2021/1/12 17:45~
先生から手紙が届いたのは、正月のことだった。
いつも年賀状の代わりに先生からは手紙届くのだが、今回は手紙と一緒に映画の招待券が入っていた。細長い紙の招待券で、期限は2021年1月15日までとある。
さては先生が、株主優待か何かでため込んで使い損ねた券を、使いきれずに私に送ってきたのではないか、そう苦笑して書斎の机の引き出しの中にしまった。
門松が取れ、七草粥も食べて、そろそろ寒さが本格的になった。
私の仕事は土日祝日が休みだが、たまたま1月の3連休の1日に会社の休日出勤が入り、代休を1月12日の火曜日にしていた。
二度寝をしてから起きた私は、朝昼兼用の食事をして、見逃していた動画をいくつかチェックした後、ふと、引き出しの中にしまったチケットのことを思い出した。
さて、これといって観たい映画も無いのだが、このまま使わないのも勿体ないし、次に先生とあった時に少し気まずいので、厚着をして出かけることにした。
曇った空から、雪が静かに降り始めていた。
古い歌でこんな日に出かける曲があったが、曲名を思い出せない。
そんな名前を忘れた曲をマスクの中で口ずさみながら、駅の近くにある映画館まで歩いた。
平日の夕方の映画館は人影はまばらだった。
映画館に入った時に絨毯の感触がする。これはホテルなどにも言えるが、非日常感を我々が感じるのは、ひょっとすると地面の感触からかも知れない。
これから公開されるであろう映画の予告がいくつものモニターでバラバラに流れていた。賑やかであるはずなのに物足りなさを感じた。
物足りなさの正体を探っていると、匂いだと気づいた。
そういえば、昔は映画館に行くとポップコーンの匂いがしていたな。
マスクをそっと下すと、確かにポップコーンの匂いがしたが、従業員らしき女性と目があったので、また戻した。
さて、何の映画を観ようか。
券売機の上にある電子掲示板のスケジュール表を見ても、判る作品が無い。
ステイホーム中に配信で、いくつか映画を観る機会があったが、不思議なもので若い頃に観た映画ばかりで新しいものはほとんど観ることがなかった。
腕を組んで、スケジュール表を睨んでいると声をかけられた。
「お客様、何かお困りですか?」
眼鏡の神経質そうな男だった。顔は20代にも見えるし、40代にも見える。
他の従業員がベストを着ているのに対して、この男だけはスーツで、何かの担当者なのかも知れない。私は、自分の事情を簡単に説明した。
男は、私の話を何度か頷きながら聞いた。瞬きをするというよりは、目を長い間閉じて聞く。
「かしこまりました。それでは、チケットカウンタ―までご案内します」
男は、自動券売機の横にあるバーのカウンターのような場所を示した。
胸元に付けている小さなマイクのスイッチを男は押して、何かを喋っている。
私は男に促されるままに、カウンターまで歩いた。
カウンターには白いシャツにベストを着たショートカットの女性が居た。CAのように首元に鮮やかな柄のスカーフに目が行く。
男は、その女性に頼んで、B4サイズのファイルとタブレットを取り出した。
「お客様、それでは当劇場で公開している映画の紹介をさせていただきますので、少しだけお時間を頂戴しますね」
男が青いファイルをめくると、そこにはアニメのリーフが挟まっていた。
どこか見覚えのある絵だ。
「まず、紹介させていただきますのが、『樺乃と雪の女王2』ですね。子供向けの映画ではないか、と敬遠される方も多いかも知れませんが、非常に間口が広い作品です。特に歌唱シーンは、年齢関係なく心を打つものがありますね。『夢の在処』へという挿入歌も凄く良いんですよ。映画館の豪華な音響で聴くと更に歌声が更に楽しめると思います」
「そんなに歌が良い映画なんですか?」
「はい、これからより個々人のスキルが求められる時代になると思うので、この映画はロングランが期待できると私は思っております」
「じゃあ、それにします」
「待ってください!」
「えっ?」
「まだ、1作しか説明してないですよ?」
