主人公を連想させる描き方だと思います。
 ちなみに、「岬」・「船」という要素は、今考えるとSTU48の名曲たちとも繋がる要素だと思います。




※「羽豆岬」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/02/blog-post_34.html
 SKE48における「海」が、恋人同士の関係性の変化や期待の場として描かれることが中心になっていましたね。

 それでは、次にSTU48の曲に描かれている「海」を考えてみましょう。
 やはり、瀬戸内を拠点に活動しているグループだけに海に関する曲が多いです。
 その中で2つのタイプに分けました。

 ① 内観型
 先ほどSKE48の「羽豆岬」に少し要素が似ているな、と思うのが「暗闇」です。
 主人公の心のよりどころになるのは、海が見える「水平線」です。
 そして、夜の暗闇の中で自分の心の声に耳を澄まします。
 詳しくは「暗闇」の記事をご確認あれ!

 また、カップリング曲の「海の色を知っているか?」でも、四国の海から主人公は様々なことを学び、成長していきます。何色の絵の具で海を描けばいいのか、というのは、物事の捉え方についてもそうですが、秋元康のSTU48の「海」に対する可能性はまだまだあるようにも、僕には聞こえます。





※「暗闇」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/02/blog-post_24.html
※「海の色を知っているか?」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/08/blog-post_14.html
 ② 満ち引き型
 シングル曲の2枚目「風を待つ」と3枚目「大好きな人」は、非常に対照的な1曲です。
 君を乗せた船と春を岬で待つ「風を待つ」。
 海に向かって大好きな人との別れを叫ぶ「大好きな人」。
 期待と切なさが、まるで、潮の満ち引きのようにSTU48のシングルの中では描かれます。
 個人的には、「風を待つ」と「夏よ、急げ」はどちらも「君」のことを思い浮かべながら、次の季節を待つという共通点はありますが、岬と砂浜の違いや、盛り上がりのスピード感の違いが面白いですね。
 「大好きな人」は、大好きな人を送り出すことで、主人公が一つ成長するという切ない世界観(特に大サビ)が素晴らしいです。
 

 ※「風を待つ」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/02/blog-post_60.html
 ※「大好きな人」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/08/blog-post_11.html

③ 立場型
 シングルのカップリング曲に「出航」という曲があります。
 この曲はSTU48号の完成タイミングに出されたものですが、歌詞をすべて読むと、「水夫」である主人公たちが旅に出る「海」はどこかアイドル業界を連想させられるものがあります。
 詳しくは、出港の記事をごらんあれ!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/02/blog-post_82.html

 さてさて、STU48の「海」にまつわる曲を観てきましたが、特徴としては、主人公が一人で「海」に来ていることですね。
 そして、そこで自分の心を見つめたり、期待をしたり、悲しみを叫んだり、という自分の心を受け止める場所として描かれています。この辺りは「暗闇」から「大好きな人」まで繋がるものではないか、と思っています。
 「無謀な夢は覚めることはない」から「思い出せる恋をしよう」にかけて新しいフェイズに入ったのかな、と考えていますが、また新しい海曲も聴いてみたいな、と思っています。

 こうして並べてみると、SKE48の「羽豆岬」という特殊な場を除くと、SKE48の「海」は他者との関係性の変化と期待。STU48の「海」が自己の内面の調和と成長を描いた場として描かれることが多いというのが僕の結論です。
 それは、2つのグループのキャリアを考えてみると、更に納得できるかも知れません。
 SKE48で次の海曲がどのように描かれるか、新しいフェイズに入ったSTU48のシングル曲が、再び海曲に戻った時にどのような感じの世界観になっているかも楽しみです。

 最後に「いや、まだこんな海曲あっただろ!映画『透明人間』みたいな圧のかけ方をするぞ!」というあなた。
 気づけなくて申し訳ないです。
 是非、ご自身で確かめてみてください。
 今回は「海」という風景で切り取ってみましたが、他にも色々な風景から見えてくるものがあるかも知れません。

2020年7月24日金曜日

AKB0048と音楽

声という楽器を外して





 皆さん、繰り返し聴くサントラはありますかね?
 
 好きな映画やドラマ、アニメ、色々なサントラがあると思います。
 僕個人としては、映画「シング・ストリート」や映画「ロッキー4」のサントラはよく聴いています。
 あと、1曲だけ好き!というものでしたら、映画「パトレイバー1」のこれとか、凄いカッコ良くて好きです。オープニング5分からの「監督 押井守」そして、タイトルが出てきた時のカッコ良さ(映画「パトレイバー2」のメインテーマも好きです)。




 また、少しだけオーケストラ曲も勉強し始めましてね。
 きっかけは、去年、映画「ラストエンペラー」のメインテーマを聴いて感動したからなんです。open the door.

 

 さて、何の話がしたいんだという方もいらっしゃるかも知れませんが、オーケストラで演奏することで、楽曲の奥行というか世界観って大きく広がるんだな、と思ったんです。音の情報量だけではなく、時には共鳴し、時にはずれる楽器の一つ一つが曲の実像を描いていく。
 そして、オーケストラ的な音楽は、サントラとも相性が良くて、物語の感動を助けます。たとえば、映画「シン・ゴジラ」の一番最初のクレジットが出て、キャストの名前が並ぶ時のなんかあの不安な感じの音楽、たまんないですよね。
 
 前置きが長くなりましたが、サントラが素晴らしくてオーケストラ曲も凄いという上記の条件を奇跡的に満たす作品がこの世界にはあります。
 それが、「AKB0048」です。
 
 えっ、AKBのアニメ?
 そう思われた方もいらっしゃる方もいるかも知れません。
 しかし、こちらの作品、10年前の作品なのにも関わらず、「アイドルとは?人を応援することとは?」ということを考えさえられる名作なんです。

 そして、こちらの作品。
 サントラが本当に素晴らしい。
 まず、特筆すべきは、AKB48のヒット曲がオーケストラバージョンになっていること。
 たとえば、「ヘビーローテーション」のオーケストラバージョンのわくわくする多幸感は、「ポップコーンが弾けるように」という言葉がぴったりです。
 僕はシングルよりもこっちのバージョンの方が、今では好きです。
 また、自分の気持ちに素直になる時によく使われる「会いたかった」のオーケストラバージョンも凄く良いんですよね。「好きならば好きだと言おう」とBGMが主人公たちを後押しするかのように使われています。この辺りはヒット曲だからこそ、歌詞が流れなくても意味が一つ重なるというものがありますね。これは「大声ダイヤモンド」のオーケストラバージョンにも言えます。
 さらに、オリジナル曲である「希望について」のオーケストラバージョンは、原曲のスピード感あるメロディから、少しゆっくりになり、希望が確信にかわる何かを感じさせていいんですよね。
 「pioneer」からのチーム曲メロディもカッコいい。
 ちなみに、「0048」のブルーレイの5巻を買うとサントラが入っているんですが、衝撃的なことにある名曲のオーケストラバージョンが入っていない!
 それは「シアターの女神」が入っていないことです!
 こちらは第12話「愛を歌うアイドル」という回で、友歌と護の切ない別れの後にかかるんですね(話の中での「大声ダイヤモンド」の使い方も最高です)。これが話の余韻を残す感じでいいんですよね。護視点から見た友歌をみているようで。でも、友歌視点からみたら、「自分の愛を歌う人ではなくて、あくまで自分の友として歌う人でないといけない」切なさもあります。これは、シーズン2の最終回でもう一度我々は認識することになります。

