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2021年1月11日月曜日

覚えていてくれシネマズ 8期配給編

 2021/01/12 19:00~

 

 「栄くん、会議室まで来てください」
 イヤフォンモニターから支配人の声がした。
 胸元のマイクのボタンを押して口元を近づける。
 「かしこまりました」

 僕は、チケットコンシェルのカウンターから出ると、そのまま近くの従業員用扉に向かう。劇場のロビーにお客様は居ない。バイトの学生たちは、少し気が緩み始めている。19時からの上映が始まって、これから2時間近くはどのスクリーンでも今日は上映が無い。各自で休憩を回したり、商品の補充をすることになる。まあ、気が緩むのも仕方ないか、と思いつつ、軽く手を振って近くの従業員用扉を開ける。

 そこから、約2階分の階段を上がる。
 登りながら、ああ、いよいよか、と思う。
 映画館にとって火曜日の19時からの約2時間は非常に重要な時間帯だ。
 多くの映画の新作は金曜日に公開される。
 そして、多くの映画館のウェブ予約は2日前の0時から、つまり水曜日の0時から予約可能になる。どのスクリーンで、どの映画をかけるか、タイムテーブルをどうするかを決めるのが火曜日の夕方からの重要な業務だ。
 多くの場合は、支配人と副支配人が話し合って決める。
 過去作との対比やグッズの収益、コラボメニューの目標額との兼ね合いもある。
 そんな重要な会議に、僕が呼ばれた理由は単純で、副支配人がここ数日病気で倒れたからだ。幸い、感染症ではなかった。そこで、職権乱用とばかりに普段、デジタル試写などを観まくっている僕にお声がかかったわけだ。

 階段を登りきると、喉が渇いた。
 会議室に行く前に休憩室に寄り、唯一自販機で売っている140円の栄養ドリンクを飲み、気合いを入れる。

 会議室のドアを開けると、ワンルームマンションぐらいの広さの部屋に長机が二つ並べられていた。机の上には、アクリルボード。そして、その少しぼやけた板の向こうに支配人が座っていた。

 「それじゃあ、始めようか。まずは、1番シアターからだな」
 支配人は机の上にタイムテーブル表を広げる。
 一番上の横軸に「1番シアター(IMAX)」とか「2番シアター(4DX)」とか各シアターの仕様が書いてある。縦軸には、各シアターごとの時間が30分刻みで書いてある。
 「1番シアターはアニメ『るーちゃん無限列車編』で行こうと思うんだよね」

 「そう来ましたか!」
 「いや、観始めはこんなフワフワした出だしで面白い映画なのかなって思うじゃん?でもさ、主演の井上瑠香さんのさ、シリアスな時のギャップっていうの?あれ、凄く無い?」
 「僕は試写は観られてないんですが、予告編を観ると、凄い期待できるんですよね。松井珠理奈監督も気になる作品に挙げてましたね。ムビチケの売れ行きも事前にうちの劇場だけで300超えてるんで、配給会社も今、激推しく
んだと思います」

 「お前、るーちゃんを文房具みたいに喩えるな、本当にお前を1回しか殺せないのが残念だよ。それは置いておいて、熊本からスタートして震災を経てアイドルとして再生していく過程も良いよな。大迫力の画面でこれは味わって欲しいから1番シアターに持ってこよう」
 そう語ると、支配人は1番シアターに丸をつけた。

 「いや、ちょっと待ってください」
 「何?命乞いなら聞かないよ?」
 「あの、実はムビチケの売れ行きで言うと、もう1作候補がありませんか?」
 「あっ、『みよまる2003』か?」
 「はい、もともと一定の人気があった女性主役のアクション映画ですが、制作会社がカミングフレーバーになってから、良い意味で他の配給作品と差別化が出来てますよね」
 「確かに。先に上映した海外の映画館でもロングランヒットだし、うちの映画館では久々の正統派の美人主演の映画ですね」
 「うちの映画館で上映される映画はみんな美人が出てるだろうが。タイムマシンで全ての世界線のお前の可能性を潰してやろうか?そんなことは置いておいて、確かにこの作品は映画館が休業中もZOOM劇場とかで積極的に上映をしてた配給会社なんだよな。お客さんを楽しませるにはを全力で考えてる作品でもあると思うし」