「いや、別にもうこれでいいんですけど」
「あなた、それはサザエさんのオープニングだけ観て、『ああ、サザエさんって、気球でウロウロする人の話でしょ?コロナ禍なのに命知らずな主婦の話ですよね』って言ってるようなもんですよ?」
全く共感は出来ないが、どうやらこの男は別の映画の紹介をしたいらしい。
まるで、無人島に次の漂流者が来たような目をしている。
「えっと、それじゃあ、次なんですが、『裕華たん ファー・フロム・ホーム』ですね。こちらは、『SKEアベンジャーズ』という人気シリーズの最新作ですね。浅井裕華たんが尊敬するだーすーの意志を継いで、独り立ちしていくまでのストーリーなんですが、これが泣けるんですよ」
「えっ、シリーズをほとんど観たことないんだけど、大丈夫ですか?」
「安心してください。この裕華たんから入っても十分楽しめますし、過去に遡っていくと更に楽しめるということですね。名監督の木﨑ゆりあとの関係も良いですよ。選抜アベンジャーズ入りして、これからどんな作品が出てくるか楽しみですね。個人的には次はホラーとかも出して欲しいんですけどね。彼女の重いところって、何故か負のイメージが付かない稀有な才能だと思うので」
「ああ、じゃあ、それで」
「ちょっと待ってください!」
「えっ?」
「まだ、当劇場の作品、まだ二つしか紹介してないでしょ。こんな限られた情報で、把握できますか?『キテレツ大百科』のキテレツぐらいですよ。あんな雑な設計書でコロ助を作られたのは」
なんだか分かったような分からないような喩えだが、私は止む無く次の説明を待った。
男は、1日1回だけ看守と喋れる囚人のような顔で笑いながら、次のページをめくった。
「『OOちゃん ノー・タイム・トゥ・ダイ』ですね。大人気の『OOちゃんシリーズ』の最新作ですね。毎回、豪華な鉄道が出てくるのが特徴的で、主演の末永桜花さんのコスプレも楽しめるんですよね」
「あれ、これはまだ公開延期前の作品なんじゃ…」
「ぎくっ!」
私は擬音語を口に出していう人に初めて会った。
「あの、うちの映画館はほら、試写会いっぱい取ってくる映画館なんですよ…。ええ…。それは置いといて、ある程度自分の世界観を末永さんここ数年で作り始めていると思うんですね。2019年の2月に行われたソロ作品映画祭でもそれを感じるんです。ここから少し回り道になるかも知れませんが、自分の世界観をより確立していくことで、今の配給会社を飛び出した時に、独立してやっていけそうな気がするんですよね。柴田阿弥監督みたいに」
「なるほどね。それじゃあ、それで」
「ちょっと待ってください!」
「ひょっとして、このくだりずっとするの?」
「『ドラえもん』でドラえもんが道具ださずに毎回、のび太に『自力で解決しろや』って漫画読んでたら、どう思います?必要なくだりってあるんですよ!」
男はよくわからない熱意を込めて、次のページをめくった。
今度はタブレットをいじり、ある動画を私に見せた。
それはある女性が「あっち向いてほい」をしている動画だった。
その動画をいくつか見せられた。何度か男からの視線を感じたので、ずっと画面を観ていた。
信じられないほど、女性は相手の指と同じ方向に首を振っていた。
「こ、これは?」
「ドキュメンタリー映画『放送局員』です。太田彩夏監督の初出演作でもあります。ある地方ラジオ局を舞台に聴取率を上げる為に様々な宣伝をしていくノンフィクションなんです」
「えっ、オモシロ映画じゃなくて?」
「はい、予告だけ観ると、そう感じるんですが、実は映画界におけるバランサー的な監督でもありまして、シリアスな作品、コメディ作品どちらを取らせても良い作品を作ることができる稀有な監督なんです」
「じゃあ、もうそれにしよう!」
「待ってくださいよお!」
「だって、もう4作も聞いたしさ。君も疲れてきてるだろう?」
「こっちは帰りの燃料積まずに生きてるんですよ。気にしないでください。それより、次の作品ですよ」
男のスーサイド気質な人生観は全く共感出来ないが、まだまだ何を観るか絞られずにいるのも事実だ。