 あと、このアニメ、日常パートの音楽が凄く良いんですよね。
 日常パート版の「会いたかった」ものんびりしてて好きです。
 
 さらに、このアニメの魅力は、生歌!
 しかも、声優さんたちがAKBのヒット曲を歌ってくれています。
 神田朱未さんの「風は吹いてる」や「ヘビロテ」は本当に素晴らしい。
 また、48曲以外のBGMも良くて、僕は戦闘準備の時に使われるBGMとかが超好みでした。

 オーケストラバージョンになることで、スピードや強調される面も変わってきます。何気ないメロディから聞き覚えのあるメロディに変わった時の「きたよきたよ、これこれ」という嬉しさや感動。
 僕はこのアニメを通して、やっぱりAKBは良い曲が多いなあと改めて実感しました。

 まだ観てない人もこれから観る人も、是非、音楽にも注目してくださいね。ここぞという時にかかるので。
 ところで、「SKE0048」は「無意識の色」のオーケストラバージョンは入るんですかね?

 

2020年7月23日木曜日

2020/07/23 ライブライブライブのSKEの感想

願いと自由と新しさ


 テレビ愛知さんが主宰する、アイドルたちが無観客でライブを披露していくイベント「ライブライブライブ」が本日、7月23日に配信されました。
 この日の為に、「LOCIPO」をダウンロードしましてね。
 仕事が終わったのが17時だったので、なんとか野島さんが始まるところには間に合いました。
 今回の野島さんの曲のセットリストは下記の通り!
① 夢の在処へ
② プロローグ(Uru)
③ 水のないプール
 僕はコンサートの一曲目がいつも気になる質でしてね。
 会場がまず盛り上がる瞬間であり、「これが来たか!」という驚きや「今回は名刺代わりのこれできましたか!」とか、様々な思いが交錯するのが一曲目です。
 さて、「夢の在処へ」なんですが、まず彼女の口から発せられた「とても」という言葉。この「とても」が凄く良かったんですよね。僕は、ここで心がまず揺さぶられました。彼女の声が一つの楽器としてみた時も優れた音色を出しているんだなあ、と耳で感じた瞬間でした。
 そして、「伝える」ということを意識させられる歌い方。
 ちょっと、左手が開いた状態で動きすぎかな、と思っていたら、「こんなに熱くなる」というところで、ぎゅっと握りしめるところで、気持ちがこちらに届いて感動しました。
 で、これでお腹いっぱいだよ、となりそうなんですが、2曲目、3曲目もよくてですね。2曲目の「プロローグ」の「行き場もなくて」や「さまよいながら」のところの歌い方も良かったですね。
 3曲目の「水のないプール」では、曲の間に様々な彼女の言葉が加えられていき、これからの毎日に僅かな希望を連想させてくれる終わり方でした。「人は皆不器用で」のところの表情も凄く良かったです。
 本当に一人の歌手として成長してるんだなあ、としみじみ思いました。
 3曲という限られた曲の中で素晴らしいパフォーマンスを行えたのではないかと思います。
 次は、以前のソロコンサートで披露した「雨のピアニスト」のような激しめの感情を爆発させる曲も聴いてみたいな、と感じました。
 このコンサートを観て、野島さん推しになったという他のアイドルグループのファンの方も増えたたのでは、と思うぐらい、素敵なパフォーマンスでした。
 3曲の中だと歌詞と社会とのリンクを感じる「夢の在処へ」がベストでしょうか。
 肉体的にも精神的にも疲れた僕には、本当に力をもらえた1曲でした。

 さあ、次は古畑奈和さんです。
 正直、優しくて未来を感じさせる世界観を見せた野島さんの後で、どう来るんだ、と思ってたんですね。
 僕の事前の予想では、ソロ曲の「観覧車」とかで夏の夕焼けの景色とリンクさせるような世界観で来るかな(個人的に『観覧車』がソロ曲で一番好き)、と思いきや…。
 認識不足でした!
 まず、歌う前に自由に歌うことや、普段16人で歌っている歌を一人で歌うと語りましてね。「んっ?公演曲かな?」と予想していたわけです。
 「一人じゃ華やかさに欠ける」と自虐気味なことを言いつつも、「こういう歌い方もあってこういう聴き方もしてほしいな」と歌の可能性を広げる予感をさせるMCから始まりましてね。
 「新しい音楽にふれられたら」というしめくくりから、迎えた1曲目は「ソーユートコあるよね?」
 もし、古畑奈和がそのままセンターだったら、というIFの歴史を2020年に観ることになるとは!
 「そいつ何者だ?」の声の強さとカッコ良さ。
 「人間関係」のあとをあえて歌わなかったのは、何故なのか気になりますね。
 1曲目から意表をつかれました。
 だーすーの曲だと思っていた「ソーユートコあるよね?」の新しいイメージを1つ、いきなり作ってしまいました。
 
 2曲目は、「Two years later」。
 うーむ、ここで公演曲きましたか、と。
 奈和ちゃんの色気と苦悩が爆発した1曲でした。
 
 そして、今回の「ライブライブライブ」の白眉は「コールガール」です。
 ボーカロイド系の曲は、あまり知らないので、こんな曲があったのか、という衝撃でした。まさに「新しい音楽にふれられたら」!
 作詞作曲された方がセルフカバーしたバージョンを貼っておきますね。
 


  時計をみると、もうすぐ18時30分。
 「18時30分」に「お酒」というと、「乙女酒」や「えにし酒」を思い出しますが、いやあ、日曜日の「お酒」がみんなで呑む楽しいお酒だとしたら(僕はお酒を呑めませんので想像ですが)、木曜日の「18時30分」の「お酒」は酒場で一人で悪酔いしていくお酒のイメージですね。
 この曲をお酒を愛する奈和ちゃんが唄うというベストマッチ!
 奈和ちゃんが唄う曲としては珍しい「俺」という一人称も面白いですが、韻を踏んだ歌詞の気持ち良さや自堕落的な世界観を表現する奈和ちゃんも素晴らしい。
 これ、どっかでまた聴きたいなあ、と思う1曲でした。


 そして、お酒で解放されたのが「本性」!
 奈和ちゃんのソロ曲としての知名度もyoutubeでの曲配信でより高まったところでのこれですよ。
 デカダン的な雰囲気のカバー曲の世界からどう転調させるかと思っていたんですが、これで来たか!という感じです。
 最後の最後に加速した剥き出しの古畑奈和ワールドをぶつけてきた感じですね。
 配信を観ていた他のグループのアイドルファンの方にはどう映ったのか、こちらも興味がありますね。
 手の動きで表情がすっと変わる演出にはクラクラしましたね。
 もう完全に自分のものにしている感じ。

 あっという間に終わってしまいました。

 SKE48には、こんな才能あふれる歌姫が二人もいる。しかも、二人とも輝き方は違うのに同じグループで違うチームにいるという面白さ。
 もし、叶うならば、奈和ちゃん版の「夢の在処」や野島さん版の「本能」とかも聴いてみたいですね。
 なんだか、早くコンサートやライブを生で体感したくなってきました。
 勿論、配信というみんなが平等に楽しめて曲をじっくりと聴ける形式も楽しいですけどね。
 今回で野島さんや奈和ちゃんを知ってくれた人達の為に、是非、配信販売系は強化してほしいなあ、と思います。
 さらに言うならば、野島さんのソロアルバムや奈和ちゃんのソロアルバムも攻めて欲しいところですね。こういう「曲」をじっくりと楽しめるコンサートで輝ける曲がまた増えて欲しいな、と思います。そして、また、多くの人にリーチする機会に恵まれますように。

 で、「コールボーイ」の古畑奈和版はいつ配信販売するんだい?
 

