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2021年1月23日土曜日

シン:SKE48は来るのか?

 2次創作の限界と新しい物語の書き手は誰か?


 皆さん、人生の中で「新世紀エヴァンゲリオン」は通ってきましたでしょうか?
 本放送時は愛媛県の田舎に居た僕は観ることができず、当時のアニメージュの表紙になっていた青い髪の少女に、「このアニメはなんじゃい?」と思いながら、文字情報で追っていました。
 とにかく、毎月の特集ページの増加と読者ページの拡大(読者投稿のエヴァ補計画の熱量は凄まじかったです)、何かが起こっていると思い角川から出ていたフィルムブックを買って、文字情報に加えてセル絵情報で更に追うことになりました。特に最終回放送後の号での賛否両論の盛り上がりは、当時、中学生だった僕は、アニメを「消費」するのではなく、「考察」する楽しみ方があるというのを教えてもらった気がします。
 最終回後の盛り上がりを受けて、再放送が始まるんですが、丁度、レンタルビデオのリリースも始まり、配信サービスが無かった頃の田舎のファンはこうして都会の情報をカバーしていました。
 こうして春映画の公開までに、テレビ版を追って作品に臨むことが出来ました。
 そして、やってきた夏映画。
 この頃には、完全に社会現象になっていて、いったいどんな結末が待っているのか、とドキドキしながら観ました。
 ネタバレは避けますが、映画のラストの台詞で呆然となった僕は、翌月発売のアニメージュに載っていた庵野監督のFAXインタビューを読んで、よし、アニメ観るのやめよう、とジャンルから離れました(それから基本的にアニメはよほどお勧めの作品以外は自発的には観なくなりました)。それぐらい、エヴァは自分にとっての重要な作品であり、傷でもありました。

 それから時は流れて、新劇場版が公開されます。
 「序」の初日に、仕事を休んでメチャクチャ上司に怒られつつも、なんとか初日に観ることが出来た僕は、絵が綺麗になったな、ぐらいの感想しかありませんでした。知ってる話でしたしね。
 「破」も初日に観に行きましたが、アクションが気持ちいいな、「今日の日はさようなら」がいいな、と感じました。でも、知っている話でもありました。それでも、ブルーレイを何度も再生しました。
 「Q」も初日に行きましたが、この頃はもうイベントムービー的な消費の仕方で(2020年で言えば、『鬼滅の刃』を観に行く感覚です)、とりあえず、続きも付き合わなきゃね、という感じでした。前半と後半でえらくテンションが違う作品で、震災という社会的な背景も考えられますが、「知らない物語」が始まるワクワク感がありました。カヲル君とのやりとりにあんなに尺いるのかね、という疑念はあるものの、徐々に新しいエヴァを体感していくことが出来ました。しかし、映画が終わった後に、これ、どうやって終わるんだろう、という不安だけが僕の中で渦巻いていました。

 

 昨夜、久しぶりに「破」を観ました。
 10年以上経って、久しぶりに観ると初代ガンダムの語り直しのような2次創作のような感じもしまたし、マリという「あなた達こういうの好きでしょ的なキャラ」に何故、自分がハマらなかったのかがよく分かりました。あと、綾波レイが「ポカポカする」とか食事会の予約をするという違和感もやはり抱きました。
 公開当時、これはループしているんじゃないか、という説も出ましたが、だとしたら、余計にテレビ版のような「この後、どうなるんだ?」というようなヒリヒリとした感覚が無い、安心感がどこかに漂ってしまっていました。

 ここまで読んだ方からしたら、うわあ、アニメを素直に楽しめないやつだ、と思われたかも知れませんが、なかなかアニメと接続しない人間からしたら、非常に貴重な作品でもあるので、やはり、一定以上の期待をしてしまうんです。特に「シン・ゴジラ」で特撮映画を更新してくれた庵野監督なので、次に公開される「シン:エヴァンゲリオン」には期待もしています。



 テレビ版の意図的ではない「事故」のようなライブ感があったからこそ、あのアニメは伝説になったのかも知れません。そういう意味では「まごころを君に」の方が公開後の賛否両論の盛り上がりや、とんでもない事故に巻き込まれた感覚があったかも知れません。
 新劇場版は、安心感がありますし、幅広い年齢層にも親しまれています。それに対して、どう考えるかは、人それぞれですが、エヴァに影響を受けた人間の一人としては、次の「シン:エヴァンゲリオン」で凄まじい終わりを見せて欲しいなと期待しています。

 で、ふとテレビ版の意図的ではない「事故」のようなライブ感で思い出したのが、かつての48グループです。
 2012年から2014年頃ぐらいまでは、僕は毎日、公式サイトやまとめサイトを観る時にドキドキしていました。
 今日はどんなことがあったんだろう、誰かのスキャンダルが出ていたらどうしよう、何かやすすがまた馬鹿なことを始めるんじゃないか、とかね。
 我らがSKE48に目を移すと、この3年間で様々なことが起こり、様々な奇跡が起こりました。総選挙における松村香織の爆上げは運営からしたら想定外の「事故」だったかも知れませんし、リクアワでの「羽豆岬」、ガイシでの「それを青春と呼ぶ日」の白いサイリウムの海、本店ドームツアーでの名古屋ドーム初日での「SKE48」コール。名古屋ドームでの達成感。
 明日は何が起こるんだ、というライド感がありました。
 そして、その物語には「物語に参加する楽しさ」と「誰かを推し上げる楽しさ」、そして、一つ一つの現象を考えられる楽しさもあったかもしれません。
 それから、大組閣が起こり「ペナントレース」という大悪手で、徐々に雲行きが怪しくなりました。
 そして、坂道グループの台頭があり、昔のような大幅な物語の進展はなくなっていきました。
 松井玲奈の卒業、小畑優奈の登場と卒業。総選挙の終わり。
 年に1回のセンター交代。
 少しずつイベントは減っていき、いつの間にかSKE48は、物凄く安心して見られるグループになりました。
 勿論、コロナ禍の影響もありますし、予算の問題もあると思います。
 劇場公演がメインだから、というコンセプトもあります。僕自身が麻痺してしまったのかも知れません。

 それでも、少しずつ「新しい物語」が始まっています。
 「12周年公演フェス」、「恋落ちフラグ」の全員選抜、そして、「ティーンズユニット」、規模こそ内側向けですが、少しずつ「新しい物語」が始まっています。
 ひょっとすると、今は「SKE48 Q」ぐらいまで来ているのかも知れません。
 (これまでの「エヴァ」の世界にいなかったキャラであるマリが来たように、新しい価値観で登場したゆななのセンターが「破」と仮定したらの話ですが)。

 丁度、昨日は吉田朱里さんの著作に関する記事を書くために(かおたんとの比較をしながら)、お隣りNMB48について、少しだけ近頃の流れを追っていったんですが、女性人気をある程度確保した上で、19年頃からグラビアに多くのメンバーを輩出して男性ファンも新たに獲得しようと動いています。また、チームを6つに分けて新しいドラマを作る仕掛けも始めているようです。

 48グループの「握手会」、「総選挙」というフォーマットはここ数年で弱体化していきました。大会場でのライブも難しくなりました。
 今だからこそ、僕らの「知っている物語」の二次創作ではなく、新しい語り口でブレイクスルーするメンバーが出てくるのではないか、と21年は期待しています。
 
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