他者から見たバックボーン
この人と一緒にいると安心だな、とかこの人と話すと自分が少し広がる気がするな、という人はいますか?
それが身近な人の時もあれば、時を超えた先人が本の中に居たり、場所を越えてネットの中の動画やサイトに居るかも知れません。ただ、時や場所を超えた時は、なかなか「対話」は難しいかも知れませんが、自分で問いを見つけられる人であれば、可能だと思います。
ソロプレイヤーとして素晴らしいタイプの天才は、往々にして誰かと組み合わさった時も素晴らしい作品を残すことが多いです。
たとえば、谷川俊太郎さんの詩は、多くの画家たち、特に絵本作家たちを刺激しました。それは、谷川俊太郎の詩が持つリーチの大きさでしょう。詩からイマジネーションを広げて、それをヴィジュアライズ化する。また、正津勉と作った「対詩」という詩集では、途中で正津勉が谷川さんの才能に少しだけ揺らいでいるのに対して、しっかりしろ、と励ますように表現で彼を引っ張っていきます。それに呼応するように正津さんの詩も素晴らしいものになっていきます。
これは、文学という作家が創作時間を自由にコントロールできるものでの話です。相手の良い部分や優れた部分、作品の核となる部分をくみ取り、必要なところを表現する。
表現の時間が進んでいくライブやコンサートでは、組み合わせが失敗してしまうと、なかなか良いものになりません。時には相手を立て、またある時は自分が前に出てということが必要になってきます。
古畑奈和は往々にして、それが必要な場に居ます。
公演やコンサート。舞台や配信。
リハーサルをいくら入念にしても、練習とは違う事態も起こります。
たとえば、2018年12月16日に行われた「AKB紅白」。
SKE48は紅組として出場し、だーすー&つーまーの「ここで一発」に続き、「Stand by you」と連続で曲を披露するんですが、「ここで一発」からの早着換えの際に、だーすーの着換えを手伝っていたかおたんが、うっかりこの後でも使うマイクを衣装と一緒に持って行ってしまいます。
「マイクが無い!」という表情のだーすー。
それを見た奈和ちゃん。
二人はイントロのフォーメーションだと一つ隣りの辺りになるかと思います。
そしてまずは、珠理奈のソロ。花壇のような階段のような道を作るフォーメーションです。しかも、「AKB紅白」は生歌だったんですよ、この年は(しかも、生バンドなんでいつもと違った味わいがあるんです)。さあ、どうする。
だーすーの歌割りである「突然、急に心がハッとしたよ」の部分でスッと自分のマイクを奈和ちゃんが差し出します。しかし、彼女の歌割りはすぐ後の「昨日より美しく見えたんだ」です。どうする、と思いきや、すかさずだーすーが奈和ちゃんにマイクを返します。
その後、マイクはだーすーの元に帰り、一件落着、大サビ前に入るぐらいで、だーすーが一瞬珠理奈の方を見て笑い、珠理奈もアイコンタクトを返しています。
この辺りの対応力は、「流石は無音のセントレアで『オキドキ!』を踊った最強研究生の一人、信用でき過ぎるぜ!」と思いつつも、なんでこんなことが出来るのかな、とふと思いましてね。
あの場には他に何人もメンバーが居た中で、誰ともかち合わずにあんなことが出来たのか?
勿論、事前に「何番のポジションでマイクが無かったらこうする!」みたいな取り決めがあったのかも知れませんが、奈和ちゃんの曲への集中力や振り付けによる曲の世界観の表し方は尋常じゃないな、と思ってましてね。
以前、珠理奈と平手友梨奈さんをふと比べたことがありましたが、ステージ上では奈和ちゃんの方が近いのかな、とふと思ったりもしました。
ただ、平手さんも奈和ちゃんも少し狂気的な表現が、外の人に注目されがちですが、どちらも優しい性格なんですよね(しみじみ)。
特に去年公開された映画「僕たちの嘘と真実」を観てからは、平手さんがいかに他のメンバーというか欅坂46という場を気にしていて、みんなのことが好きだからこそ、自分だけが目立っていくのが嫌になり、大事な場所から遠ざかっていく自分を感じていたか。
彼女は脱退を選びましたが、奈和ちゃんもファンとの関係が薄れて総選挙とかが無かったら、優しい自分と必要とされる自分像の狭間で潰れていたんじゃないか、と不安になります。欅坂46の東京ドーム公演のアンコールの舞台裏で「出来ない、痛い」と叫ぶ平手さんと無慈悲なアンコールを聴いていると特に。
奇しくもこの記事を書いている1月3日の夜、「いってQ」に出演している平手さんは無邪気な笑顔でウッチャンと独楽回しの芸をして、ウッチャンを励ます為に愉快なダンスを踊っています。何かから解き放たれたかのように。
話を古畑奈和に戻しましょう。
古畑奈和がセンターを務めた「FRUSTRATION」は、これまでの欲求不満からの解放を描いた歌詞で、是非、コロナが終息したライブの1曲目はこれで是非バカ騒ぎ出来ればと思うんですが、実はセンターでない曲や役でもその曲の主役たちを輝かせることが多いです。たとえば「DADAマシンガン」や「いきなりパンチライン」この辺り立ち位置でのMVやコンサートでのパフォーマンスを観ていただくと、主役の世界観に合わせて「古畑奈和」の表情や仕草の引き出しを開けています。しかも、悪目立ちしないように。
AKB48でのカップリング参加曲なら、「君の嘘を知っていた」なんかもおススメです。
また、「ハムレット」での演技も彼女が立たないと主役の珠理奈が小さく見えてしまいます。
じゃあ、なんでそんなことが出来るのか?
