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2019年5月10日金曜日

オキドキ①



繋がる瞬間


 ※今回の記事は、映画「アイドル」がお好きな人は不愉快になる内容だと思うので、気を付けて!

 昨年の秋に公開された映画「アイドル」に関しては、2018年のワースト映画に選ぶぐらい乗れなかったんですね。主な理由をざっくりと箇条書きで書くと…。

・予算のせいか、ドキュメンタリー映画というよりは、ドキュメンタリー番組を観ている感じ。
・作家性が薄い(3人の監督で作っているから当然ですが…)。
・その癖、ナレーションは多いため、価値観の押し付けが多い。
・前半の内容は必要?
・恐ろしいぐらいに内容が薄いパンフレット。グッズの少なさ。
・結果的に黒字にはなったが、他の48のドキュメンタリー映画と比較した時の売り上げは?
・どうしてドキュメンタリーの時期の「意外にマンゴー」と「無意識の色」の売り上げの数字を出さないのか?
・これから6期生が栄を引っ張って行くという価値観。他の期は?

 まあ、色々と文句を書きましたが、僕は、凄い期待してたんですよ。
 公開初日の上映館数が少なかった為、始発電車に乗って関西から名古屋まで映画を観に行ったわけです。ワクワクしながら。そして、映画を観終わった僕は、帰りの電車の中の記憶はほとんどありませんでした。
 「スターウォーズ エピソード1」を観た時のオールドファンみたいな感じでしてね。あれ、なんか、しっくりこないな、でも、もう1回観たら何か分かるかも、みたいな感想でした。
 次第に感想がTwitterやブログ、メンバーのSNSなどに書かれ始めて、みんな「感動しました」、「涙が止まりませんでした」みたいなのが多くて、あれ、僕の価値観がずれてるのかな、これはヲタ卒かな、と思い始めました。でも、当時は推しがまだ居たんでね、ずるずるとSKE48にしがみついていました。

 やがて、時は流れて映画「アイドル」のブルーレイが発売。
 買うかどうか迷いましたが、映画「アイドルの涙」みたいに完全版の方に全員のアイドルが入ってるかも、と思い買いました。
 残念ながら、期待していたものとは違っていましたが、まあ舞台挨拶とかも観れたしいいか、と思って放っておいたんですね。

 そして、昨日。
 やっぱり、こんなもん持ってても仕方ないし、捨てるか、と思いましてね。
 売るという手段もあったんですが、着いたその日に本編ディスクを捨てたんで、売ることも出来ないんです。
 捨てる前にと思って、6期生の赤坂ライブを観ることにしました。

 正直、6期生に関しては、なんでみんなここまで持ち上げるのよ、という思いがありましてね。
 本当に勝手なカテゴリー付けなんですが、なんとなく、1期から5期生までのストーリーはSKE48的な繋がりを感じるんですね(ガイシ2013でメインで5期までは出てたせいでしょう)。それに対して、現在の6期生は加入当初から問題児が多く、個性が強くて、どちらかというと、かおたんイズム的なものを強く感じましてね。違和感があったわけです。でも、彼女たちもSKE48なわけです。
 やがて、7期生が加入し、後藤楽々が「前のめり」で前列に、小畑優奈が「意外にマンゴー」でセンターになります。小畑優奈という、SKE48のこれまでのイズムとまた違ったセンターの登場は、希望に満ちたものでした。小畑優奈だけでなく、逸材揃いの7期とドラフト2期は、SKE48の当たり期だったのではないか、と僕は思います。

 上記の点から、ドキュメント映画では、何故、7D2じゃなくて、6期せいなの?という謎がずっとありました。意地悪な見方をすると、前作「アイドルの涙」でも、「12月のカンガルー」でセンターを綾巴と宮前に変えるよ、引っ張るよ、っていうのはやったじゃん、というのもありましてね(珠理奈の居ない夏を描くというのもあったんだとは、思いますが)。

 凄い憂鬱な気分で観始めたわけですよ。
 映像の赤坂は豪雨。
 こんな中で、ライブをするという決断は、電気が通ったマイクを持ってやることになりますし、転倒するリスクを考えたら、本当にする必要があるのか、とまず思いました。
 途中、メンバーがこけたりするところとか観てると、本当に心配でして。
 6期に推しもいないので、凄く冷めた目で見てたわけです。
 まあ、映画のせいで若干アンチ気味になってたわけですね。

 そして、ライブは進み、最後の曲、「オキドキ」になります。
 マイクはもう限界で使うことができない。
 そこで、メンバーからの提案でお客さんたちの歌声でメンバーが踊ることになりました。
 ここで、オキドキの前奏がながれて、「48!」というコールが入るんですが、僕はここで鳥肌が立ちました。
 やがて、1番の歌詞が始まる頃には、画面にくぎ付けになっていました。
 あれ、これって、SKEだ…。
 もの凄く抽象的な表現で申し訳ないので、一つ具体例を出すと、映画「アイドルの涙」で印象的なシーンと言えば、音響のトラブルで1期生が中心のチームSが、無音のままお客さんの手拍子で踊った後、5期を中心とした研究生たちがセントレア空港でのイベントで、音響トラブルで音が止まり、お客さんの歌う「オキドキ」だけで踊ったことで、イズムが受け継がれていたという描写があります。また、ドキュメンタリーに入っていませんが、4期生を中心としてチームEも日テレのイベントで無音のまま「片想いファイナリー」を踊り切っています。
 決して、音が切れて踊る=SKEというわけではなくて、逆境に陥った時に輝く命の光というものが、そこにはあったんですね。「明日のことなんて考えてない、今が大事なんだ」という輝きです。それは、松井玲奈のアンコール前の楽屋での姿や、高柳明音の直訴とも重なりましてね。形は違えど、間違いなく僕の好きなSKE的なものがあったわけです。
 ああ、やっぱりちゃんと、繋がってるんだな…、この子たちは信用できるな、とテレビを観ながら呟いていました。
 11月ぐらいからのモヤモヤの雨が晴れていきました。

 多分、大事なところはきちんと繋がっているんだな、と思いましてね。勝手に自分でかかった長い呪いから解放してくれて、感謝です。大袈裟じゃなく、本当に6期は嫌でしたから。それを6期のパフォーマンスでひっくり返してくれたのは流石です。もうね、参りましたよ。


 映画の中で問題視された若手の子たちにもちゃんと、伝わっていくと思っています(僕も最近まで居た若手の子の推しでしたから)。
 きっと先輩になった6期たちが、形は変わってもかおたんのように伝えていくでしょう。そう確信させてくれる良いパフォーマンスでした。ここをフルで映画に入れるべきなんじゃないか、と僕は思いましたよ。