 

2020年7月20日月曜日

第3回アンケート企画結果発表!

夢は何度でも生まれ変わる


 さて、今週もアンケート企画を実施しました。
 今回の質問と答えはこちら!




 うーむ、わりと均衡した結果になりましたね。
 「一人目」という16%の方は、まさに推し始めたところの方もいれば、ずっと一人目の推しを応援し続けているという人もいらっしゃるんでしょうね(実際にコメントをくださった方もいました)。
 
 「二人目」という方と「三人目」という方は、僅か1.4%差。
  さらに「四人目以上」という方は25.3%と上の二つの選択肢より少し下がりますが、4分の1を占めていますね。

 ただ、この質問。
 僕の想像力の欠如も浮き彫りにしましてね。
 「箱推しはどうする?」、「大組閣で別のグループに行ったから、同時に推していた」など、様々なケースが出てきました。
 いやあ、アイドルの推し方って色々あったなあ、と改めて認識させられました。

 更に深追いできるとすれば、「四人目以上」の方々は今、何人目ぐらいなのかな、という質問もしたかったですね。一つのグループに限らず、色々なグループを応援してきた方なら、結構いるのかな、とかね。そこからどんな共通点があるのか、とか分析すると自分の好きになる傾向が見えてくるんですかね。

 ちなみに、僕は、中西優香(SKE48)→岡田美紅(SKE48)→五十嵐早香(SKE48)の3人目という流れです。
 中西は努力家なところ、みいぽぽは声、早香先生は文才に惹かれました。
 うーむ、共通点がない!
 ただ、どこからが1推しかというのは難しくて、気づいたら「なんかこの人の情報を追ってるな」とか「公演やコンサートで目が追ってしまうな」というところから、気づいたら1推しになっているということが多いんじゃないでしょうか?
 さらに書くならば、自分ではない誰かの幸せを自分の幸せと思えるぐらい魅力的な人に沢山出会いたいな、と僕も思います。
 本当にたわいもない一言で笑顔にしてもらえる、そんな推しに後何人出会えるでしょう。
 なかには、「よーしっ、本日をもってこの人を1推しとする!」という方もいらっしゃるかもしれませんが。

 皆さんの1推しができるまでや、その1推しがどこまで夢を叶えられたのか、今は1推しのことをどう思っているのか、皆さんのストーリーが聞きたくなったアンケート結果でした。

 

2020年7月19日日曜日

ファンの皆さんがくれたもの

声が届く幸せ




 皆さんは、推しと会えない時間をどのように過ごすでしょうか?

 かつて大場美奈は、2011年9月2日から2012年1月4日まで過去のプロフ流出で謹慎したことがありました。
 このことに関するWEB上の関連記事は4万を超えます。
 4万全てを確認できてないですが、まず、本人への過去のことに関するプロモーションも兼ねたインタビューの記事がいくつか出てきます。
 次にあることないことを書いたり、ニュースをそのまま書いただけだったり、「調べてみたけど分かりませんでした」みたいな記事が多かったです。
 しかし、その中で気になるものもありました。
 以前、このブログでみなるんこと大場美奈のことを取り上げる為に、色々と調べている時にあるファンの方のブログを発見しました。そこには、推しには会えないけども、それでも変わらずに応援する旨が日々書き綴られていました(URL貼りたいんですが、もうネットの海に飲み込まれて見つかりませんでした。画像にメッセージを書いてるタイプのブログだったので、アメブロとかではないはずです)。
 他にもいくつかのブログで、彼女を待つメッセージを書いてらっしゃる方を発見しました。Googleプラスも見たかったんですが、こちらはもう閉鎖されていて確認できませんでした。
 僕の話になって恐縮ですが、かつて自分の推しにスキャンダルが出て、何も運営から発表がなかった時に、「いや、僕は推しを信じる!イモーターン!」とも「裏切り者は許さん!滅亡迅雷!」となることもなく、凄い宙ぶらりんな気持ちで推し続けることしかできませんでした。信じてるんですが、心の中が少しもやっとするという感じです。
 だから、みなるんのように謹慎を申し出て、ファンの方々が1回それを受け入れて待ち続けるというのはとても羨ましかったな、と思います。

 復帰した彼女のチーム4での活躍はここでは控えますが、ドキュメンタリー映画の3作目を観ていくと、ようやく物語が少しずつでき始めていた時に組閣で解散が発表されます。
 毎回ドキュメンタリー映画でこの場面を見ると、胸が締め付けられるような気持ちになります。
 
 2013年4月28日からSKE48のチームK2兼任が発表され、2014年2月24日の大組閣からSKE48に移籍します。
 彼女が4回チャレンジしてついに入ったAKB48を離れる決断をします(4期・5期・7期)。
 その時の気持ちはこちらのアメブロをチェック!
https://ameblo.jp/ske48official/entry-12591379484.html?frm=theme

 そこから大場美奈は、SKE48を引っ張っていく存在に成長していきます。
 ファンの皆さんとの関係も高めていき、最後の総選挙では自身が憧れた柏木由紀さんが2010年にランクインした8位まで昇り詰めました。
 この時の気持ちは2020年3月15日のブログで確認しましょう。
https://ameblo.jp/ske48official/entry-12582440492.html?frm=theme

 総選挙のスピーチのためのマイクに向かうまでの幸せな時間。
 彼女とファンの方々との関係が、形になった一つの瞬間だと思います。

 しかし、僕は今、彼女とファンの方々との関係はより強固になっているのでは、と思います。それはコロナ禍でSKE48での活動が止まった数か月間、自身のアメブロでファンの方との質問に答えていきます。
 握手会という限られた時間で話す場合と違って、彼女がじっくりと考え丁寧に答えられる。そして、多くの人が確認する場なので質問のリテラシーも上がっていくこと。さらに、他推しの人も参加しやすい。
 さらに、彼女がきちんとコメントに目を通してくれる。

 会えなくてもちゃんと声が届く。

 テーマトークで一番印象的だったのが、SKE48に来て変わったことについて書いた「過去の自分にソーユートコあるよね?」の回です。
https://ameblo.jp/ske48official/entry-12561114956.html?frm=theme

 自分なんかが、と思っていた彼女が素直に自分の思いを表して、選ばれる人になっていく、その気持ちを作ってくれたのがみなるんファンの皆さんだった、というのが凄く良い関係だなあ、と僕は思います(2020年2月12日のブログでも『自信』を作ってくれたファンの皆さんへの感謝を述べています。https://ameblo.jp/ske48official/entry-12574604155.html?frm=theme)。
 チーム4時代に応援ブログを作っていたあの人は、今でもみなるんファンでいるんでしょうか。この写真の中に居たりするんでしょうか。今も彼女を推し続けているんでしょうか?

