寓話の中に潜むメッセージ
最近、思い出ばっかりブログに書いて、「時が未来に進むと誰が決めたんだ!」という感じになってるんで、久々に曲と映像について書きたいと思います。
今回、考えたいのは、AKB48の48枚目のシングル「願いごとの持ち腐れ」です。
まずは、公式チャンネルのMVを観てみましょう。
いつもより長いですよ。
いやあ、 流石は秋元康が「一番泣けるMVにしてくれ」と注文しただけのこともあり、もう、一つ一つの文字が泣かしに来るんですよね。
廃校になる学校と曲の関係性って、なんだと考えてみると、このMVに出てくる人々が共通して願っていることって何かな、と考えてみると出てくると思うんですよね。
この学校が無くなって欲しくない、みんなと離れたくない。
だから、極論を言うと実はメンバーは居なくても良いのでは、と思うんですが、子供たちと楽しく過ごす珠理奈やだーすーの姿をみると、荒んだ心が柔らかくなります。この生徒さんたち一人一人の願いが、形になってつながると良いなあ、と思いますよ。特に珠理奈の子供たちとの馴染みっぷりは最高です。だーすーのピンクのスカジャンも似合ってていいんですよね。
さて、曲の世界について観ていきましょう。
まずは、1番の内容から。
もしも、願いが一つだけ叶うなら、という誰もが一度は考えたことのある疑問からスタートします。ちなみに、19歳の頃の僕の七夕の短冊を思い出すと「俺以外、全員ブサメンになあれ」という努力を一切放棄した感じの願いでしたよ。
ただ、なかなか自分の願いというのは決められないもので、「迷ってるうちに黄昏」と時間が過ぎていきます。僕は、この1節が秋元康が2017年に書いた曲で一番素晴らしい1節だと思っています。海外の民謡調のメロディとあっていますし、時間の経過を「夕暮れ」ではなくて「黄昏」という言葉で表現するのが素晴らしい。曲の世界の色調が明らかに変わった感じがするんですよね。ここの為にリリース当時は何回も聴いてましたね。ちなみに、本店のCDの歌詞カードって開くことがほとんど無いんですが、初めて開けてみると、象徴的な夕陽の写真が。
1番のポイントとしては、全部「僕」しか出てないんですね。色々な「欲」はあるけど、決められない。
2番では、「僕」以外の「二人」が出てきます。そしてこの「二人」は争っているわけですよ。多分、こんな感じで。
いやあ、本当に鬼邪高校って怖いですね(違う)。
話を戻すと、1番で自分の「欲」のための願いだけを考えていた「僕」は、二人が仲良くすることを願い、魔法を使います。
1番から2番の間に、「僕」は他己的に生きることを選択します。
さらに突き詰めて考えるならば、誰かの為になら「欲」は手放せる。
喧嘩をやめた二人は「ほほ笑み」ます。
ここで、「愛の夜明け」という表現が出てきます。
1番の「黄昏」も隠喩的な読み取り方が出来ますが、2番が「夜明け」というこちらは、関係性の変化であり、始まりを予感させる内容になっています。
「欲」という闇に飲まれずに、「愛」という明るい方を目指そう、という風にも読み取れます。
大サビでは、「魔法」の存在を否定し、「本当の願い」とは何かを我々に考えさせます。
僕らが願うことの多くは「欲」であり、良くても「夢」になるぐらい。
なら、「本当の願い」とは何か?
それを生きている間に見つけられるのか。
そんな問いを我々に投げかけて歌詞は終わります。
映画「愛しのアイリーン」の中で、お金で婚約したフィリピン人の若い妻アイリーンに、42歳の岩男が本当に生死の際のところで、自分の財布とクレジットカードを渡し、およそ500万円の貯金と暗証番号を彼女に譲ろうとするシーンがあります。彼女を守るためとは言え、彼は殺人を犯してしまったのです。
殺人という人生の選択肢を大幅に狭めた上に、お金まで渡してしまう。この時、初めて二人は、言葉やお金を越えて通じ合えたと感じるシーンで、僕は2018年公開映画のベストに上げました。
人間が自己ではなく、誰かのために何かをするとき、それは「欲」を越えた何かになるのかも知れません。
ここまで考えると、この曲が「第84回NHK全国学校音楽コンクール」の課題曲として、歌われるのにも十分意味があると思います。
ちなみに、僕の今の「願い」は、僕に優しくしてくれた人が1日でも長く生きてくれることです。もう、2度と会えないですが、それが「願い」です。
あなたの「願い」は何でしょう?
もう、見つかりましたか?