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2020年4月25日土曜日

虫のバラード①

曲の価値が変わっていく3年間


 2013年10月11日、どこかの映画館。
 SKE48のリクエストアワーがライブヴューイングで中継されていた。
 第10位の曲が発表された瞬間、次々と観客が席を立ち始めた。
 その曲の名前は「虫のバラード」だった。
 トイレ休憩のように次々と立っていく観客を観ながら、この歌を唄う山下ゆかりの母親は映画館に居ながら、どんな気持ちでこの現象を観ていたのだろうか(リクエストアワー2014のおーディコメンタリーより)。

 山下ゆかりについて語る時に、「虫のバラード」は切っても切り離せないものだ。
 もともとチームKの秋元才加が唄っていた名曲をチームEで唄うことになった彼女。
 どうしても比べられてしまうチームE時代。彼女の誕生日に届いた秋元才加からのメッセージこの辺りのエピソードも良いのだが、僕が好きな山下ゆかりのエピソードはまだある。

 それは、手紙だ。
 このSNS全盛の時代に、ファンに向けての手紙を撮ってSNSにアップする姿は、時代に合ってるんだか、合ってないんだか分からないのだが、ひと手間かけた不器用な温かみがあって凄く好きだった。
 
 彼女が2014年8月11日に、サマンサ・タバサのブランドレップオーディションに自ら応募し、最終選考の7人の中で選ばれた時も驚いた。確かに彼女の顔や細見のスタイルは、海外受けとかも良さそうな感じがする。そして、彼女はサマンサタバサのブランドレップ新メンバーに選ばれる。
 これは、今考えると、むちゃくちゃ凄いことだと思う。世界的なブランドのモデルとして認められることが出来るメンバーはなかなかいない。

 ちなみに、この日の山下ゆかりのブログを読むと、自分がSKE48であるということで、周りからどのような目で見られるか、を意識して、「SKE48」の看板を一回置いて、「山下ゆかり」個人としての闘いをしてきた旨が書かれているので、もし、良かったら確認していただきたい。最後に自分の名前が呼ばれた時の描写はとても幸福感があって、好きだ。「ゆかり」とゆかりファンの方々が声をかけられたのも美しい。
 ただ、この件はその後、続報は何も聞かなかった。
 彼女のこの実績を何故、運営は外仕事を持ってくる際に活かさなかったのか、今となっては勿体無い話である。

 また、この年は「ミュージカルAKB49」にも選ばれている。
 秋元康から「山下は芝居がいいな」と755で褒められていもいる。
 更にSKE48もレギュラー番組「エビカルチョ」で、ネイマールになったりと、様々な姿を見せてきた。また、「ゆかリストキーホルダー」も発売。以前、僕も握手会で前の列に並んでいた方が「ゆかリストキーホルダー」を鞄につけてらして、「ゆかリストの残党が何故、8期生のレーンに!誰推しなんだ?」と衝撃を受けたものだ。

 そして、2014年11月2日。
 第2位が発表された瞬間、僕は名古屋国際会議場センチュリーホールで、「ええ!」と思わず言っていた。
 「少女は真夏に何をする?」
 卒業する木下有希子、通称「ゆっこ」の最後の大舞台。
 リクエストアワーは「羽豆岬」のようにドラマ性のある曲が強いと思っていた。
 僕もゆっこを送り出すために、「少女は真夏に何をする?」に投票していた。
 じゃあ、いったい何が来るんだ?
 疑問符が頭の中で駆け巡っていた。
 それはリクエストアワー2013の時の2位で「枯葉のステーション」が出た時に似ていた。
 やがて、曲が終わり割れんばかりの「ゆっこ」コールの後、1位が発表された。
 「虫のバラード」
 僕はこの時、松井玲奈のことを思い出していた。
 2011年の第2位の「お待たせSet List」のK2コールの後の「枯葉のステーション」。どこかあの感じに似てるな、と僕は感じていた。
 やがて、始まった「虫のバラード」。
 彼女の被っている帽子に散りばめられた宝石の輝きが、歌の途中で首を少し傾げた時に輝いていたのが、1階真ん中の僕の席からも見えた。
 チームE公演以来の2番。
 大サビでの輝きに満ちて逆光になったゆかりの姿。
 そして、歌い終わったあとの、ふっと力が抜けたような表情の笑顔。全部素敵だった。
 この時の気持ちをリクエストアワー2014年のオーディオコメンタリーの中で、山下ゆかりはこう語っている。