最初の問いに戻ります。
その答えのヒントが彼女がずっと連載を持っている「Sax word」にありました。
皆さんは、こちらの動画のシリーズ、お好きでしょうか?
2017年あたりから、本格的にデュオに取り組んでいくんですが、最初は講師の先生から「何か気が付いたことがあったかな?」と言われていた奈和ちゃんが、徐々に講師の先生方からセッション終わりに褒められるようになります。
たとえば、2020年4月24日に配信されたSAXCATSさんとの「茶色の小瓶」のサックスアンサンブル後には、こんな風にコメントしていただいています。
「一緒に演奏してて凄い楽しかったですし、凄い練習をね。凄い沢山やってきてくださって。凄いあの感動しましたなんか」(ソプラノ・サックス 藤瀬友希さん)
「私は実はAの部分のメロディの時に、あの二人っきりになれるっていう特権が。ベースラインの特権があって、凄く気持ちよくって。私たちの出しているこのスイングの形をちゃんと感じとってくださってて、それに乗っかって吹いてくださっていたので、凄い気持ちよく吹けました」(バリトン・サックス 本藤美咲さん)
「私はもう、さっきも言いましたが、吸収率が半端ないな、と思って。ビブラート教えた時も最初に教え時よりも次やった時かかってて。めっちゃ凄いと思いました。はい。あとやっぱり同じテナーなので、ちょいちょい2本一緒に動いているところがあって。それもばっちり吹けてて、ばっちりだと思います」(2ndテナー・サックス 髙木沙耶さん)
「一緒に演奏してて凄い楽しかったのと、あと、なんていうの?アンサンブルになんていうのか、スムーズにこう、アンサンブル出来てる音色というか。なんかこう、違和感なくみんなとCATSでやっている時と同じように違和感なく演奏してたので、なんかびっくりしました。楽しかったです」(アルト・サックス 瀬野冴香さん)
「今回、私のパートを吹いていただきましたが、ちゃんと凄く吹けてました。あと楽譜読むの苦手って聞きましたけれども。ジャズの曲ってやっぱり楽譜をちゃんと吹くだけだとそれっぽく逆にならないので、そこは音源を聴いてそれを元に吹いてきてもらったのが、凄く良かったんじゃないかなと。凄く良い音だったので」(1stテナー・サックス 村井千紘さん)
この動画でのコメントを一旦、抽象化したいと思います。
「練習」、「感じ取る力」、「吸収力」、「アンサンブルに乗る」、「音源を大事にする」。
後半の2つは、「感じ取る力」に入れても良いかも知れません。
「練習」、「感じる取る力」、「吸収力」。
この3つは、アイドルとしての活動に通じるものがあるのではないでしょうか?
そういえば、舞台「AKB49」のメイキングで茅野さんが奈和ちゃんの「吸収力」を褒めてましたね。また、「古畑前田のえにし酒」の第20回で5期生として加入当初はダンスが出来ない組だったことを語っていましたが、必死で居残り「練習」をしながら表情の研究をして自分のSKE48内での希少性を高めて行った。
そして、「感じ取る力」こそが彼女の強みではないかと思います。
以前から、僕は彼女がブログで書く文章が好きで、語りかけるような文体で心情を吐露していくスタイルがとても好きでした。また、独自のあだ名の造語センスは何なんだろうと。
かつて、文章というのは選ばれた階級の人しか書けるものではなく、文章を書く為には沢山の本を読んで表現の引き出しを増やしていく必要がありました。
でも、奈和ちゃんがめちゃくちゃ読書かであるというエピソードは聞いたことがありません。なんなら、彼女は読むことよりも書くことの方が多いと思います。じゃあ、彼女のこの文章はどこから来たのか?