 2019年4月13日にあった生誕祭では、「来年もし、総選挙があったら7位になりたい」という目標を掲げました。
 僕は「ひょっとしたら、行けるんじゃないか」と思っています。
 8位という結果を出したことで写真集を出版することが出来たというのは、目に見える大きな成果ですし、また、次の仕事に繋がっていくかも知れません。その可能性にかけたい、彼女の未来に投資したいと思う人はこのコロナ禍の間に増えたんじゃないでしょうか。
 
 ウイルスも不安も目に見えませんが、可能性も希望も同じように目に見えないと僕は思っています。
 同じように信頼関係も。
 会えない間に彼女はファンの声を読み、ファンの声に応えていった。
 そうすることによって、信頼関係はより強まっていったのではないか、と思います。

 かつて、自分が絶望に落ちた経験は映画「地獄少女」での経験で生きていますし(詳しくはこちらをご覧あれ!https://townwork.net/magazine/job/workstyle/89514/)、かつて憧れた柏木由紀のような正統派アイドルは、先日の「コップの中の木漏れ日」でしっかり表現できていると僕は思います。

 最後に2020年4月6日の彼女のブログを貼っておきたいと思います。
https://ameblo.jp/ske48official/entry-12587640572.html?frm=theme

 この文章を読むと、本当に彼女は状況を客観視して分析できるところが、本当に唯一無二の存在だと感じます。
 演技する彼女が映画館やテレビ、配信で沢山観られる日がこれからも増えて欲しいです。個人的にはコメディ演技が大好きなので、野間口さんとのコントがもっと観たいなあ、とも思ったりしてます(https://ameblo.jp/ske48official/entry-12562392357.html?frm=theme)。

 ファンの皆さんと作った「自信」。 
 これも目に見えないです。
 けれど、目に見えない「自信」が、ファンの皆さんという帰る場所が、時計の針が進み始めた時に、きっと彼女が外の世界で戦える原動力になるのではないか、と思います。


2020年7月17日金曜日

物語ることについて

僕らが夢見て重ねていくごとに


 先日、欅坂46の配信ライブを観ました。
 センターを務め続けてきた平手友梨奈さんの「脱退」後、初のライブでもありました。
 昨年10月の東京ドーム公演以来のコンサートということで、ずっとため込んでいていたフラストレーションを爆発させるようなライブでした。特に小林さんの「ガラスを割れ!」は色々な感情を爆発させる感じがして鳥肌が立ちました。更に、コンサートという観客の方向が決まっているわけでも、テレビスタジオという限られた空間でもない、自由な空間でのライブが新鮮でした。
 最後にキャプテンの菅井さんの口から、解散と改名が宣言されました。
 残ったメンバーで欅坂46を続けるのではなく、一度改名して再スタートを始めることにした欅坂46に対しては、同じ坂道グループで改名して成功した日向坂46という成功例がありますし、メンバー一人一人の成長を期待できるグループですので、頑張ってほしいです。
 欅坂46が作ったムーブメントの一つとして、アイドルをただ「尊い」とか「〇〇しか勝たん!」というような一瞬の愛で方ではなく、じっくりと曲や世界観について語るムーブメントをアイドル文化の外に広げたことだと思います。48グループの頃には触ってくれなかった人々やメディアが表紙に持ってきて、語ってくれたことは大きいと思います。もっというと、アイドル曲と社会性を繋げる秋元康の歌謡曲的な側面を復活させたところも素晴らしいと個人的に思っています。

 しかし、何故解散して改名する必要があるのか?
 考えた時にまず、思いつくのがこれまで絶対的なセンターを務めていた平手さんの存在があります。彼女なしで欅坂46の歴史は語れません。でも、歴史を続けることもできたのではないかな、と外野の目線からは思います。
 AKB48という2000年代後半か盛り上がったネットメディアの力を借りつつ成長したグループに対して、一度、ゲーム性を抜いて昭和的な距離感に戻したコンサバ感のある乃木坂46。そのカウンターとして登場した欅坂46。そのロック感は、多くのファンの共感を集めて、メディアもそれに賛同しました。中心に居たのは平手さんでした。
 気づけば、等身大の平手さんと作り上げられた欅坂46のセンター「平手友梨奈」の差は開いていったのではないか、と思います。勿論、彼女自身の才能や努力もあると思います。しかし、彼女のレギュラー番組のラジオなどで自分の好きなものについて語り、「けやかけ」でも少なくとも土田さんや澤部さんは普通のメンバーの一人として扱ってくれていたと、坂道ファンの友人はおっしゃっていました。
 
 僕は昨日の欅坂46のコンサートを観ながら、ああ、この光景はどこかで観たことがあるなあ、と思っていました。
 それは2018年夏のSKE48でした。
 あの夏、SKE48の絶対的センターの松井珠理奈はいませんでした。
 その中で須田亜香里を始めとする後輩メンバーたちで支え合いながら、当時、総選挙1位というタイトルを獲得したばかりのセンターがいない、という巨大な穴を埋める為に必死で走り続けてきました。
 復帰した彼女は、一歩引きながらSKE48の成長を見守る立場をとり、その後、卒業を決意しました。
 
 今、考えると、彼女は色々な物語を作られてきた人だと思います。
 「小学生センター」としてAKB48のセンターでデビューし、SKE48のセンターを務め続けた彼女。
 総選挙1位を目指すべく、様々なメディアで活躍していきました。
 ただ、彼女は発信がそこまで得意ではなく(これは発信を得意とするメンバーが多いSKE48の中で比較した時ですが)、喋りのメディアであるshowroomと出会うまでは、自分の考えをストレートに伝える場や機会は限られていたと思います。
 自分からの発信が少ない分、周りが作る「物語」が彼女の上には降ってきます。
 それは「語り」ではなくて「騙り」の時もありました。
 アイドルという共同幻想には、当然「物語」が必要だと思いますが、珠理奈に与えられた物語、そして、僕らが期待する物語に応えようとして、彼女は追い詰められ、2018年夏のあの状態になったのではないか、と僕は考えます。彼女自体がスポーツマン精神のある人で、負けん気もあるので、その物語を背負えるだけの強さがあったと思います。
 でも、徐々にその物語の価値は薄れていき、自分に物語を与えたはずの人達も別の物語に目移りしてしまった。
 それでも、なんとか先輩たちや同期たちが残して行った物語の続きを、自分で新たに綴っていこうとする珠理奈。
 本来、料理が好きで繊細な一人の女性が背負った物語が、その人を押しつぶしていく過程をドキュメンタリー映像「アイドル」で見せられた気がしました。

