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2020年3月29日日曜日

きっかけをくれた人 宮澤佐江卒業コンサート2日間の思い出

ハイブリッドなSKE48イズム


 2008年。
 「会いたかった」ぐらいしか知らなかった僕に、AKB48の新曲「大声ダイヤモンド」は凄まじいインパクトを与えました。センターを務めた大人びた顔の少女と「会いたかった」のセンターだった女の子。どちらも凄く魅力的でした。しかし、その二人よりも当時の僕にインパクトを与えたのは、おでこを上げた前田敦子と喧嘩した少女でした。
 MVの大サビに笑顔で、マイクを渡す笑顔がとても明るかった。
 こんなに「陽」のオーラを食らったのは、初めてでした。
 しばらくして、その子の名前が宮澤佐江という名前だと知ります。

 それから、僕が本格的に48グループにハマるのは「マジすか学園」からです。
 「AKBで誰が好き?」と言われれば、迷いなく宮澤佐江と答えていました。
 意外と、と言ったら失礼ですが、同じように好きだいう男性の会社員が僕の周りでは多かったです。前田敦子や大島優子と同じぐらいのメジャー度だったのかもしれません。彼女の元気な笑顔やボーイッシュな魅力にやられたのかも知れません。ただ「推し」というレベルではなく、あくまで「AKBの中なら」という鍵括弧つきの評価でもありました。それでも、彼女は48グループと出会うきっかけをくれた貴重な存在でした。
 チームKという体育会系のグループで全力のパフォーマンスをする姿は、どこか、この後好きになるSKE48と繋がるものがありました。

 2014年。
 僕は嫌悪感に満ち溢れた感情で宮澤佐江を見ていました。
 「大組閣」という歴史に残る大悪手で、AKBを中心とした人事異動が行われ、各48グループの独自性は一時的に薄れました。

 宮澤佐江がSKE48に来て、キャプテンになる。

 当時、SKE48のキャプテンだった中西優香推しだった僕にとって、彼女の存在は邪魔以外の何物でもありませんでした。
 その2年前の上海への移籍の際は、心から応援できました。
 佐江ちゃん、凄いな、と。
 2013年の総選挙での上海1本宣言も凄く潔さを感じました。
 しかし、SKE48に来ることになって、なんでここなんだ、という思いでいっぱいでした。キャリアも彼女の方が先輩だし、総選挙の順位、知名度どちらも上だし、ボーイッシュという要素も中西と同じ。
 何もかもが、僕を不安にさせました。
 新しい環境に対して想像だけで大きな不安を感じてしまうのは、僕がもう2008年と比べて歳をとってしまっていたからかも知れません。少なくとも宮澤佐江を知った時の、新しいものへの期待はありませんでした。

 大組閣後のSKE48は、新チームでチューニングが合っていない状態からスタートしました。それを徐々に調節していきながら、チームの形が出来ていきます。
 僕も少しずつ、宮澤佐江がいるSKE48に慣れていきました。
 決して偉ぶらず、謙虚でいながら各メンバーの心を支えていく姿は、メンバーたちの言葉やSNSからも読み取ることが出来ました。
 こっちゃんこと白井琴望の「メンバーに平等に接していた」という言葉からも、彼女が気遣いの人だということが伝わってきました。そして、公演中の表現力についてもチームSを中心に新しい要素を持ち込んでくれました。彼女が踊る「万華鏡」のふりつけも、振り付けを担当したスタッフさんたちと話して、新しいものに変わったのが印象的です。

 2015年。
 宮澤佐江は卒業を発表します。
 ううむ、ついに来る日が来てしまったか、という印象でした。
 SKE48に馴染んできていただけに非常に残念でした。
 会場はガイシホール。
 二日に渡って行われるコンサートの初日に僕は当選。
 残念ながら卒業コンサートのある2日目は落選しました。

 20163月3日にガイシホールに来た僕は、女性ファンの多さに衝撃を受けました。
 こんなに女性ファンが来ているSKE48のコンサートなんてあったか、というぐらいの数だったのを今でも覚えています。
 このコンサートで印象に残っているのは「スキャンダラスに行こう!」のかおたんですね。ええ、もうこの時のかおたんの思い出が強すぎて、新曲「チキンLINE」やカップリング曲のセンターお披露目についても、色々ぶっとびましたよ。
 ただ、忘れてはいけないのが、山下ゆかりのコーナーがあったこと。
 「街角のパーティー」から「虫のバラード」の衣装が出てくる演出がカッコ良かったですね。

 3月4日の卒業公演は、ブルーレイで観ました。
 いきなり、「奇跡は間に合わない」で始まるセットリストの斬新さ。
 予想を裏切りつつも、見たかったものを見せてくれるセットリスト。理想的ですが、なかなか実現するのが難しい。けれど、「Lost the way」のイントロが流れた時の黄色い歓声が、その証明の一つかもしれません。ちゃんとディーバ時代も忘れていない。今いるメンバーでそれをやってみせる。
 「君はペガサス」や「明日は明日の君が生まれる」、どちらも凄く良くて、特にAKB歌劇団でも歌った「君はペガサス」が観られたのが嬉しかったです。
 また、彼女の手話でのパフォーマンスが印象的だった「掌」。コンサートを「届ける」という意味を考えさせられた1曲でした。
 別れの曲に選んだ「約束よ」。
 1曲1曲にドラマがあって、コンサートでその曲が流れる意味があって、素晴らしかった。
 名卒業曲「旅の途中」は、劇場での卒業公演で披露するので、ここで唄われませんが、それも気にならないぐらい良いセットリストでした。
 
 別れ際に見せた彼女の笑顔は、8年前と何も変わっていない輝きでした。この人が居なければSKE48に辿り着くことはなかったし、推しに出あうこともなかったでしょう。2014年から2016年ぐらいのSKE48を指して、「暗黒期」と思う方もいらっしゃいますが、この頃、実はSKE48は宮澤佐江という人のイズムを取り込んで、ハイブリッドに進化していく下準備をしていたのかも知れません。
 そう、グループだけでなく、メンバーたちやファンにも、変わるきっかけを人生の色々なタイミングでくれていたのが宮澤佐江だった。
 今もどこかで新しいきっかけを彼女が生み出していると、想像しています。
 最初は誤解されることもあるかもしれませんが、それを変えていけるのが、彼女の素晴らしさですから。
 

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