「次は『なるぴー 結び』ですね。これだけで元の映画が分かる人が何人いるか分かりませんが、ついに名作シリーズが完結するんですよ!うちの劇場での公開が今月いっぱいなので、是非、今のうちに味わっておいて欲しい作品なんです。劇場に魅せられた少女が徐々に、踊りの楽しみを覚えて行き、数々の試練を乗り越えていく映画なんです。今なら入場者プレゼントの草も貰えますよ!」
「いや、それは要らないでしょう」
「最後まで映画を観ていただくと分かりますよ。手に草握る名作ですしね。彼女は制作現場の空気を明るく変えてくれる監督でもありましてね。9期配給会社の監督たちに劇場公演を楽しいものに、という意識を植え付けてくれた人でしてね。彼女が新人監督時代に5期配給会社で映画を撮っていた市野成美監督が、『みんな怒られて楽しめてないから、今日は気にせず楽しもう!』と語ったところを、ちゃんと受け継いでくれてるんですよね。栄の映画界はこういう形で引き継がれていくのも噛みしめられますよ」
男は恍惚とした表情で、ページをめくった。
黙っていれば、謎のたとえを言われないことに気づいた。
「次何ですが、「ワイルドスギーチャン パワーコンボ」ですね。人気の『ワイスギ』シリーズの最新作です。『すぎチル』というファミリーが次々と事件を解決していくんですが、とにかく主演の杉山愛佳さんのスピード感と力強さ、どちらも楽しめる映画なんですよ!毎回、エンドロール後の打ち上げ風景もお楽しみの一つなんですけどね。作品数が多くて、今から遡るのは大変かも知れませんが、ここから入っても十分楽しめますし、過去を知っても楽しいシリーズですね」
「この一緒に映っている女性は?」
「ああ、井上瑠夏さんですね。今回は彼女が敵になるか味方になるかが、一つのポイントになるんですよ。今、フード売り場にはコラボのおにぎりも売っていますし、グッズ売り場には『すぎチル』のTシャツやパーカーも売ってますよ」
「いや、映画を観てから考えるよ」
「そんな軟弱な考えで、映画を観終わった後、『仮面ライダー』の限定パンフを買い損ねた男のことを思い出しましたよ。さあ、次行きましょう!」
男は、スターを取ったマリオBGMのようにノリノリでページをめくった。
「次は『はたごん 社長と呼ばれた女』ですね。これは、香川でOLをしていた平凡な女性が栄に出てきて、アイドルとして成功するというプロジェクトを歴史的な資料を元にリアルに描いた海外映画なんですが、僕は結構この作品が結構好きなんですよ。映画の冒頭ではどこにでもいるOLの表情だった主演の髙畑さんの表情が徐々に変わっていくところが素晴らしいんですよね。金曜日はプレ三ㇺデーで、監督の上映後のアフタートークもあっていつも人気なんですよ」
「なんか、髙畑商事に関する映画なんだっけ?仕事仲間から聞いたことがあるよ」
「そうなんです。実はクラウドファンディングで制作された映画でして、僕も名古屋ドームでの『はたごん三唱』のシーンにも参加してますよ!」
「いや、君の出演情報は別に…」
「映画観る時の楽しみはいくつあってもいいはずでしょう!」
私はこういう正論めいた極論を言う人が苦手である。
少しずつ劇場の客足が増えてきて、私の後ろにも別の客が並ぶのだが、すぐに隣りのカウンターで、先ほどの女性の従業員が対応して、次の客がまた並ぶ。
なんだか、私が長々と説教をしたり選びあぐねている客のように見えていないか、だんだん不安になってきた。
「7期配給の作品は、次が最後ですね。「ほのの・パラベラム」ですね。みかん大好きほののが、前作の『ほのの・チャプター2』でみかん業界に命を狙われるところで終わって続きが気になっていたんですよ。まさかのラーメン部と合流して最後の戦いを挑む名作です。2020年に多くの映画館が閉館していた時に、彼女はSNSでサイレント作品をどんどん更新して行って我々を楽しませてくれたんですよね。だから、今年はもっと評価されて欲しい監督の一人です」
「その、これも続編なの?」