 昨日の夜、欅坂46のコンサートを観終わってから、僕は暫く眠れませんでした。
 平手友梨奈と松井珠理奈

 大きな物語の主人公。

 残された欅坂46とSKE48。

 これからの物語。

 新しい主人公を作るか、新しい物語を作るか。

 この二つのものを並べた時に、何が見えてくるだろう。
 どっちが良いとかどっちが悪いとかではなくて。
 自分の中でまだ、ぼんやりとしか輪郭が見えていません。

 ただ、アイドルについて語ること自体が、その人達に「重荷」を一つ背負わせることになるのではないか、1ナノミクロンの10分の1でも加担することになるのではと思いましてね(いや、お前の語りなんて鳥の羽より軽いよ、という意見もごもっとも)。
 もう、こういうこと自体やめようかな、と思い始めている自分がいました。

 完全に相手のことを知ることは出来ない。
 「カンチガイの海」という僕の好きな歌があります。
 認識論について考えさせられる曲なんですが、せめて自分の好きな人達に対しては、マイナスの物語ではなく、プラスの物語を語れないか。できれば、その人の本質からずれないように、ファンの人達が発見や価値転倒が起きるような物語を語れないか、というのが、今の僕のSKE48を始めとするアイドル文化について考えたことです。

 これだけ色々なことを語れる素晴らしい文化なだけに、もう一度、接し方や語り方を考えたいなあ、とぼんやり考えています。

※抽象的な内容が多めで申し訳ありません。
 でも、これが今の僕の気持ちです。
 センターイコール主人公ではないのも重々承知で書いています。

2020年7月13日月曜日

生写真「グーチョキパー」以外に何がある?

ポーズとは?


 皆さんは、生写真は好きですかね。
 僕はコンサートに行った思い出に1セットランダム生写真を買って帰っていました。

 でも、なかなか生写真って、買った時以上のテンションで楽しむことが難しくてですね。だいたい、収納ボックスの中に入れて、終わりという感じだったんですね。
 
 ところがですね。
 昨日の深夜に放送された「日向坂で会いましょう」の影山優佳さん復活企画の中で、影山さんが「生写真とかの撮影で、グーチョキパーだけで、色々なポーズが取れるんです」とおっしゃってましてね。
 ううむ、そう言われてみれば、「グーチョキパー」のポーズがSKE48の生写真で多いなと思いましてね。
 これは調べてみるしかない!
 そう思って、我が家の生写真ボックスを開けたんですが、それだけでは飽き足らず、映画「透明人間」を観に行くついでに、なんばのでらなんなんにも行ってきました。

 ※親切な店長さんに許可をいただき、かおたん推し界のレジェンド加藤慎平さんのサイン色紙も撮影させていただきました。

 物凄い端の方に追いやられた48棚からSKE48の生写真の中で、ちょっと気になるポーズのものを選ん買いました。
 さて、映画「透明人間」にビビりまくった僕は帰宅。
 早速生写真を確認してみることにしました。

 まずは、グー・チョキ・パーのポーズ。




 よく見るやつですね。
 これもメンバーによって、手の持って行き方によって個性が出ますね。

 じゃあ、ここからは、少し変化球のポーズ。
 まず珠理奈のポーズ。
 うーむ、カッコいい。

 次はハートを作るポーズ。

 お願いするポーズの奈和ちゃんもいいですね。

 色々とありますが、指差しポーズも印象的ですね。


 佐藤実絵子さんは、一味違って数字を作ってますね。

 そして、僕がポーズで気なったメンバーはこの人!
 ちゅりこと高柳明音です!





 いやあ、ポーズの宝庫。
 

 これから生写真を見る時に推しはどんなポーズをしているか、何か新しいポーズを開発していないか、そもそも「グー派か?チョキ派か?パー派か?」どれがお気にいりかを探してみるのも面白いかも知れませんね。

 さあて、新たな推しが誕生した今、生写真をまたコンサート会場とかで買おうかしら。
 個人的には、総選挙ポスターの生写真が完成度高くて好きなんですよね。
 秦さんのは、美しいので写真スタンドに入れています。さっきの浴衣も素敵ですが、「孤独なバレリーナ」の衣装が似合う。


 ちょっと昔の生写真を見ていると、当時の思い出が色々と思い出されますね。
 個人的にはこの写真が印象的です。


 この話の続きが観たかったんだよなあ、と思います。
 今の推しは納得いくところまで頑張って欲しい。
 
 皆さんは、お気に入りの生写真のポーズやエピソードはありますか?
  



 

2020年7月12日日曜日

第2回アンケート企画結果発表!

たこつぼ化する前に


 さて、毎週日曜更新のアンケート企画の結果を今週も発表しますよ。

 今回は、SKE48ファンにいつからなったのかです。
 僕の数日後に、推しメンの五十嵐早香さんが、showroom配信で僕よりも詳細でキャパの大きいアンケートを取っていて、心が折れそうになったんですが、負けじと結果を分析したいと思いますよ。
 ちょっと見てみましょう。



  なんというか、ベテランがめちゃくちゃ多いですね。 
 下へ行けば行くほど少なくなるのは、SKE48のメディア出演と比例していると思います(須田亜香里個人で見ると、過去よりも現在の方が露出していますが)。
 僕が興味深いのは、大組閣からマンゴーまでにSKE48が好きになった方の数です。
 「暗黒時代」と定義する方もいらっしゃいますが、この試行錯誤を繰り返していた時期に何故ファンになったのか、その理由を知ることで2020年の新規ファン獲得のヒントになるような気がします。
 大組閣で他のグループから流れてきたよ、という方もその中には含まれているかもしれませんが、それ以外の完全な新規ファンの方がどのようにして生まれたか。
 非常に興味深いところです。

 更に、マンゴー以降にファンになった方は、ゆななの効果なのか、それとも、8期から10期までの誰かなのか。もの凄く気になります。
 昔と比べて入り口は少なくなったかも知れません、また、「SKE48はよく知らないけど、このメンバーは知っている」という人も多いかも知れません(だーすーしかり、おしゆきしかり)。
 問題は、点をどうやって線にするか。
 どうやってドアを開いてもらうか。
 だーすーが、Twitterなどで、自分に関するツイートをしたファンではない視聴者をよく「スキ」や「リツイート」していますが、これも立派な線にする機会を生む行動だと思います。
 できれば、アイドルとあまりリーチしない業界や媒体でどんどん活躍するメンバーが出てきて欲しいですが、果たしてどこがベストなのか、僕にはまだ分かりません。
 ただ、松井珠理奈が新日本プロレスアンバサダーとなり、「知っている」からプロレスファンの方々から「信用できる」や「好きになった」を獲得できたように、本気の「好き」で向き合うというのが一つの成功例かもしれません。
 
