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2020年7月17日金曜日

物語ることについて

僕らが夢見て重ねていくごとに


 先日、欅坂46の配信ライブを観ました。
 センターを務め続けてきた平手友梨奈さんの「脱退」後、初のライブでもありました。
 昨年10月の東京ドーム公演以来のコンサートということで、ずっとため込んでいていたフラストレーションを爆発させるようなライブでした。特に小林さんの「ガラスを割れ!」は色々な感情を爆発させる感じがして鳥肌が立ちました。更に、コンサートという観客の方向が決まっているわけでも、テレビスタジオという限られた空間でもない、自由な空間でのライブが新鮮でした。
 最後にキャプテンの菅井さんの口から、解散と改名が宣言されました。
 残ったメンバーで欅坂46を続けるのではなく、一度改名して再スタートを始めることにした欅坂46に対しては、同じ坂道グループで改名して成功した日向坂46という成功例がありますし、メンバー一人一人の成長を期待できるグループですので、頑張ってほしいです。
 欅坂46が作ったムーブメントの一つとして、アイドルをただ「尊い」とか「〇〇しか勝たん!」というような一瞬の愛で方ではなく、じっくりと曲や世界観について語るムーブメントをアイドル文化の外に広げたことだと思います。48グループの頃には触ってくれなかった人々やメディアが表紙に持ってきて、語ってくれたことは大きいと思います。もっというと、アイドル曲と社会性を繋げる秋元康の歌謡曲的な側面を復活させたところも素晴らしいと個人的に思っています。

 しかし、何故解散して改名する必要があるのか?
 考えた時にまず、思いつくのがこれまで絶対的なセンターを務めていた平手さんの存在があります。彼女なしで欅坂46の歴史は語れません。でも、歴史を続けることもできたのではないかな、と外野の目線からは思います。
 AKB48という2000年代後半か盛り上がったネットメディアの力を借りつつ成長したグループに対して、一度、ゲーム性を抜いて昭和的な距離感に戻したコンサバ感のある乃木坂46。そのカウンターとして登場した欅坂46。そのロック感は、多くのファンの共感を集めて、メディアもそれに賛同しました。中心に居たのは平手さんでした。
 気づけば、等身大の平手さんと作り上げられた欅坂46のセンター「平手友梨奈」の差は開いていったのではないか、と思います。勿論、彼女自身の才能や努力もあると思います。しかし、彼女のレギュラー番組のラジオなどで自分の好きなものについて語り、「けやかけ」でも少なくとも土田さんや澤部さんは普通のメンバーの一人として扱ってくれていたと、坂道ファンの友人はおっしゃっていました。
 
 僕は昨日の欅坂46のコンサートを観ながら、ああ、この光景はどこかで観たことがあるなあ、と思っていました。
 それは2018年夏のSKE48でした。
 あの夏、SKE48の絶対的センターの松井珠理奈はいませんでした。
 その中で須田亜香里を始めとする後輩メンバーたちで支え合いながら、当時、総選挙1位というタイトルを獲得したばかりのセンターがいない、という巨大な穴を埋める為に必死で走り続けてきました。
 復帰した彼女は、一歩引きながらSKE48の成長を見守る立場をとり、その後、卒業を決意しました。
 
 今、考えると、彼女は色々な物語を作られてきた人だと思います。
 「小学生センター」としてAKB48のセンターでデビューし、SKE48のセンターを務め続けた彼女。
 総選挙1位を目指すべく、様々なメディアで活躍していきました。
 ただ、彼女は発信がそこまで得意ではなく(これは発信を得意とするメンバーが多いSKE48の中で比較した時ですが)、喋りのメディアであるshowroomと出会うまでは、自分の考えをストレートに伝える場や機会は限られていたと思います。
 自分からの発信が少ない分、周りが作る「物語」が彼女の上には降ってきます。
 それは「語り」ではなくて「騙り」の時もありました。
 アイドルという共同幻想には、当然「物語」が必要だと思いますが、珠理奈に与えられた物語、そして、僕らが期待する物語に応えようとして、彼女は追い詰められ、2018年夏のあの状態になったのではないか、と僕は考えます。彼女自体がスポーツマン精神のある人で、負けん気もあるので、その物語を背負えるだけの強さがあったと思います。
 でも、徐々にその物語の価値は薄れていき、自分に物語を与えたはずの人達も別の物語に目移りしてしまった。
 それでも、なんとか先輩たちや同期たちが残して行った物語の続きを、自分で新たに綴っていこうとする珠理奈。
 本来、料理が好きで繊細な一人の女性が背負った物語が、その人を押しつぶしていく過程をドキュメンタリー映像「アイドル」で見せられた気がしました。

 昨日の夜、欅坂46のコンサートを観終わってから、僕は暫く眠れませんでした。
 平手友梨奈と松井珠理奈

 大きな物語の主人公。

 残された欅坂46とSKE48。

 これからの物語。

 新しい主人公を作るか、新しい物語を作るか。

 この二つのものを並べた時に、何が見えてくるだろう。
 どっちが良いとかどっちが悪いとかではなくて。
 自分の中でまだ、ぼんやりとしか輪郭が見えていません。

 ただ、アイドルについて語ること自体が、その人達に「重荷」を一つ背負わせることになるのではないか、1ナノミクロンの10分の1でも加担することになるのではと思いましてね(いや、お前の語りなんて鳥の羽より軽いよ、という意見もごもっとも)。
 もう、こういうこと自体やめようかな、と思い始めている自分がいました。

 完全に相手のことを知ることは出来ない。
 「カンチガイの海」という僕の好きな歌があります。
 認識論について考えさせられる曲なんですが、せめて自分の好きな人達に対しては、マイナスの物語ではなく、プラスの物語を語れないか。できれば、その人の本質からずれないように、ファンの人達が発見や価値転倒が起きるような物語を語れないか、というのが、今の僕のSKE48を始めとするアイドル文化について考えたことです。

 これだけ色々なことを語れる素晴らしい文化なだけに、もう一度、接し方や語り方を考えたいなあ、とぼんやり考えています。

※抽象的な内容が多めで申し訳ありません。
 でも、これが今の僕の気持ちです。
 センターイコール主人公ではないのも重々承知で書いています。