今の世を遊ぶために
皆さん、NHKの大河ドラマって観てますかね。
僕は、毎週追うのがしんどいので、DVD化した時にまとめて観る派なんですね。
もう、1年間連続してドラマがあるのって、日アサの特撮番組と大河ドラマぐらいだと思うんですね。
もう、1年間連続してドラマがあるのって、日アサの特撮番組と大河ドラマぐらいだと思うんですね。
全部、観ているわけではないのですが、今まで観た中で一番好きな大河ドラマが今回紹介する「平清盛」です。まあ、まずは、CSのチャンネル銀河さんの紹介を動画を観てくださいませ。
この大河ドラマ、外側の情報だけ拾うと、第1話を観たら画面が汚いだの、視聴率低いだの、全く中身と関係ない批判が多いんですね。っていうか、平安時代だから外が汚いのは、リアルでいいんじゃないですかね。視聴率に関しては、戦国とか幕末みたいな人気の時代じゃないし、源平合戦のシーンをやらないっていうのも原因だったのかもしれません。でもね、別に戦だけが大河ドラマじゃないでしょ。筋肉ムキムキマッチョマンが殺し合いをしない「ハリー・ポッター」を観ない僕が言うのもなんですけど。
中身の話をしていくと、平清盛って、出生に親父さんの平忠盛説と白河院説がありましてね。このドラマの歴史考証を担当した本郷和人先生は、平忠盛説派なんですが、ドラマでは白河院説を採用することで、貴種流離譚になっているんですね。清盛の「俺は誰なんだ」という序盤の悩みもとも繋がりますしね。
周りの人物も良くてね。
序盤の平清盛の思想的な部分を支える信西入道と、オリジナルキャラの海賊である兎丸の二人。どちらとの別れも非常に悲しいことになります。特に兎丸の最後は平家の悪の面がまさか自分の友人に返って来るとは、という悲しさがありましたね。
兎丸と平時忠が清盛の善の面と悪の面を兼ねている、という説も面白くてね。
兎丸が死ぬことで、悪の面であるという時忠が残ってしまう悲しさ。
この時忠を演じた森田剛の演技も非常に良くてね。あんな悲しそうな「平家にあらずんば、人にあらずじゃ」は聞いたことないですよ。
徐々に主人公である清盛が悪くなっていくところも丁寧に描いてましてね。
気づけば自分も白河院のようになってしまっていないか、という怖さ。
真っ暗な画面に祇園女御の「いかがですか、そこからの眺めは」というセリフで終わる回とか、マジで怖かったですよ。
さて、この番組中、ある今様が流れます。
「遊びをせんとや うまれけん たわむれせんとや 生まれけん」というやつですね。
これを作中の登場人物たちが唄っていくんですが、それぞれの「遊び」の解釈が違うんですね。例えば、清盛は「おもしろきこと」として、外国との貿易や国造りを進めていきます。それに対して後白河法皇は、清盛と出会うまではとても刹那的な快楽しか生まない「遊び」だったのが、清盛と出会うことで変わってくるんですね。やがて、二人のライバル関係が進んでいきます。貴族が支配し、「王家の犬」と言われていた武士が世の中を変えていく、というプロセスが描かれるドラマだと僕は思っているので、終わり方に関しても賛成でしてね。清盛が作った「遊び」である「貿易」が、兎丸の息子に引き継がれていくというのは、とても良かったと思います。
このドラマを観ていると、どこが平家にとってターニングポイントだったのかな、と考えてしまいます。歴史素人の僕としては、窪田正孝演じる平重盛が死んだのが早かったかなあ、という平家物語的な見方なんですが、皆さんいかがでしょう?
彼の「忠なさんと欲すれば、考ならず。考なさんと欲すれば、忠ならず」のシーンは涙なしでは観られません。
このドラマで一番好きな人物は、佐藤義清(のちの西行)です。
歌の才がある人で、璋子への思いが、やがて出家の原因になっていく第10回「義清散る」は本当に好きです。
西行は終盤でも出てくるんですが、重要な使い方をしています。全然関係ないけど、西行の書いた方丈記って、もろに震災後の日本を書いてません?