 僕個人としては、推しメンの五十嵐早香先生が、松井玲奈や日向坂46の宮田愛萌さんのように、自身の小説を文学の世界で発表してほしいな、と思いますよ。

 なんとなく思い浮かんだ曲を貼ってお別れです。
 SKE48の話が出来る人、曲やメンバーのドラマを共有できる人が一人でも増えますように。

2020年7月10日金曜日

アイドルと言葉

「アイドル」と「古畑奈和」







 アイドルというのは、何時から何時までアイドルとして消費されていくんでしょう。

 先日、映画監督でスクリプトドクターの三宅隆太さんの著作、「スクリプトドクターのプレゼンテーション術」を読みました。「クロユリ団地」や「劇場霊」といったホラー映画を沢山とりながら、アイドルとも仕事をすることが多い三宅監督。
 撮影現場に朝早く、まだすっぴんで入ってくるアイドルの子たちを見て、今は芸名のアイドルではなく、本名の一人の女の子なんだな、と感じられたことがあるそうです。

 彼は元々、岡田有希子さんのファンでしたが、彼女が若くして自殺してから、アイドルというシステムの消費のメカニズムから、距離を取っていたそうです。ファンとしても消費者としても、何もできなかった自分に感じるところがあったそうです。
 映像作家としてデビューしてからも、暫くは、アイドルとの仕事は距離を取っていたそうです。
 ただ、撮影現場にやってくる素の状態のアイドルたちを見て、今の自分なら何かサポートできるのでは、と思い、アイドルとの仕事を引き受けるようになったそうです。
(詳しくは、著作を読んでください)

 実は、アイドルを推すということは、彼女たちを消費するシステムに加担することですし、そのせいで等身大の彼女たちとアイドルとしての彼女を、時にはどんどん引き離してしまうんじゃないか、と考えてしまうこともあります。

 「消費」という書き方をしましたが、まるで、アイドルを「モノ」のように見ている人もいます。たとえば、ランダム生写真を会場で開けている集団をたまに見かけますが「うわあ、メンバー弱いわあ」とか「雑魚ばっか」という人がいます。
 「いや、他に言い方ないのか、そもそも生写真にしてもらうって結構凄いことだぞ、お前は何かそれぐらいの実績だしてるのか?お前の方が雑魚じゃないのか?」と思うこともあります。
 これは、まだ僕がアイドルを「人」として見ているからで、「モノ」としては見てないからだと都合良く解釈しています。
 極端な例を上げましたが、本当に「人」として考えて発言してる?と言いたくなるようなことを握手会で言う人や配信で罵詈雑言を浴びせる人もいます。
 先日、こっちゃんこと白井琴望がyoutubeで卒業発表をした際もチャットで10代の子に対して汚い言葉をひたすら書いている人がいました。僕にできるのは「報告・通報」ボタンを押すことぐらいです。

 なんで、直接人を傷つけるのか?
 メンバーにわざわざ推し変しに言いに行く連中の、自分のことしか考えてない思考は何だ?と思うこともあります。
 うしろめたさでしょうか?
 「推し増し」という手もある気もしますが、「消費」の仕方はその人たちそれぞれだから、僕がとやかく言えた義理ではありませんが、もう少しメンバーのことを考えたら、と思うことはあります。

 なんでこんなことを長々と書いたのか、というと、僕の心の柔らかい場所を未だにまだ締め付けるブログがあります。
 古畑奈和の2018年1月16日のブログです。
 ちょっと読んでみてください。

 2018年に読んだ時も、全く別の奈和ちゃんの記事を書くために2013年から2020年までのブログをかたっぱしから遡って読んでいる時に発見した時も、とても心が寂しくなったのを覚えています。
 なんで、この子がこんな思いをしなきゃいけないんだ、と。
 アイドルとしての古畑奈和が書いているけれど、「傷付」いたのは、人間としての古畑奈和でもある。
 タイトルで前置きをしてくれているものの、内容を考えると素直に受け取るのは難しい内容です。

 アイドルを続けている間、こんな思いをし続けるのか?
 「消費者」としてではなく、「ファン」として何か出来ることがないか?

 アイドルがSNSを更新する度にコメントを残している人達がいます。
 「おはよう」という投稿に対して、挨拶を返す人達。
 企業のSNS戦略としては、非常に合っているらしいということは先日読んだキングジムやSEGAといったSNS戦略で成功している企業を特集した本にも書いてありましたが、果たして、アイドルたちの何気ない挨拶にコメントを返すことに何の意味があるのか?
 僕はブログを始めるまで、わりと冷笑的でした。
 映画で応援上映をする人たちを見て、いや、そこには映像が映された幕しかないから、というぐらいの冷め具合でした。

 でも、ブログを始めてから、何気ないコメントの嬉しさ、「いいね」や「リツイート」をしていただいた時の「味方が居た」感。確かにこれは意味があるんだ、とひしひしと感じました。
 そう、NONAMEの名曲「この涙を君に捧ぐ」の中で(この曲はアイドルの『君』と名もなき『僕』の関係と読み取ることができます。詳しく考えたい人は『AKB0048』AKB0048を観てください)、「こんな僕に出来ることは 君の虚しさをただ癒すこと」という一節があります。
 活動をしながら、「虚しさ」を感じる時。
 何気ない、ファンからのコメントが力になることがある。

 先ほど挙げたブログから、約2週間後の2018年1月29日の奈和ちゃんのブログを読んでみましょう。

 言葉が推しの心を癒していく。
 それなら、いくらでも言葉をかけてあげたい。
 「心のおちびさん」をはしゃがせてあげたい。
 アイドルをしていて良かったな、と思える瞬間を沢山プレゼントしたい。
 そう思わせてくれる素敵なブログです。

 ちなみに、奈和ちゃんが、自分の文章や言葉について書いたブログも良いので、お時間がある人はどうぞ。

 うーむ、奈和ちゃんの文章が好きな僕としては、たまらない記事でした。

 さて、話を戻しましょう。
 2017年に書いた奈和ちゃんのブログ。
 この後6月にあった総選挙で見事ランクインし、ファンの方との信頼関係は強固ですが、2017年頃はひょっとすると、それが確立される最終段階だったのかもしれません。

 翌年の総選挙開催が決定した時のブログを読んでみましょう(なんか、2018年1月に偏って申し訳ないですが、この月、11月なみに良いブログが多いんですよ)。


 お互いの言葉や文章で心を豊かにできる関係。
 そこには「消費」ではない何か別のものがあるんじゃないか、と僕は思っています。
 様々な苦難を乗り越えてきた奈和ちゃんと、それを支えてきたファンの方々の「人」と「人」としての信頼関係が(48グループがそれだけ人を追い込んでアイドルとしてじゃなくて、「人」としての際をみせるイベントがあることも問題かもしれませんが)、そこにはあると思います。


 いつか、彼女が年をとって一人の女性に戻っても、「心の中のおちびちゃん」がはしゃぎ続ける言葉が残りますように。


2020年7月7日火曜日

おすすめの映画と本「のぼる小寺さん」

君をみている

 皆さんは誰かに影響されたことがありますか? 

