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2020年3月7日土曜日

in fact

本当のわたしを


 記憶って、どこから消えて行くんでしょうね。
 視覚的なものからなのか、聴覚的なものからなのか、嗅覚的なものからなのか。
 先日、アイマスのコンサートについて書いたは良いものの、既に忘れ始めてましてね。
 アイマスファンの方々はどうしてるんだろう?と少し調べてみると、イラストや漫画にして残されてる方が多いんですね。他にもTwitterやブログに詳細なレポートを書く方もいらっしゃいましたね。
 僕も佐藤亜美菜演じる橘ありすさん「in fact」について少し書きましたが、コンサート当日が、2階の席だったということもあり、徐々にモニターに映った亜美菜の顔が薄れはじめています(早く映像化してほしいところです)。
 その代わりと言ってはなんですが、歌った「in fact」の記憶が強くなっていきました。

 数々のツイートで僕に「in fact」を初めて披露した時のエピソードやその舞台裏、また、「to you for me」との関係を教えてくださる親切なプロデューサーさんたちが居らっしゃってですね。あの切ないメロディーと「なぜ」という言葉がずっと頭に残っています。

 ただ、「in fact」と橘ありすの物語や佐藤亜美菜の物語とどこか重なる感じは、色々な方がブログやSNSで語ってらっしゃいます。アイマスをプレイしたことのない僕が語れるとは思えません。

 じゃあ、僕は「in fact」にどうアプローチするか?
 一回、橘ありすや佐藤亜美菜の要素を全部抜いてみようと思いました。
 そんなことが出来るのか、キャラクターをイメージした曲なのに?
 この「in fact」は作詞作曲を担当した藤田麻衣子さんが、「wish」というアルバムの中でカバーしています。

 僕は藤田さんの曲は「ねえ」「高鳴る」ぐらいしか知らなかったんですが、ちょっとこの曲の為に、「橘ありす」版と「藤田麻衣子」版を同時にダウンロード。



 「in fact」フォルダーを作ってひたすら聴き比べる日々を過ごしました。





 まずは、歌詞の世界から見ていきましょう。

 孤独だった「私」「あなた」が見つめ続けてくれた。
 けれど「本当の私」「誰も知らない」んですね。
 ここでいう「本当の私」とは、内面の部分ですよね。
 素直になれずに「大好き」という「本当の私」の気持ちをしまいこんで行動してしまう。
 2番でも、最初に出てくる誰かの評価は「本当の私」をとらえられていません。
 「甘える」とか「言葉に出来たら」とか、外側に発することが上手くできずに、歯がゆい思いを抱えます(誰かの評価に対して『言い返さない』ということからもそれは感じます)。
 ここだけ切り取ると、すごくもどかしい気持ちになります。
 しかし、「あなた」はそんなうまく「本当の私」の気持ちを表せない「私」に手をさしのべたり、呼び止めたりしてくれるわけですよね。
 不器用な「私」から離れずに、理解しようと努めてくれている。
 これ、なかなか出来ませんよ。
 人とコミュニケーションが上手に取れる、自分の想いを表現できることが良いことと、子供の頃から適正検査などで進められている昨今。また、ガンガンSNSなどで「発信」が行われている現代。一歩間違えたら、ただの面倒な子として扱われるかも知れません。
 でも、「あなた」は世間の価値観とは全く違う価値観(いや、これは全く違う時間かもしれない)で「私」を見ている。
 だから、この人にだけはもっと「知って欲しい」し、「特別」なんですよね。
 上手に伝えられずに想いをしまってしまうのは、「大好きなのに」じゃなくて、「大好きだから」、言えないんじゃないか、と僕は思っています。大勢の中であなたを見つけられるぐらい、「好き」が内面から溢れている。だから、うまくいかないという「駆け引き」とか「思わせぶり」とは無縁の純粋な恋心が描かれています。
 皆さんも、上記のような経験を一度ぐらいはあるんじゃないでしょうか。

