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2021年1月9日土曜日

万華鏡①

覗き見る世界の変化


 僕らが覗き見ることが出来る世界は、20世紀から21世紀にかけて、一気に広がりました。この文を書いている僕は、大人になるに連れてネットが生活の中に入ってきた世代です。生まれた時からネットがあるデジタルネイチャーの世代が、これからどんな風に世界を見ていき、作るのかも凄く興味があります。

 さて、大人になっていくに連れて、見るものも変わりますし、徐々に現実を知っていきます。いや、正確に言うと知った気になります。やがて、自分で「夢」に折り合いをつけて行ってしまう。徐々に変わってしまうんですね。このブログの読者の皆さんは、どんな夢を子供の頃に見ていたでしょう?

 SKE48の「制服の芽」公演のユニット曲「万華鏡」を聴いていると、僕は上記のことを思い出します。
 歌詞の世界を見て行くと、まず主人公の少年時代らしきものが提示されます。
 万華鏡を覗いて、夢を見ます。
 この時に注目していただきたいのが、窓の光を通して、万華鏡を見ているところですね。
 窓から光が差すということは、おそらく太陽が出ている昼間ですよね。
 この光を集めて見る夢は原色、つまり様々な色の元になるような希望があります。 

 1番のAメロでは、生きる意味が空白であり、それは想像ではまだ埋められない状況が語られます。大人びた友人は、ネットを見て少し学がある感じのことを言っています。多分、ソクラテス哲学における「自覚」ですかね?
 で、友人はネットを見ている。
 ネットというウインドウを開いて見る世界から、彼は哲学を学んでいます(この曲が作詞された時代はまだスマホ全盛ではなかったので、おそらくパソコンではないかと推測しました)。

 生きる目標がまだ分からない主人公ですが、欲しいものは明確です。
 それは愛です。
 受動的に自分の中に入ってくるものには、万華鏡を覗いた時のような色はない。


 さて、1番のサビでは、再び曲の主人公は万華鏡を覗くんですが、光が入ってくるのは、「蛍光灯」という人工的な光。そして、ひょっとすると夜やカーテンを閉めた部屋のような少年時代とは真逆の世界が描かれています。
 そして、彼の目には眩しく映ってしまいます。


 2番のAメロでは、落ちこぼれることもできず、軽蔑していた父親からお金を与えてもらう、という最低の生き方をしていることが描かれます。大人になりたいけれどまだなれない人生の中の特殊な時間が描かれます。

 そして、Bメロでは自由を欲しがります。
 自分の世界を彩るような素晴らしいものが無いこともここでは描かれています。

 2番のサビでは、冒頭に出てきた自分の少年時代の万華鏡の思い出が再度描かれます。
 大サビ前で、もう一度、愛を欲していることを示します。与えられるのではないとしたら、愛せるような対象かも知れません(お金じゃない愛が欲しいという解釈もできると思いますが)。
 映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の「自分のすることを愛せ、子供の時、映写室を愛したように」という台詞に示されるように、少年の頃、虜になった万華鏡のように、愛せる何かをまだ見つけられない状況に置かれているのかも知れません。


 そして、大サビでは、もう曲の主人公が万華鏡を覗かなくなったことを、机の中で埃をかぶっていることが描かれます。万華鏡という様々な夢が広がるものに触れなくなったことで、「あの頃」、つまり少年時代には戻れないし、夢も現実と折り合いをつけてしまったせいか、もう壊れてしまったことが語られます。

 「万華鏡」を題材に、夢の見方が成長と共に変わり、気づけばもう夢を見なくなってしまった悲しさを感じる名曲だと思います。万華鏡を覗いても、何も感じなくなってしまったのかも知れません。

 さて、この曲のメロディについてなんですが、リクアワのオーディオコメンタリーだと、よく、メンバーが「終わりの音が好き」と語ったり、「どこか懐かしさを感じる」と語ったりしていますが、歌詞の中で少年時代を描いているからかも知れませんね。

 振り付けは、サビの全員がバラバラの動きをするのが印象的です。

 平田理香子は、リクエストアワー2011のオーディオコメンタリーの中で、サビの動きについて「全部一人一人同じふりがなくて、最初の振り入れする時って、前の人観ながらできるじゃん。でも全然できないの」と語っています。そういえば、2012年のオーディオコンタリーで、矢神久美が「カウントずれとかもあって難しそう」と語っていましたね。実は難易度の高い曲なのかも知れません。

 秋元康の曲には、社会の空気を歌詞に表現した「サイレントマジョリティ」のような名曲もありますが、僕はこういう短編小説のような曲が好きです。いつの間にか少年時代の夢を失ってしまった青年の悲しさ(勿論、万華鏡がまだ机の中に残っている希望もあります)。

 この辺りの曲の解釈は、是非皆さんの意見も聞いてみたいです。
 だーすーなんかも2011年12月14日のブログでこの曲の解釈を書いていますね。

https://ameblo.jp/ske48official/entry-11107207039.html
 

 歌詞をしっかりと考えて歌う彼女だからこそ、歌いながらジーンときてしまうのも納得ですね。ちなみに、翌年のリクアワで「万華鏡」に緊張している菅なな子にだーすーは、優しい言葉で励ましていますね(2012年10月12日のアメブロを参照)。

https://ameblo.jp/ske48official/entry-11377514517.html

 この万華鏡の公演でのパフォーマンスというと、皆さんは誰を思い浮かべるでしょうか?
 SKE48でも様々なメンバーがパーフォーマンスをしていますが、個人的には菅なな子バージョンや大矢真那バージョンが好きです。

 実は、大矢真那さんがブログの中で「万華鏡」を書いたことがあります。
 2017年6月28日のブログです。
 これは曲についてではありません。
 自分の心象風景を「万華鏡」で喩えています。

 少し読んでみましょう。

https://ameblo.jp/ske48official/entry-12287588668.html

 このブログを読んで目から鱗だったのが、万華鏡は、構成するパーツは常に同じだということです。見方を少しかえるだけで模様も変わる。少しの揺れで崩れてしまう繊細のものであるということ。これを念頭に置くと、先ほどの曲の解釈も更に奥行きが生まれます。夢は見る角度(視点の向き)によって変わってくるし、壊れやすいものであることが伝わってきます。

 もっと言うならば、SKE48の公演というのも同じメンバーで同じ楽曲をやっているように見えて、実は毎回違うものが表現されていることに気づかされます。

 自分の夢と、栄の劇場でメンバーたちが作るもう一つの夢、どちらも窓の光から覗いていたいと思います。