 今回紹介する映画「のぼる小寺さん」は、「見る」ということを主軸に描いたというのは、監督が上映前のコメントで語っていましたが、まさに「見る」ものによって人は変わってくるんだなあ、というのがストレートな感想です。

 この作品は体育館のシーンが多いんですが、男子校育ちの登山部・バレー部・ラグビー部・建築部を兼任でやっていた人間としては、体育館はあんな素敵な青春の場ではなく、破壊と暴力のパジェントの場でしかありませんでしたよ。



 
 【ここからはネタバレありです】

 さて、話を作品に戻すと、卓球部の近藤君がボルタリング部でがんばる小寺さんを見つめるところから始まるんですが、この近藤くん始め、小寺さんを見つめている人たちは、自分のやりたいことを見つけていられなかったり、内に閉じ込めたままだったりします。

 そんな近藤くんたちの前に、やりたいことにひたむきな小寺さんが現れるわけですよ。自分のやりたいことに真っすぐな彼女の姿を見て、僕は「サイレントマジョリティ」のサビを思い出しました。


 印象的なのは、小寺さんの独特の感覚ですよね。
 一生懸命にチラシを配っている姿を茶化されて(しかも、元NMBの矢倉楓子さんに!)、怒るんじゃなくて「少し寂しい」と感じたり、一人で岩に昇る時間に自然と一体になる感覚。このあたりが、凄くふわっとしてて好きなんですよね。
 周囲の目や声に対して、気にせずに果たしてどこまでやれるのか?
 デレク・シヴァーズの「社会運動論」を僕は見ながらふと思い出しました。
 何かを始める人は必ず一人で、周りから嘲笑や冷笑をされる。しかし、そこに理解者となる人がもう一人現れる。そして、3人になるとそれは「集団」になると語られています。
 重要なのは、2人目であり、1人目と3人目を繋ぐ2人目が重要なんだそうです。この映画における2人目は、実は四条くんなんじゃないか、と僕は思っています。
 そして、さっきの感覚の話に戻ると、「夏は音が消える」という小寺さんの言葉に、近藤くんは小寺さんに対して拒絶や嘲笑・冷笑をするのではなく、「わかんないけど、今度、やってみるよ」と歩み寄るんですよね。僕はこのシーンが大好きです。ここで小寺さんは、近藤くんのことを意識したんじゃないかと僕は思っています。


 この映画を観ていると、「アイドル」と「ファン」の関係も連想させられます。わざわざ、アイドルの動画を観ている生徒を登場させて「一生懸命観てるんだよ!」という台詞まで言わせているんですが、推しを見つめることで、自分が少しずつ変化していくという関係のようにも僕は読み取れました。
 たとえば、僕はSKE48を好きになっていなければ、今みたいに文章をオープンに書いていなかったでしょうし、多分、オールドメディアの方を目指していたんじゃないか、と思います。
 「センターになりたい」とか、「総選挙で1位になりたい」という目標を目指して昇っていくアイドルたちを「ガンバ!」と応援するファンの図を僕はふと連想しました。


 今、会社で働きながら、果たして僕は「見てもらえる側」の人になれているかな、SKE48を「見ている側」の僕もいつか、誰かに「見てもらえる側」になれるように、今日も頑張りたいな、と思わされた1作でした。
 キャラクターとしては、ボルタリングの先輩コンビが、高校生とは思えないぐらいカッコ良くて好きです。
 一番笑ったのは、梨乃がポーチを取りに戻った河原に、何故か小寺さんが居て、ゴミ拾いをしているところです。いや、なんでそこに居るんだよ!とツッコみそうになりました(あとで何故そこに居るのか分かるんですけどね)。

 
 
 続編は小寺さんがホテルでアルバイトを始めて、ホテルに謎のガスが充満、そこから救出を待つために、ビルをフリークライミングで昇って行く「のぼる小寺さんEXIT」に期待するしかない!



 そして、さらに数年後、「のぼる小寺さん フリーソロ」が公開されるに違いない!




 色々とアホなことも書きましたが、この夏に観たい居心地の良い風や音がする素敵な映画でした。

おすすめの映画と本「テロルンとルンルン」

美しい一言

 皆さんは、一度だけ観てずっと心に残っている映画はありますか?
 子供の頃に観て、ずっと印象に残っているものもあれば、2回目を観ることで感動が消えてしまうのが嫌でその感動をずっと大事に残しているもの、様々だと思います。
 僕の場合は、2019年の秋に京都国際映画祭で観た「テロルンとルンルン」がそれで、多くの人にこの素晴らし作品を観てほしい反面、もう一度自分で観て、何も感じなかったらどうしよう、という怖さもありました。
 そして、7月5日。
 mu-mo LIVE THEATERの「STAY HOME MINI THEATER」配信でもう一度見直しましてね。

 あらすじを知っていて観てもやっぱり素晴らしい作品でした。
 まだ、7月9日と12日に配信があるので、詳しくは公式HPやTwitterのアカウントをチェック!
 個人的なことですが、12日は僕の誕生日。
 いつもブログの方やnoteを読んで、応援してくれているフォロワーさんたちにプレゼントをねだるとすれば、この映画を観て欲しいです。
 「テロルンとルンルン」の話が出来る人が世界中に一人でも増えることが僕への最高のプレゼントだと勝手に思ってます。
 予告はこちらをご覧あれ。



【ここからはネタバレありで書きます】
 前回は映画館の中で観たんですが、今回は自宅で観られたので、メモを取りながら観てみてました。
 
 まず、開始から美しい風景が映っているんですが、僕は静かな学校のシーンが好きで紫色に光がさしている水飲み場や校舎が印象的でした。
 場所に関していうと、類が引きこもっているガレージの窓が印象的で、スムーズに開かない窓やカーテンがまさに類と外界との関係を象徴しているようでした。
 そして、アナログな感じのものが多いガレージの外は、人の噂で満ち溢れていて、デジタル空間の中で彼に関する嫌な噂が広がっていました。で、そのサイトの名前が「Tahoo!」だったのが、ちょっと面白かったです。
 誤解から新しい噂が広がっていき、瑠海が傷ついていく過程もすごくリアルでした。言葉に出せないからこそ、家族ともうまく理解し合えない辛さ。本当に類と瑠海の関係を理解しているのは、観客だけ。類にも瑠海にも父親が居ないというのも印象的でした。
 瑠海から修理を依頼されたサルのおもちゃの部品が足りない、というのが、世の中との関係でどこかが欠けてしまった彼自身のようでもあります。でも、類も瑠海も自分から望んでそうなったわけではないのに、周りから誤解されやすい生き方になっているのがなんとも切ないです。そんな二人だからこそ、惹かれ合ったのかも知れません。
 部品が無くて一度は諦めかけたものの、それでも、もう一度チャレンジしていく場面も良くてですね。少しずつ類の中で変化が起こっているのも印象的でした。そして、直した時の嬉しそうな顔。食事シーンを美味しそうに食べ始めた後の、やりきれない涙。
 外に出たくても、まだ出る勇気がない。
 彼が発した「お前、今どこおるん?」という台詞も凄く良かったです。
 最後の引っ越しする朝のシーンが最高でしてね。
 日食なつこさんの「vapor」が流れる中、類が走るシーン。
 多分、引きこもっていた類からしたら、走るという行為自体が久しぶりであんな動きになったと思うんですが、「届けたい」という思いが凄く伝わってくる良いシーンなんですよね。
タクシーの窓越しに直ったサルのおもちゃをみせる類。
 窓越しに「ありがとう!」と言葉を発する瑠海。
 見上げた太陽を見て、「こんな眩しかったけ?」と呟く類。
 ここで物語は終わるんですが、類の手にはサルのおもちゃが残ってるわけです。ここから、二人がどうなるんだろう、という未来を色々と想像させられます。
 アフタートークで宮川博至監督が仰っていましたが、「良い映画って何だろう?」という問いに対する、一つの答えがこれではないでしょうか。無駄なものをそぎ落とし、表情や動きが中心である。だから、こそ彼らが発した言葉がキラキラしている。
 エンディングテーマのおとぎ話さんによる「少年少女」という曲の歌詞の中で印象的なのが、「生きるのをやめた僕が赤い目をこするよ」というところと、「出会いと別れを繰り返しながら」「おとぎ話の結末の先」というところ。まさに、二人の物語にぴったりな感じがしました。
 やはり、2回目で観ても面白い。
 この作品はクラシックになりうるんじゃないか、と僕は思っています。
 国を越えても認められていることは勿論ですが、あと30年ぐらいして見直しても、心の中の大事な場所に置いておきたい映画だと思っています。