「安心してください。この監督は、昔から見ているお客様も楽しめるんですが、今から入っても楽しめる監督の一人なんです。今、作風が少しずつ変わり始めているので、これからの2年間は目を離さない方が良いですよ」
「じゃあ、それで」
「D2がまだでしょうが!」
「何?D2って?」
「ドラフト2期配給のことです。7期配給と業務提携したので、セットで紹介されることも多くて、うちの映画館でもよく同時に上映しているんですよ」
男がファイルをめくると、古ぼけたポスターが出てきた。
「これは?ずいぶん昔の映画のようだけど…」
「いえ、これはわざと古い時代を描いて、リーフもそうしているんです。『ワンス・アポン・ア・タイム・リス物語』ですね。これは上村監督が書いていたリス物語を原本に、幼い頃から現在までSKE48の黄金時代や、暗黒期、そして再浮上まで丁寧に書かれている作品なんです。主人公が最初は少女の目線で観ていた世界が、徐々に副キャプテンの目線に変わっていく過程が凄く良いんですよ」
「結構長編だよね?」
「あっ、大丈夫ですよ。うちの劇場ではリクライニングシートもありますので。大画面で上村さんの陽気な笑い声を楽しんでください!」
「うーん、じゃあ、それにしよう!」
「いや、あと2つあるのよ!」
「2つもあるの?」
「いや、どっちも『リス物語』に負けないぐらいの名作なんですよ」
男は残りのページ数が少なくなってきたファイルをめくった。
「『愛理を止めるな!』ですよ!この映画はですね。今年の黒真珠国際映画祭にも選ばれましてね。鳴り物入りで業界に入ったものの、なかなか評価をされずにCM撮影なんかをしている監督が主人公なんです。NOカットで自分たちの最高の映画を作っていく過程は、物凄い熱量があって、これからへの期待が凄く持てるんですよね」
「確か、口コミで人気が広まっている映画なんだよね?」
「はい、僕は今年のブレイク監督の一人だと思っています。ティーンズユニット映画祭でもグランプリを受賞するんじゃないかと期待してます!」
「よし、じゃあ、その作品で!」
「もう、最後まで聞いてくださいよ!『スラムダンク』の31巻だけ読まない人います?」
最後に開いたページには美しい横顔の女性がプリントされたいた。
「『マーヤン2 炎の宿敵』です。栄映画界の巨匠松井玲奈監督の映画トーンである『玲奈グリーン』を継承する作風で、栄映画界だけでなく秋葉映画祭にも招待されることもある名匠の作品なんですよ。一時期は映画業界から離れたこともあったんですが、帰ってきてくれたんです。彼女のポテンシャルと今の映画業界の評価は、必ずしも合っているとは、僕は思いませんが、振り子のようなもので、必ず、もう一度彼女のターンが来ると信じてるんです。だから、こういう時こそ、僕は彼女の作品を激推ししますよ!」
「えらい熱だね?」
「こういう時だからこそ、語りたい映画が沢山あるんですよ」
「よし、じゃあ、それで!」
気づけば時計の針はもうすぐ19時になろうとしていた。
男にチケットを渡すと、座席を聞かれて真ん中の辺りをお願いした。
チケットを発券しながら、男は眉間にしわを寄せた。
暫く黙ったあと、慎重にモニターのボタンを押した。
「お客様、おめでとうございます」
「なんですか?」
「お客様が丁度、100億人目の発券です」
それは年の初めから幸先が良い。
「お客様の本日ご覧になる映画は勿論、今から48時間、順番に紹介した映画を無料でご覧になれますよ。やりましたね!」
「いや、そんなには流石に…」
「いやー、羨ましいなあ、僕も体験してみたいなあ。おーい、みんなあ、胴上げしながらお客様をシアターまで連れていってくれー」
男の掛け声と共に、一気に屈強な男たちが20人ほど、私の傍まで走ってきた。
気づけば、「タイガー、ファイヤー」とかいう聞き覚えの無い祝詞と共に、私の身体は上空を待っていた。
中空で観た男の名札には、「栄」と書いてあった。
※8期配給編はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2021/01/blog-post_11.html