まあ、とにかく今観ても、全然古くない、というか、時代が停滞しているようで、徐々に新しい技術が導入されている現代にも通じるものが沢山あるドラマでしてね。自分の人生の中で「おもしろきこと」、「遊び」を見つけられるのか、について考えさせられましたよ。
この大河ドラマ、外側の情報だけ拾うと、第1話を観たら画面が汚いだの、視聴率低いだの、全く中身と関係ない批判が多いんですね。っていうか、平安時代だから外が汚いのは、リアルでいいんじゃないですかね。視聴率に関しては、戦国とか幕末みたいな人気の時代じゃないし、源平合戦のシーンをやらないっていうのも原因だったのかもしれません。でもね、別に戦だけが大河ドラマじゃないでしょ。筋肉ムキムキマッチョマンが殺し合いをしない「ハリー・ポッター」を観ない僕が言うのもなんですけど。
中身の話をしていくと、平清盛って、出生に親父さんの平忠盛説と白河院説がありましてね。このドラマの歴史考証を担当した本郷和人先生は、平忠盛説派なんですが、ドラマでは白河院説を採用することで、貴種流離譚になっているんですね。清盛の「俺は誰なんだ」という序盤の悩みもとも繋がりますしね。
周りの人物も良くてね。
序盤の平清盛の思想的な部分を支える信西入道と、オリジナルキャラの海賊である兎丸の二人。どちらとの別れも非常に悲しいことになります。特に兎丸の最後は平家の悪の面がまさか自分の友人に返って来るとは、という悲しさがありましたね。
兎丸と平時忠が清盛の善の面と悪の面を兼ねている、という説も面白くてね。
兎丸が死ぬことで、悪の面であるという時忠が残ってしまう悲しさ。
この時忠を演じた森田剛の演技も非常に良くてね。あんな悲しそうな「平家にあらずんば、人にあらずじゃ」は聞いたことないですよ。
徐々に主人公である清盛が悪くなっていくところも丁寧に描いてましてね。
気づけば自分も白河院のようになってしまっていないか、という怖さ。
真っ暗な画面に祇園女御の「いかがですか、そこからの眺めは」というセリフで終わる回とか、マジで怖かったですよ。
さて、この番組中、ある今様が流れます。
「遊びをせんとや うまれけん たわむれせんとや 生まれけん」というやつですね。
これを作中の登場人物たちが唄っていくんですが、それぞれの「遊び」の解釈が違うんですね。例えば、清盛は「おもしろきこと」として、外国との貿易や国造りを進めていきます。それに対して後白河法皇は、清盛と出会うまではとても刹那的な快楽しか生まない「遊び」だったのが、清盛と出会うことで変わってくるんですね。やがて、二人のライバル関係が進んでいきます。貴族が支配し、「王家の犬」と言われていた武士が世の中を変えていく、というプロセスが描かれるドラマだと僕は思っているので、終わり方に関しても賛成でしてね。清盛が作った「遊び」である「貿易」が、兎丸の息子に引き継がれていくというのは、とても良かったと思います。
このドラマを観ていると、どこが平家にとってターニングポイントだったのかな、と考えてしまいます。歴史素人の僕としては、窪田正孝演じる平重盛が死んだのが早かったかなあ、という平家物語的な見方なんですが、皆さんいかがでしょう?
彼の「忠なさんと欲すれば、考ならず。考なさんと欲すれば、忠ならず」のシーンは涙なしでは観られません。
このドラマで一番好きな人物は、佐藤義清(のちの西行)です。
歌の才がある人で、璋子への思いが、やがて出家の原因になっていく第10回「義清散る」は本当に好きです。
西行は終盤でも出てくるんですが、重要な使い方をしています。全然関係ないけど、西行の書いた方丈記って、もろに震災後の日本を書いてません?
まあ、とにかく今観ても、全然古くない、というか、時代が停滞しているようで、徐々に新しい技術が導入されている現代にも通じるものが沢山あるドラマでしてね。自分の人生の中で「おもしろきこと」、「遊び」を見つけられるのか、について考えさせられましたよ。
さて、次は「平清盛」関連の書籍なんですが、まずお勧めしたいのが、歴史考証をされた本郷先生の書籍。ちょうど、大河が放送された頃の「謎解き平清盛」です。
ドラマとはまた違った視点で考証を進めている書籍で、ドラマを観終わってから読むと、かゆいところに手が届く書籍です。
次はドラマの中であった「保元の乱」、「平治の乱」、といった乱の裏であったことを陰謀論というロマンあふれるワードに流されずに、冷静に分析していった「陰謀の日本中世史」です。これを読むと、意外と晩年の後白河さんって何も考えてなかったんじゃ、と考えさせられます。
ドラマを観た後で、書籍を読むことで、またドラマが楽しくなるというのも大河ドラマの楽しさですね。
そうそう、忘れてはいけないのが、音楽ですね。
本当にオープニングが良いんですが、それだけではなく、後白河法皇が歌う今様も良くてね。特に「我を頼みてこぬ男、角みつ持ちたる鬼となれ」は、彼の不気味さもあって、印象に残っています。
最初は薄汚れていた世界に居た主人公が、やがて美しい世界にまで昇りつめ、そして、内面が薄汚れて滅んでいく。自分でも怖いけれど、どうしょうも出来ない。とても愛おしい大河ドラマです。まだ未見の方は是非。
最後にCSのチャンネル銀河さんの結構濃い動画を貼っておきますね。
ついでに、個人的に好きな松山ケンイチさん映画も。麻酔ぬきで手術とか、どうかしてるぜ!でも、そのストイックな姿勢は限られた生を全うしようとする美しさにも映ります。