動く本性
2019年6月27日(木)に新宿アルタのKeyStudioで古畑奈和のソロコンサートが行われました。
※詳しくはこちらのサイトのレポートをご確認あれ。写真多めです。
残念ながら、こちらのソロコンサートは参加できず、さらに2019年7月25日に名古屋のSKE48劇場で行われたソロコンサートの方も運悪く観られず。
だから、今年の3月にある大阪公演には参加できそうだったので、ワクワクしながら待っていたんですが、残念ながらコロナウイルスの影響で中止となりました。
過去に行われた、ソロコンサートの1曲目はどちらも「本性」。
いや、それだけではなく、2020年1月19日にTOKYO DOME CITYで行われた選抜メンバーでのコンサートでは、選抜メンバーそれぞれにソロで唄うブロックが用意されていたのですが、奈和ちゃんは「本性」を選んでいます。
セットリスト上でどこの位置にどの曲を持ってくるか、自分以外のファンが沢山いるの中でどの曲を持ってくるか。「本性」に対する信頼感が伝わってきます。
まあ、もちろん、こちらのコンサートも僕は観られず。
2020年を生きる皆さんは信じられないかも知れませんが、youtubeとかが無かった90年代。田舎住みの人間は、好きなアーティストの音源を楽しもうと思うと大都会までライブを観るために遠征するしかなく、死ぬまでCDの音源を聴きながら、妄想を繰り広げるしかりませんでした。本当に、あの頃はスペースシャワーTVやWOWOWOのライブ中継が貴重でした。
僕にとって「本性」は、まさに音源だけは知っているけど、幻の名曲状態だったんですね。
コンサートではどんな風にパフォーマンスするんだろう、そもそも動いて唄うのか?ドレスコーズみたいな感じになるのか?とか、色々と想像を膨らましながら、「本性」が収録されている「Dear 君と僕。」のCDを聴いていたもんです。こんなに賞味期限が長いCDも久しぶりです。
さて、時を動かして、2020年4月4日。
古畑奈和のスタジオ収録した曲の動画が、youtubeで一気に3曲アップされます。
その中には、「本性」が!
さっそく、公式ページをチェックしてみましょう。
いやあ、めちゃくちゃ嬉しかった。
動く「本性」ってこんな感じなのか、と。
まず、曲が始まるイントロで天を仰ぎながら、伸ばす右手。
僕は「MESSIAH」がこんな感じになると思っていたので、意外でした。Aメロでは、右手がずっと自分の肩を抱きしめるようにしていて、外面的なことを語る歌詞に対して内面はふさぎこんでいる感じが伝わってきます。
そして、Bメロでその右手が外に向いて、文字通り「内側」の方に向いていきます。そして、この曲の中で1度も握りしめなかった右手を「腐り始めてる」のところで、握りしめます。
そして、サビではまるで苦悩するかのように、自分の頭を時折さわりながら、右手は外へ外へと動き、天へ向かっていきます。
ここまでの動きは、決まったフリなのか、奈和ちゃんが本能的にやっているのか、是非、ソロコンサートとかを観たことある方に教えていただきたい部分です。
右手というどちらかというと、あやめろが注目される人間の身体の部位ですが、実はこの曲の表現を拡張していると思います。
また、眼ですよね、奈和ちゃんの。
実は、2016年頃の「ラジオ惑星開発委員会」をこの記事を書く前に観ていたんですが、宇野さんと対談した時の奈和ちゃん評の一つとして、「真っすぐに見つめてくる瞳」が挙げられていました。握手会に行ったことがある方なら、この辺りは共感できるんじゃないでしょうか。彼女のあの眼差しにやられたという人は多いんじゃないでしょうか。
しかし、この「本性」では怪しさや危うさを伴った眼をしてるんですよね。
特に3分20秒台からの悲嘆的な歌声から、怒気をはらんだ声に変わるところの眼の動きは凄いです。
最後の皆が顔をこちらに向けないところも印象的でした。
まるで、ここまで語った「本性」に対する答えを求めていないようにも思います。
動く「本性」を観て、曲に対する解釈がまだまだ広がっていく気がしました。
それにしても、久しぶりにライブやコンサートが、CDの「答え合わせ」ではなく、観られて嬉しいと感じた動画でもありました。かつて、CDの音源しかなく生のコンサートを渇望していた頃の気持ち、そして、それが満たされた時の喜び。どちらも思い出せた素晴らしい体験が出来ました。特に自粛が広がる2020年4月現在、半ば諦めていただけに物凄く嬉しかったです。
次は、動く「観覧車」がみたいなあ、と名古屋のソロライブを見逃した者としては、贅沢ですが思っています。その為にも明日も生きねば。
※「本性」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/01/blog-post_9.html
動く「本性」ってこんな感じなのか、と。
まず、曲が始まるイントロで天を仰ぎながら、伸ばす右手。
僕は「MESSIAH」がこんな感じになると思っていたので、意外でした。Aメロでは、右手がずっと自分の肩を抱きしめるようにしていて、外面的なことを語る歌詞に対して内面はふさぎこんでいる感じが伝わってきます。
そして、Bメロでその右手が外に向いて、文字通り「内側」の方に向いていきます。そして、この曲の中で1度も握りしめなかった右手を「腐り始めてる」のところで、握りしめます。
そして、サビではまるで苦悩するかのように、自分の頭を時折さわりながら、右手は外へ外へと動き、天へ向かっていきます。
ここまでの動きは、決まったフリなのか、奈和ちゃんが本能的にやっているのか、是非、ソロコンサートとかを観たことある方に教えていただきたい部分です。
右手というどちらかというと、あやめろが注目される人間の身体の部位ですが、実はこの曲の表現を拡張していると思います。
また、眼ですよね、奈和ちゃんの。
実は、2016年頃の「ラジオ惑星開発委員会」をこの記事を書く前に観ていたんですが、宇野さんと対談した時の奈和ちゃん評の一つとして、「真っすぐに見つめてくる瞳」が挙げられていました。握手会に行ったことがある方なら、この辺りは共感できるんじゃないでしょうか。彼女のあの眼差しにやられたという人は多いんじゃないでしょうか。
しかし、この「本性」では怪しさや危うさを伴った眼をしてるんですよね。
特に3分20秒台からの悲嘆的な歌声から、怒気をはらんだ声に変わるところの眼の動きは凄いです。
最後の皆が顔をこちらに向けないところも印象的でした。
まるで、ここまで語った「本性」に対する答えを求めていないようにも思います。
動く「本性」を観て、曲に対する解釈がまだまだ広がっていく気がしました。
それにしても、久しぶりにライブやコンサートが、CDの「答え合わせ」ではなく、観られて嬉しいと感じた動画でもありました。かつて、CDの音源しかなく生のコンサートを渇望していた頃の気持ち、そして、それが満たされた時の喜び。どちらも思い出せた素晴らしい体験が出来ました。特に自粛が広がる2020年4月現在、半ば諦めていただけに物凄く嬉しかったです。
次は、動く「観覧車」がみたいなあ、と名古屋のソロライブを見逃した者としては、贅沢ですが思っています。その為にも明日も生きねば。
※「本性」についての記事はこちら!
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/01/blog-post_9.html