二人だから分かること

ギリギリの場所が悲しいくらい似合っている


 皆さんの推しは、周りのファンの方からどう見られているでしょうか?

 尊敬の念を集めるメンバー、みんなから愛されるメンバー、期待を一身に背負うをメンバー、様々だと思います。

 じゃあ、「推され」だったとしたら。
 しかも、その「推され」はあくまで表面的な理解であって、本質的には理解できていなかったとしたら。
 
 先日、前の会社で一緒に働いていた方と連絡する機会がありました。
 坂道シリーズにとても詳しい方です。その中で欅坂46の次のセンターについての話になりました。絶対的なセンターだった平手さんが居ない今、誰をセンターにすえるのか、という話から、平手さんは何者だったのかという話になりました。
 「普通の女の子でした。(番組の中で)土田さんや澤部さんも念を押していました」というコメントが印象的で、周りがどんどん色々なイメージのレイヤーを重ねていって彼女の姿が大きくなっていった。
 それは、彼女自身の魅力がなせる業だと思いますが、その反面、誤解も多かったんだと思います。良き相談相手も居たそうですが、先に卒業してしまったそうです。

 僕がここでふと思い出した人物が、二人居ます。
 松井珠理奈と古畑奈和です。

 松井珠理奈はデビューからいきなりAKB48のセンターとして、東京と名古屋を往復して活動することになります。これは彼女が持っている魅力から選ばれたものだと思いますし、「大声ダイヤモンド」のMVは今観ても華があるな、と感じます。
 しかし、AKB48のセンターをしながらSKE48のセンターもするというのは、とてつもないことで、ドキュメンタリー映画の「アイドルの涙」を観ると、公演の仕上がりが完璧ではなくて、「出たくない」と思う彼女を秋元康が「君を観に来てるんだから、出るよね?」と諭すエピソードが語られています。
 彼女はアンチの「依怙贔屓」だとか「秋元のお気に入り」、「推され」という言葉で、努力や才能を軽んじられました。
 それは、2020年7月現在もそうかも知れません。
 あんなに曲を大切にして、公演を大切にして後輩たちに伝えられる人が48グループ内に何人いるでしょう?

 もう一人、古畑奈和がいます。
 彼女はSKE48の選抜に選ばれながら、AKB48との兼任もすることになります。
 彼女の2014年9月19日に行われた生誕祭のスピーチを覚えているでしょうか?
 凄く印象的な言葉があります。

「私は入った時から、運が良かったのか何なのか『推され』って言われることが多く。
 自分の努力じゃないみたいに言われてきたことが多かったから。
 私にはストーリー性が見つけられなくて、ファンの皆さんも飽きちゃったことが多かったかもしれないけど。
 そんな私にいつも優しくて、『ちゃんと奈和ちゃんのこと見てるからねー』って、支えてくださるファンの皆さんは、私から見ればキラキラしてますよー。何かヒーローみたいです。
 だから、私は一人じゃないし、こうして上下関係じゃなくて支え合っている関係が大好きです」

 いや、あなた、ストーリー性ありすぎだよ、と彼女に関するブログを書いたことのある人間としては思うんですがね。
 この後、「鬱陶しい奴だと思われるかもしれない」自分を受け入れてくれるメンバーへの感謝の言葉を述べ、大好きなSKE48やファンの皆さんに恩返しすることを誓います。 
 でも、「運」なんかじゃなくて彼女の実力だと僕は思っています。さらに、その実力の陰には底知れない才能と努力があるとも思います。
 チームAとの兼任でも、全国ツアーのふりつけを覚えながら、公演も覚えていく。名古屋ではK2公演もある。そんな中で周りメンバーとファンの皆さんに支えられながら、活動を続けていった奈和ちゃん。
 彼女のこの日のブログを読んでみましょう。

 周りの優しさを感じるからこそ、自分も優しくできる。
 そして、この年は彼女が初めて総選挙にランクインした年でもありましたね。
 手応えを感じた1年でもあったのかも知れません。

 そして、10月30日。
 AKB48で行われた彼女の生誕祭では意外な人が彼女の手紙を書いています。
 この日の彼女のアメブロを読んでみましょう。

 まさか、珠理奈だったとは!
 SKE48として、AKB48を兼任し、同じチームだった二人だったからこそ知っている世界があったのかもしれません。
 こういうブログを読むと、僕らファンが観ているSKE48は、一部分に過ぎないんだなあ、と実感もしました。
 そういえば、2014年3月8日の珠理奈の生誕祭は、同日に名古屋と東京で行われ、AKB48の方の生誕祭で「私の大切な存在」と奈和ちゃんに言われてましたね。同年の3月19日には一緒に岩盤浴にも行ってリラックスしてますしね。


 2018年まで珠理奈が務めていたSKE48のセンターを2019年に古畑奈和が受け継ぐことになります。
 そして、前後してしまいますが、舞台「ハムレット」で二人は芝居というフィールドで向かい合うことになります。
 僕はこの組み合わせにゾクゾクしました。
 それぞれの修羅場を越えて、成長していった二人が役の上でぶつかるという、このシュチュエーション。苦楽を共にし、信頼関係のある二人だからこそ、あの素晴らしいやりとりが出来たのではないでしょうか?

 確かに、運営がレールを敷いた仕事もあるかも知れませんが、何人がそのレールを走り切れるでしょうか?
 同い年でタイプも違う二人ですが、「推され」というレッテルを乗り越えて、与えられた試練を乗り越えてきた二人だからこそ、作られるドラマがあると僕は今回思いました。

 そんな二人だからこそ、いつかコンサートで、それぞれの持ち歌を交換して歌ってほしいな、と個人的には思います。
 珠理奈バージョンの「本性」や奈和ちゃんバージョンの「ソファーとクッション」とか聴いてみたいですね。




※ えっ、もう一人、AKB48とSKE48を兼任してたメンバーがいるだろって?
 その人も奈和ちゃんを支えてただろって?
 はい、その人も書きます。
 ちょっとだけ待っててください。