歴史から学ぶ
最近、SKE48以外の文化に触れることが多くてですね。
友人にアイドルマスターのコンサートに連れて行ってもらったり、昨日は宝塚歌劇団元支配人である森下信雄さんと宇野常寛さんの対談を見ることが出来たりと、色々と普段とは違う、人を応援する文化の違いを感じることが出来ました。
その中で、ふと思ったことがあります。
「今の48グループは、果たしてどういう形で文化として生き残れば良いんだろう?」とふと考えましてね。
詳しくは公式動画をチェック!
対談の中で森下さんが、宝塚の独特の文化について語っていましたが、良い意味で「閉じている」なあ、と思いましてね。
まず、タカラジェンヌたちにはSNSをさせない。
もう、情報が次々に入ってくる48文化になれている自分からしたら、昔の映画スターのように感じました。こうして、神秘性を守っているんでしょうね。
また、歌劇団のシステム自体も、阪急グループ内で「創る→作る→売る」というマイケル・ポーターの垂直統合システムが採用されており、「閉じられていて、模倣されない」と語られています。
さらに、ファンコミュニティーも独特で、スターたちの私生活の世話(送り迎えなど)やチケットをさばいたりと、その先にあるお茶会。これは同姓だからこそできる部分もあるのかもしれませんが、ファンの中でも縦社会があり、トラブルがあればスターに迷惑がかかるから、というブレーキもある。
この辺りは、男性ファンが中心の48グループだとなかなか難しい気がします。
森下さんは、宝塚のファンになっていく人は、最初は「非日常の他人事」から、「日常の自分事」になっていくと、語っていました。
推しの為に、毎日の中の時間やお金を使って、応援していくことで「自分事」になっていくんでしょうね。
トップスターになるまでの期間が、10年ぐらいかかるというのも印象的で、この間にじっくりと関係性を築いて行くんでしょうね。
他にも宝塚の創始者の方がなくなった後も、続けていけていることや、「組替え」の際にファンがざわつくところなど、興味深いところが沢山ありました。
秋元康が死んだあと、48グループのプロデュースや作詞は誰がしていくんだろう?とか、そういえば、これまでの欅坂46は宝塚のトップスターシステムと似てるな、など、様々なことが頭の中で駆け巡っていきました。
他にも宝塚の創始者の方がなくなった後も、続けていけていることや、「組替え」の際にファンがざわつくところなど、興味深いところが沢山ありました。
秋元康が死んだあと、48グループのプロデュースや作詞は誰がしていくんだろう?とか、そういえば、これまでの欅坂46は宝塚のトップスターシステムと似てるな、など、様々なことが頭の中で駆け巡っていきました。
宝塚の話を聞きながら、48グループが一気に加速して行った要素の一つに「近さ」と「速さ」というのがあったと思うんですね。
「握手会」、「Twitter」や「showroom配信」による誰でも気軽にメンバーと喋ることができます。しかし、それが裏目に出てしまったのが、新潟の事件ですよね。門戸が開いていれば居るほど、悪質な人々も入ってきてしまう。
それだけではなく、アンチからの誹謗中傷が直接来ることになりました。
それだけではなく、アンチからの誹謗中傷が直接来ることになりました。
また、メンバーの旬を考えると、「センター」や選抜にするタイミングの「速さ」は必要かも知れませんが、そこからの燃えつきもあるのかも知れません。この辺りは、難しいところで、「48グループ」はあくまで目標へのステップである、という要素があります。次のステップに進みたいとなるのも仕方ないかな、と思うんですね。
これから、ファンのリテラシーを上げることが先決なのか、宝塚のようにある程度「閉じる」必要があるのか。増えすぎたメンバーのメンタルを守るために、SNSや握手会でのアンチの管理を運営が強化すべきなのか。運営自体が「あの頃」のように、面白い企画を出していくべきなのか。作詞者やプロデュサーを、今のうちから内部から育てていくべきなのか。
10年間、応援していける推しに出会えるのか。
本当に昨日の対談から、様々なことが頭を駆け巡りました。
本当に昨日の対談から、様々なことが頭を駆け巡りました。
コロナウイルスの影響で、48グループの動きが止まっている今、48グループが文化として生き残っていく道をじっくりと考える必要があるのかもしれません。48グループの特徴である「開いた」まま、「速さ」に身体を壊さないスピードで走り続ける方法を。
そのヒントが「閉じている」のに、外からのお客さんも撮り続けている宝塚の成功モデルにあるのではないか、と僕は思っています。
そのヒントが「閉じている」のに、外からのお客さんも撮り続けている宝塚の成功モデルにあるのではないか、と僕は思っています。