ひょっとして音楽を通してなのではないか、と僕は考え始めています。
誰かに届けたい気持ちがあり、ステージではダンスや歌であり、ブログでは言葉。今、書きながら連想したことなので、またこの課題はいつか。
2020年11月1日の「Sax word」の動画では、バラ―ド演奏に挑戦し、奈和ちゃんは次のように語っています。
「今日はですね。もう、凄い色んなことを吸収できたなと思うんですけど。
個人的に、『わあ凄い』ってなんか感動したのが、今までサックスのライブとかに何度か行かさせていただいて、その音を聴いたんですけど。
それはただ単になんか、音を楽しんでる自分が居たんですけど。
でも今回、その吹く、演奏する側には楽譜に込められた思いを受け取ってそれを自分なりになんか、解釈してそこに愛が生まれるんだなっていうのを今日知って。
今後サックスのライブに行った時でもこの方がこの演奏をするには、なんかこういう愛を伝える為に吹いてるんだな、とかこう向き合って愛を伝えてるんだなとか、そういうことを考えながら聴くサックスも楽しいかなと思いましたし、今日はピアノと一緒にデュオすることが出来て凄い楽しかったです。
お互いのその投げかけてるよというか、『ここ受け取ってね』っていう掛け合いが難しかったんですけど。でも、意思疎通できた時が楽しいと思うので、私ももっとお互いの雰囲気を感じて、感じ取って『届ける』ということが出来るようになれば良いなと思いました」
ちなみに、この動画でピアノの斎藤アリアさんに「正直、このデュオスタイルって、上手い下手の前に合う合わないってあるんですけど、凄くカンが良い」と褒められています。
やはりここでも、彼女は難しさを感じながらも「感じ取る力」を褒められてますね。
また、苦手と言っていた譜面を読むことに、新しいアプローチを一つ見つけています。この人、まだまだ上手くなって行きますよ。
「練習」、「感じ取る力」、「吸収力」この3つがあるからこそ、古畑奈和が居る場は安心感がありますし、咄嗟のハプニングにも彼女は対応できます。曲の世界に接続し、時には自分が輝き主役を輝かせます。そして、真っすぐ経験を自分の糧にしていく力。
この3つの力を念頭に置いて、「AKB紅白」での対応力をもう一度考えると、納得の実力なのではないかと思います。普段の練習、場の空気を感じ取る力、そして、これまでの経験で吸収してきたもの。
それがあるから、彼女は出来たんじゃないでしょうか?
そういえば、「感じ取る力」や「吸収力」は、かおたんが握手会について、研究生として入ってきた奈和ちゃんに教えたことを吸収し、相手と「笑顔の交換」をする為に「感じ取る力」を発揮して行ったのではないでしょうか?
そして、冒頭で平手さんと比較できるぐらいの表現力は、3つの力が古畑奈和という「楽器」を通してヴィジュアライズ化されるから、我々は心惹かれてしまう。誰かの為に泣けるぐらい「感じ取る力」が強い彼女だから、曲の世界にもライド出来る。
古畑奈和の実力の背景を今回は、サックスを通して考えてみました。
よく僕はブログで「古畑奈和のソロコンまたやって!特に中止になった大阪分はやって!お願い!」とか「セカンドソロアルバム出せ!クラウドファウンディングなら行けるはず!」とよく書いてましたが、ふと思ったんですよ。
古畑奈和のセッションコンサートとかどうでしょう?
これまでサックスワールドで関わってきた方たちやBS日テレの酒番組で関わった古川さんのグループや前田さんのグループ、ラジオでゲストに来てくれた武田真治さん。
先日行われたAYAKARNIVAL方式で、それぞれの方が数曲披露して奈和ちゃんと1曲セッションとかですね。
セカンドアルバムも歌唱だけでなく、彼女が演奏するインスト曲を入れるのも面白そうですね。歌詞だけで表現するのが音楽ではないですもんね。楽器を通すことで別の視点で楽しむことが出来る。
夢は広がりますが、ソロプレイヤーとしての古畑奈和ではなく、誰かとセッションをする古畑奈和を、しかも、アイドル以外の人とセッションする古畑奈和を考えていくことで、彼女のバックボーンの新たな発見にチャレンジしましたが、彼女の独特の文体やワードセンスの理由は、まだ分かりません。
ただ、良い研究というのは、一つの課題の論証をし終える頃には新しい問題が見つけられているもの。
研究者は新しい問題を見つける方が、答えを見つけるよりも遥かに重要と森博嗣も書いていましたね。
まだまだ、古畑奈和について考えることは面白くなりそうです。
ブログを引用するというこれまでのやり方に限界を感じたので、この記事では、過去にさかのぼって「Sax word」の動画や「えにし酒」をチェックしていきましたが、彼女が作る場はとても良い空気に包まれます。それは彼女の握手に行ったことがある方なら、感じられるかも知れません。
古畑奈和はソロでも魅力的ですが、誰かと絡むとまた別の面白さがあります。
メンバーたち、ミュージシャンの方たち、酒場の方たち、ファンの方々、そして、今年控えている水戸黄門キャストの皆さん。どんな変化が今年彼女に起こるでしょう?
練習し、感じ取り、吸収して、また女優に近づいていく。
これから、奈和ちゃんを知るであろう全く違う世界の人たちが、びっくりするのが楽しみです。
※最新の「Sax word」では「願い事の持ち腐れ」のNコンのピアノ伴奏担当の青柳さんが登場してくださっていますよ。