 「じゃあ、1番シアターは交互に上映でどうです?」
 「そうだな、まず1週目はそれで行こう」
 「次は2番シアターですね。4DXだから、匂いや揺れ、水や泡、煙が出る作品ですね」
 「俺はさ、「サトカホ 半地下沼の女」がいいと思うんだよね」
 「これ、確かPG指定のホラーですよね?」
 「いや、大分配給が頑張ってくれたんだよ。PG12までにしてくれて」
 「確か、理系の大学生たちが同級生と夏休みに沼のほとりのコテージに行く話ですよね」
 「これさ、もの凄いリピーターがアジア圏で出てるんだよね。もう観た?」 
 「ええ、試写で観ましたよ。なんとういうか、主人公が魅せる顔が凄く多様性があって、分かったつもりになると、また別の顔が見えるというか。あと、フード部門で期間限定メニューでクロワッサンパンが出るみたいですね。いつも僕はクロワッサンの向こうを妄想しています」
 「この後警察を呼ぶから、また別のアクリル板越しに会話ができるな。ところで、配給から『サトカホ』の匂いが送られてきてたんだが、昨日の夜、映写スタッフが試しに匂ったんだが、かなりクラクラしてたな。『モニカ』がどうとか呟いてたし。90分間、色々な匂いが楽しめるホラーなんだろうな」
 「僕、ホラーは苦手なんですよね。でも、4DXだとアトラクション的な楽しみ方も出来るからいいですね」

 「ただ、朝からとなるとちょっときつくないか?」
 「朝からホラー観てる、コアなホラー映画ファンはいますよ。よく黒いTシャツ着て映画館に来てる」
 「できたら、ファミリー向けも入れたいな」
 「じゃあ、『おどる友月さん』はどうですかね?」
 「ああ、それ俺も入れるか迷ってたんだよ」
 「チアリーディングに励む、笑顔が素敵なモデル志望の女の子って、同世代の女の子だけじゃなくて、その少し下の層にも憧れの対象として受け入れられやすそうですしね。前作で主演の石黒友月さんが、野外で舞台挨拶した時もピーカンの晴れでしたしね。本当は『天気の子』とからめようと思ったんですけど、2020年公開じゃないんですよね」
 「急に次元の壁を越えて、作者の内情を語りだす辺り、お前が3流だっていう証拠だよ、もうさらに下流まで流れて欲しいよ。それは置いておいて、この年代の女優さんは1年1年がメモリアルフィルムとしても楽しめる側面があるから、是非、上映にかけたいね。じゃあ、4DXの午前中はこの作品にしよう」
 「どちらの作品も通常版も上映できるように少し小さくなりますが、スクリーン4もおさえときましょう」
 

 「よし、次はドルビーシネマのシアター3か。音響が自慢のシアターだけに作品選びに悩むね」
 「『YATTNE ヤッタネ!』はどうですか?この坂本真凛さんの」
 「確かに、彼女の声って最高だよな。あと、絵日記の演出も話題になってるからな」
 「そうですね。何回も観たいというファンが多いですし、映画化されるまでのドラマが素敵ですよね。もともと彼女も栄配給の映画のファンで人生を変えてくれたんですよね。いやあ、この映画館では出世に無縁の霞が関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児と呼ばれている僕とは大違いですよ」
 「『シン・ゴジラ』の巨災対でやってきたのが、お前ばっかだったら、俺はあの友達の眼鏡にすぐ電話するよ。『もうおしまいだって』。それは置いておいて、事前のアンケートでも共感した観客も多いし、これから成長していきそうな作品なんだよな。よし、3番シアターはこの作品で行こう!」


 時計を見ると、もう8時になっていた。
 ここからは折り返しだ、まだ僕が注目しているあの作品は決まっていない。


 「次は、5番シアターですね。ここは客席数は少ないんですが、ソファーシートがあったり、リクライニングシートもあって、のんびり映画を観るのに丁度良いですし、ミニシアター系の作品の規格の作品も映写できるところなんですよね」

 「俺はさ、この作品で勝負したいと思う!」
 「midいずりん!」
 「そう、ミニシアター系の作品なんだけど、センスが光るA24系の映画なんだよな。主演の仲村和泉さんは、前作『カワウソ家族』のイメージが強いと思うんだけど、今作は彼女の眼差しが光る作品なんだよ」
 「実は、映画レビューのサイトでも今年この作品を注目している方が多いんですよね。僕の個人的な趣味ですが、映画の中で男装シーンがあったら、もっと伸びる気がするんですよね!」
 「俺は一度、お前にトム・クルーズの仮装をしてほしいんだ。ビルからビルへジャンプして骨折したり、ヘリから飛び降りてほしいな。それは置いておくとして、実は普段、映画を観ない層のクリエイターの心を動かしそうな逸材だよな。応援の意味を込めて、うちでは1日5回まわそう」
 「はい、じっくりと観ていきたい作品ですね。5番メインで、8番の夕方に1回入れましょう!」
 