 自分のことを世間や社会の物差しとは違う測り方で見てくれる人との出会い。
 でも、全部内面を出すのは怖くて。
 けれど、この人ならきっとと期待してしまう。

 わずか3行の間に逆接の接続語を2回連続して使うぐらい、この「私」の気持ちは揺れています。
 そして、状況は大きく実は変わっていない。
 物語性が強い48グループの曲を聴きなれている僕には、新鮮でした(曲の中で二人の関係が変わることがよくあります)。

 
 さて、歌詞を見て行ったので、次は曲についてみていきましょう。僕は音楽をかじっていないので、詳しいことは書けませんが、あることに気づきました。
 橘ありす版が4分22秒なのに対して、藤田麻衣子版は5分3秒と少し長めでテンポもゆっくりなんですね。聴きながら、ちょっと京セラドームで聴いたのに近いなと思いながら聞いてました。多分、京セラドーム版はもっと長いんじゃないかと思います。一つ一つの言葉がより入りやすくなっていたと思います。

 ここまででは、「in fact」が何故、頭に記憶に残っているのか、言い換えるならば、なぜ記憶に残るほど良い曲なのか、の説明になっていません。
 手がかりは歌詞を見て行った時に出てきた、「好きな人に本当の気持ちと逆のことをしてしまう、でも、理解期待してくれると期待する、という主人公。
 この主人公、そして、この曲は、共感性の高さが良い曲でうある要素なのではないかと思っています。
 夏目漱石の時代から我々人間は、本当の気持ちとは逆のことをしてしまう時がありますもん。
 
 「in fact」はもの凄く広義の言い方をすると、キャラクターソングです。
 キャラクターソング、つまり、「他人のことを歌った曲」のはずなんですよね。いや、もっと極端な書き方をすると、「キャラクターの要素を入れた自分じゃない人の曲」のはずなんですよね。
 でも、先ほど書いた共感性のように、この曲は「自分の曲」として聴くことも出来るんじゃないか。「私」を受け入れて「自分」として想像しやすいんじゃないか(あなた側でも可)。
 少なくとも僕は、輝くアイドルたちの毎日を描いた「お願いシンデレラ」と比較すると、こちらの方が共感しやすいです(曲が嫌とかではなく、あくまで共感性の話なので。日常と非日常で言えば、アイドルという非日常感を感じる要素が強いと思っています。念のため)。
 「自分の曲」としても聴くことが出来るから、「他人のことをイメージした曲」なのに、気持ちが分かるし、想像できる、共感できる。
 つまり、この受け入れやすさの入口がとても広い曲である「in fact」は、色々な物語が落としこめるのかも知れません。

 アイマスの世界にあてはめていくと、「私」はおそらく「橘ありす」でしょうし、「あなた」は「プロデュサー」かもしれない(2次元と2次元)。

 もしくは、「橘ありす」「プレイヤーとしてのプロデュサー」かもしれない(2次元と3次元)。

 さらに「佐藤亜美菜」「ファン」かも知れない(3次元と3次元)。

 いや、ひょっとすると、役を手に入れてからデビューしていくまでの「佐藤亜美菜」「橘ありす」の関係かもしれない(役と演者)。

 亜美菜のことをありすが見つめてくれていたというと話が出来すぎですかね(プロデュサーさんが教えてくれたラジオの影響が強いです)。

 このように、書いて行くときりがないですが、とにかく耐用年数が高い曲を作った藤田さんと、それを見事に歌い切った亜美菜は素晴らしいと思います。

 まだ、「in fact」の「本当の私」は見つけられていないのかもしれません。あなたは、どんな「私」や「あなた」を「in fact」に見つけますか?
※歌詞はすべて「in fact」から引用。


 余談ですが、僕は「in fact」を聴いた時に罪悪感を一番初めに感じました。それはSKE48ファンですが、AKB48の佐藤亜美菜のことを最初の総選挙から知っていた者として。
 48グループに居た時は、興味があっても、いなくなってからは興味を失う。それが元アイドルたちにとってどれほど残酷なことであるか、「いちばん辛かったクリスマス」の話や「あみメン」での色々なところに行って、トークを作っていた話、アルバイトをしていた話などをラジオで聴いていると、48から声優になっていっても、ついて行った亜美菜ファンの皆さん、そして、声優の佐藤亜美菜を好きになった皆さん、本当に尊敬しています。