遠くにありて思うもの
はあ、もうすぐ1月15日が来ますね。
ええ、平重衡が東大寺を燃やしまくった日ですよ(歴史ヲタの悪い癖)。今年も源氏ヲタに叩かれるんだろうなあ。大河ドラマの「平清盛」面白いのになあ。
2013年1月15日「ラムネの飲み方」公演。
この公演の最後に「チョコの奴隷」のカップリング曲のMV公開がアナウンスされましてね。
この曲の映像が流れたわけですよ。
ちょっと観てますか。
https://youtu.be/tS1mVBjjPkA
1月15日以前に矢神久美の卒業は既に発表されていたので、彼女が最初に映った時は、それほど驚きは無かったんですが、その後、続々と他のメンバーが映っていくわけですよ。
「こ、これはいったい…」
その後、ステージに湯浅支配人が出てきましてね。
そして、矢神久美、小木曽詩織、平松加奈子、桑原みずき、高田志織、原望奈美、上野佳澄、赤枝里々奈、小林絵未梨の9名が出てきたわけです。
「旅立ち卒業組」と名付けられたそのユニットは、各メンバーファンだけでなく、他推しのファンにも衝撃を与えました。
新選組から斎藤一と原田左之助と藤堂平助と山崎烝がいなくなったら、どうします?
「薄桜鬼」のメンバーから一くんと左之さんと平助くんと山崎がいなくなったらどう思います(同じようで実は大分違う)?
たとえが分かりにくくなりましたが、紅條個人としては、当時、演技仕事で輝いていたくーみんの卒業と、どんどん人気がアップしていた小木曽の卒業が衝撃でしてね。
「これからSKEどうなるのかしら?」という不安に襲われていましたよ。
みなさんは、推しの卒業を体験したことはあるでしょうか。
卒業発表を聞いた時に色んな点が線で繋がることってないですか?
そういえば、握手会の対応がいつもと違ったな、怪我のせいで公演最近出れてなかったな、やたらWWEのエージェントと接触してたな、とかね(一つ嘘)。
そして、この曲。
本当に卒業するメンバーの心情を描いた名曲でね。
ちょっと歌詞の世界を見ていきましょう。
「誰もいない劇場(シアター) 灯りの消えた狭いステージ 客席の真ん中で私は別れを告げる」
もう「灯りの消えた」ということは、公演とかが終わった後の劇場なんですかね。客席からステージへ「別れを告げます」。
「同じ夢を目指して 仲間と歌い踊り続けた あの日の汗やひたむきさを 思うだけで胸が締め付けられる」
うーん、心情が直接的に描かれているのでこちらから、何か付け足すことがないぐらいです。
「ありがとう 過ぎ去った日々よ 私のすべて」
「過ぎ去った日々」とは、SKE48として活動した日々。
それが「私のすべて」。これまでのアイドルである自分のすべて。
「振り向けば つらかったことさえ 輝いてる」
辛い過去も今となっては良い思い出。
「大切なその記憶を ずっと この胸に抱いて 何も後悔ない足跡 それを青春と呼ぶ日が来た」
アイドルとして頑張ってきた日々は「後悔ない足跡」そして、その日々を「青春と呼ぶ」わけです。もう、歌詞みながら泣きそう。
「客席から見えた 私は頑張っていたのかな?」
まさに今、客席にいる「私」。
あの頃の自分を俯瞰で見るわけです。
「ステージのその姿 誰かに誉めて欲しかった」
もうね、頑張ってたら誉めてもらいたいですよね。
声に出して誉めるのは大事。
皆さんも好きなメンバーやクリエイターには、ちゃんと声を届けよう。
「自分の道が見えずに 何度も辞めようと思ったけど 他のメンバーの頑張りを見て 自分に足りないもの気づかされた」
自分が「辞めようと」思ってた時に、他のメンバーの頑張りに気づく。
ここは良いですね。
他者と比較したことで、自分に足りないものが分かる。
そして、また頑張っていく。
これは別にアイドルだけじゃなく、別の世界でも言えますね。
「ありがとう 新しい道よ 私の未来 どこまでも太陽がその先を 照らしている」
見えなかった自分の道が、努力することで見えてくる。
しかも「その先を照らしている」わけですから。
「ゆっくりと目を閉じれば きっと 思い出すでしょう」
これは、活動した日々をでしょうね。
「いつか帰って来るこの場所を それを青春と呼ぶ日が来た」
「いつか帰って来るこの場所」は、「劇場」のことでしょうね。
そう、この「劇場」も青春の一部なんでしょうね。
「ありがとう 多くの仲間よ 見守る人よ」
大切な仲間とファンたち。
「なぜだろう この頬を濡らすのは 寂しいから」
うう、辛い。ここでは間接的な表現で泣きそうなことを表現してますね。
「ゆっくりと上を向いて 涙 我慢して笑う」
悲しいけれど、明るい未来を信じて笑う。
「もっと素敵になって会おうね それを青春と呼ぶ日が来た」
いつか再会を誓って別れていくわけです。
もうね、湯浅さん、同窓会公演、早くしてくれ!