 「次は6番シアターだな。そろそろここで、好みの映画をぶつけようか」
 「えっ、『がんば令和ロボコン!』ですか?」
 「あんなアシッドムービー、二度と上映できないぞ!まじで、売店に来たお客さんに『あれは何だったんですか?』って聞かれたからな。違う、『よこにゃん ラストブラッド』だ!」
 「待ってました!グッズも一番充実してるんですよね!画集や『ムカデちゃん』のフィギュアは念の為に初日の6時から整理券配るようにしてますよ!」
 「張り切り過ぎだ!でも、主演の北川愛乃さんは、本当に表現力に長けてるいる人で、彼女の視点で世界を観てみたいと思わせる作品が多いよな」
 「はい、僕も生で彼女の舞台を何度か見ているんですが、端の席まで届くんですよ。だから、『アルプススタンドのはしの方』とかけようかと思ったんですが、やめました。動けてアートも出来るというのは本当に重要な女優さんだと思います。あと、SNSの更新と企画力が凄いんですよね」
 「俺も実は今年の舞台観に行きたいと思ってるんだよね。よし、6番シアターはこの作品に決定。グッズは追加注文できるようにしとけよ」
 「カッワッバンガ!」

 

 「次は7番シアターですね。ここは学生やアマチュアの監督、それから映画祭で評価が高かった作品を上映する為に、最近増設したシアターなんですよね。画質を上げる代わりに対応できる映写機の上映時間が短いのがネックですが…」
 「7番は『えんとつ町のねがい』で行こう!」
 「そう来ましたか!クラウドファンディングで資金を集めたアニメ作品ですよね」
 「そう、制作の深井ねがいさんとそのご家族のメイキングを公開したことによって、ファミリーのような親近感が生まれて見事、映画が公開されたんだよな」
 「僕は、彼女を観てると…。引退した、岡田美紅さんの分まで…。ううっ…」
 「一時期は作品の制作を心配されたことやアンチに叩かれたこともあったが、見事に自分の作品を完成させたんだから、応援せずにはいられないだろ」
 「はい、じゃあ、これで7番シアターも決まりましたね」

 「最後の8番シアターの残りの枠を『海辺の倉島 杏実の玉手箱』で決定な」
 「えっ?」
 「どうした?」
 「正気ですか?」
 「だって、もうシアター残ってないし…。一応、8番はクラシック映画とかで使うプレミアシアターだよ。専用のラウンジもあるし」
 「全然、分かってないな!アンタは!」
 「えっ?」
 「いいか、アンタだって栄ファンになりたてだったことがあったろう?それが何歳の時だったかは知らない、でもな。今みたいに売り上げがどうとか、推しがどうとか言う前に純粋に好きで楽しんでいた時があったはずだ。何度も何度も好きなものを繰り返し観たあの気持ちだ!もし、その気持ちがあったまま、栄の劇場に作品をかけられるようになったとしたらどうだ?どうせ、大人になると『忙しいから』とか『しょうがないから』とか言い訳するだろ?でも、そんな言い訳をせずに好きなものに真摯に向き合える人間が居たらどうする?しかも、その人は栄の歴史をきちんとなぞって自分の身体に入れている」
 「ど、どうした?」
 「栄の歴史を繋いで、未来に提示できるのがこの作品なんですよ!」
 「お前の作品への思いは分かったけど、もうスケジュール決めたとこだしさ」
 「いえ、大丈夫です。まず、シアター1で8時30分から上映、次にシアター3で10時45分から上映、さらにシアター4で13時から上映、シアター5で15時30分から上映、シアター7で17時50分から上映、シアター6で20時10分から上映、シアター2で22時10分から上映。そして、シアター8で永遠に上映。うちの劇場が観客動員数、日本一目指しますよ!」  
 「いや、まだ倉島さんは作品数も少ないし、実績が出てからの方がだな…」
 「何言ってんすか!そんなこと言ってるうちに、未来の可能性を伸ばし損ねたこと、アナタは無いんですか?また、同じ後悔がしたいんですか?
もう『ガロ―さんぬいぐるみ』、70万個注文しましたよ!この惑星のガロ―さんぬいぐるみの99.8%がうちの劇場に集結します!あと、ショッピングモール外のラッピングも全部杏実ちゃんにしときましよ!もう、俺たちは売るしかないんですよ!」

 「お、お前、正気か…」
 「これ、辞表です。でも、かつて『阿弥の瞳が問いかけてる』で一か八かのかけに出て大ヒットを飛ばした映画館もあると聞きます。ここは、どうか検討していただければ幸いです」
 「ど、どうかしてるぜ…」
 「そうですよね」
 「だが、お前のそういうところが気に入ってこの映画館に誘ったんだ」
 「し、支配人!」
 「ああ、こうなったらやってやろうぜ!」
 「いつでも全力ぅ!」
 「前のめりぃぃ!!」

 劇終