 「1位だから、なんか、ちゃんと自分の1位を誇りに思って堂々と歌わなきゃと思ってて。2位がさ、ゆっちゃんのさ、『少女は真夏』だったじゃないですか。それに勝っちゃたというか、まあ、それより上を、上回っちゃったから。やっぱりなんか、堂々としなきゃなと」

 
 この日の気持ちを彼女は、ブログの中で「生きてて良かった」と書いている。
 この年、彼女は総選挙にランクインしていない、シングル曲の選抜にも選ばれていない、けれど、大きな結果をグループ内でもグループ外でも出した。
 ちなみに、会場に来ていたゆかりのお母様によると、「今年の1位がトイレ休憩になったらどうしよう」と心配されたそうだが、周りで席を立つ人はいなかったそうだ。ただ、「ゆかり」コールはこの時なかった。

 そして、迎えた2015年。
 
 この記事を書くために、いくつか読んだ山下ゆかりのブログで印象的なものがある。それは、2015年に行われたSKE48の7周年記念公演の時のブログだ。
 その中で彼女は、SKEでの活動をマラソンにたとえて、デビューからゆかり自身は5年走ったが、今どの地点にいるのか、ということを書いている。
 5年間自分が何をしていたのかを考え、「もっと前に出たい」という思いと、いつからか、素直になれなくなってしまった自分のジレンマを書いています。
 「本当はもっとがんばりたいのに」という心の叫び、そして、ゆかリストへの感謝を書いて、ブログを終えている。

 
 そして、2015年11月29日。
 再び、「虫のバラード」は1位になった。
 「枯葉のステーション」以来の2連覇。
 それは偉業だった。
 この時に自然と起こったゆかりコール。
 そして、スピーチの時に話した「去年と今年はちょっと気持ちが違って。ソロ曲というのもあって、今までは、なんか一人で、孤独に歌って感じがするんですけど。(略) 今年はファンの方や自分の家族は勿論。大好きなメンバーやお世話になってるスタッフさんにも、なんか『また1位で虫のバラード』見れたらいいなとか、いう風に言ってもらえて、それが凄い自分の自信にもなったし、一人で唄ってるけど気持ちはみんなと一緒かなと思って」という言葉が印象的だった。
 
 そして、2016年2月4日。
 彼女は卒業発表をする。
 3月3日のガイシホールで披露した「街角のパーティ」からの「虫のバラード」の演出は、生で会場で観ていたが、鳥肌が立つほどカッコ良かった。静かにせりあがって来る「虫のバラード」の衣装。それを羽織り、歌っていく山下ゆかり。奇しくも2013年にはここで、矢神久美が唄う「虫のバラード」を聴いていたので、不思議な気持ちだった。
 
 卒業した後の彼女は、一般人に戻り、結婚した。
 彼女の「SKE48」の活動のマラソンは、人によって見方は変わるかも知れない。「虫のバラード」が連覇したことに対して、過小評価する方もいるかもしれない。「いや、そんなことより総選挙頑張れよ」とか「リクアワしかないのか?」、「曲の人気投票なのに」など、様々な意見はあると思う。
 しかし、「SKE48」というマラソンの中で「1位」になることは、なかなかできない。とにかくみんな、このマラソンでトップを走るために走っている。
 しかも、走り方が違う。時々、松村香織みたいに、リタイアしたかと思ったら、すさまじいスパートをかけてくる者や、柴田阿弥のように、突然、ごぼう抜きをしてくる者がいる。
 ゆかりの走り方やゆかリストの応援の仕方は、不器用だったかもしれない。もっと上手いやり方や空気を読む方法もあったかもしれない。しかし、無様に見えても、傷ついても、2連覇することで、彼女は間違いなくマラソンのトップでゴールしたと僕は思っている。
 ただ、このマラソンの恐ろしいところは、ゴールしたと思ったら、やっぱり給水所だったということである。まだまだレースは続く。僕は「ウルトラセブン」の中に出てくる有名な台詞を思い出した。
 
 彼女の走り方を振り返って、もっと彼女の才能を活かせたのではないか、という惜しい面はある。
 それでも、彼女と彼女を支え続けた人々が打ち立てた記録は、これからもSKE48史に残り、後輩たちの「走り方」のお手本の一つとして輝き続けるだろう。
 「虫のバラード」の輝きは、彼女が着ている衣装のようにキラキラしている、ただ、彼女自身が放つ光がこんなに輝いていたのか、とここ数日、色々なところに残された彼女のブログを読んで感じた。丁度、2014年で1位を取った時の大サビでの輝きのように。
 いつか、また、彼女のようなのし上がり方や、曲の評価が変わっていく過程が生まれることを期待している。