他の卒業曲と比べて、普遍性がある曲と紅條は考えています。
「永遠のレガシー」や「サヨナラが美しくて」は、卒業するメンバーのストーリーや性格が反映されているのに対して、この曲はSKE48だけでなく、劇場で活躍するアイドルでも当てはまりそうな普遍性があります。
次にMVを見ていきましょう。
「世の中には、想像力が欠如している。もう少し想像力があったら私もみんなも違ったのかもしれない」という矢神久美のナレーションでMVは始まります。
「私は一体、どうしたいのだろう」という小木曽の疑問。
「私たちはどこへ向かっているのだろう」というカツオと原みなの疑問。
「分からない」というくーみんの答え。
「みんなここにいたのにね」
「みんなと空を見ているだけで楽しかったよね」
「みんなで同じ空見てたのにね」
「これからはみんな違う方向を向いて行くんだね」
「それぞれの道っていうけど、それぞれの道って何なんだろう?」というもきゅさんとしーたんの会話。
「道の先には線路が引かれているのかな?」
「それぞれの道の先には、それぞれの光があるのかなあ?」
「いつだって一緒に歩いてきたけど、これからは一人なんだね」というかすす、りりな、えみりんの会話。
「みんなで見ていた雲も進んでいたんだね」
「私たちも前に進まなきゃいけないのかなあ」というアオゾラペダルコンビの会話。
そして、MVが始まるわけですがね。
最初はみんなで寝転がって空を見ているわけですよ。
さっきの会話を連想させられますね。
五輪のマークみたいなのの上で唄うメンバー達。
それぞれがそれぞれの場所で未来を掴むことを連想させられる演出。
道を歩きながら歌うくーみん。
左胸の紋章がみんな同じなので、同じ学校という設定なんですかね。
最後にみんなでもう一度屋上に集まります。
一人ずつ去っていき、最後に残った小木曽が描いたものは…。
「again」の文字!そして、その場所は…。
ここで泣かされましたよ。
「いつか帰ってくるこの場所」はやっぱり愛知なんですね。
「それでも前へ進んで行かなければいけない」
「未来の自分を想像しながら、私は歩きだす」
行き止まり表示だったのが、道へ。そこは線路は引かれていませんが、明るい道です。
この辺りは、曲前の想像力が欠如しているへの答えでしょうね。
紅條は黒澤明監督の映画「素晴らしき日曜日」を連想しましたよ。
「それが自分だから」「そう、これが私の性(さが)なんだ」とくーみんが言って終わります。
「性(さが)」というのは、「(自分ではどうしょうもない)うまれつき。性質。」という意味と「運命。常のならわし」という意味がありまして、くーみんの場合は、どちらとも取れるところです。
このMVの特徴として、太陽の光が照っている夕日の学校やその周辺がロケ地として多いんですが、これが「ありがとう 新しい道よ 私の未来 どこまでも太陽がその先を 照らしている」とリンクしましてね。ずっと、MVの中で太陽は、未来を掴んだメンバーたちを照らしてくれているわけですよ。一番象徴的だと感じたのは、このカット。
また、「卒業を決めると綺麗になる」という48グループあるあるがありますが、このMVでは卒業前の綺麗なメンバー達も撮ってくれています。綺麗だなあ、とMVを観ながら感じましたよ。
今でもこの曲は、当時からのファンの間では特別な1曲の1つになっているのではないでしょうか。紅條は、未だにこの曲がまともに聴けないため、記事を書くのに大分時間がかかりました。聴いてると胸が締め付けられましてね。
そして、考えるわけです。
自分にとって「それを青春と呼ぶ日」はいつなのか。
歌詞の中の「私」のような努力を自分の人生でしてきたか?
MVのくーみん達のように自分の明るい未来を想像して生きているか?
これまでの半生で「青春」と呼べるくらい全力で取り組んだことはあるか?
そんなことをね。
卒業したメンバー達は、自分のやりたい仕事に就いたり、結婚したりと色々です。まだ、未来への道を歩いている途中のメンバーもいるかもしれません。みんな幸せな未来を得て、いつか「青春」に帰ってきてほしいですね。
形は違いますが、新たなスタートを連想させるあきすんの「FLASH BACK」の記事もおすすめです。
https://oboeteitekure.blogspot.com/2018/11/flashback.html