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2020年7月31日金曜日

overture(SKE48 ver.)

祭りの象徴


 先日、会社の上司と「生でライブに参加することが、物凄く貴重になるのではないか」という話をしました。
 上司は音楽制作を趣味としていて、CMで曲が流れるぐらいの腕前はあります。彼はDJとしてクラブで様々な曲を今年の春まではガンガン流していたので、自粛から生で音楽を楽しむことが憚られる現状に、かなりげんなりしていました。

 どちらかというと、趣味に対して在宅率が高い僕は、「まあ、そんなもんかなあ」と思いつつ、会社の休憩室を出ました。
 このブログでは、曲に関する考察や分析、メンバーについて書くことが多いんですが、ほとんどは、ブログや過去のニュース記事、そこから、自分なりの考察やこれまで読んできた文学作品や批評集の視点を応用するという書き方をしています。
 だから、そんなに「生でライブに参加すること」が必要かというと、そうでもないと思ってたんですね。最近は、週1でアンケート企画もしてるし。

 ただ、この1か月間のブログの質は、落ちているのも確かでしてね。
 SKEとSTUの「海」という場の違いについて書いた記事のようなものを本来は書きたいんですが、なかなかそうもいかず。わりとその場しのぎで書いてるなあ、と思う記事もあったりしました。

 集団で連載しているようなブログではないので、一人で書くことの限界を最近は感じています。
 でも、プラトンが三角形を書くことで、三角形の本質に気づけたように、書かないと始まりません。
 だから、書きながら考えたり次のヒントを探したりしていました(能動と受動の循環運動とも言えます)。その結果、ある期のメンバー全員の過去を洗わないと書け無さそうなことを思いついて、今、必死にブログ等を読みまくっています。

 それでも、毎回ネタ切れの状態で書いているブログなので、さあ、もうすぐ2年目も終わるけど、これからどうしようかと考えていました。

 昨晩『制作へ』や『脱・近代宣言』(落合陽一・清水高志との共著)の上妻世海さんの「創造性について」の講義を観ました。
 「書く」ことで人間の有限性を越えて意味を保存させることができる、という書くことの歴史的なスタートから始まり、道具やメディアの変換という視点から人間の考えることの進化が非常に面白かったんですね。
 その中で、「作品化以前」という定義が面白くてですね。
 対話や体験、読書を循環して繰り、自分の「美」を手に入れて、作品化するという定義なんですが、このブログにあてはめた時どうだろう、と考えたんですね。
 そうすると、圧倒的に「体験」が最近足りてないな、と思いましてね。
 なんせ、最後に行ったのが、去年の夏のフラストレーションのミニライブですからね。
 
 コンサートやライブを生で体験することによって、自分だけの視点で曲の良さやメンバーの魅力を発見することって、やっぱあるなあ、と改めて思いましてね。
 たとえば、宮澤佐江さんの卒業コンサートの前夜祭。
 映像には残ってないですが、「コケティッシュ渋滞中」のサビのフリで二人組になって片方が回るところがあります。僕の席の前で踊っていた竹内舞は、両端とも別のパートナーが居て、一人で回ることになります。この時の彼女は「うわあ~」みたいな少し困った顔をしていて、そこからすぐにまたアイドルスマイルに戻して踊っていたのが、凄く印象に残っています。
 こういうところから、色々な発想や思い出が生まれるから、確かに「生の体験」も大事だよなあ、と思いましてね。

 今度は「生のSKE48の体験」を辿っていくと、僕が真っ先に思い浮かぶのが「over ture」なんですよね。


 皆さんも初めて行ったSKE48のコンサートやミニライブを思い出してみてください。

 SKE48のヒット曲がオルゴールで会場で流れていることが多いですよね。
 ざわざわとファンの方々の声がしているあの会場で、コンサートが始まる瞬間、ピタッとオルゴールの音が止まった時の高揚感。
 そして、先ほどまでの優しいメロディとは真逆の爆音で流れる「overture」。
 大声で叫ぶ「オイ!オイ!オイ!」や「SKE48!」の掛け声。
 僕はこの瞬間が物凄く好きでしてね。
 ライムスターの宇多丸さんが「ダンサブル」ツアーのZeep TokyoでのMCで、「ライブは出てきた時が一番盛り上がる」と語っていた現象が、これかも知れません。
 思えば、初めて行った握手会のミニライブでは、AKBと同じく3連ミックスを打ってしまい、隣りの人が同じことをしないので、「ふふふ、やる気のないやつだぜ、このエリアは僕が引っ張る!」みたいな、勘違いも甚だしい経験もしたもんです。
 でも、ガイシで聴いた「over ture」や名古屋ドームで聴いた「over ture」のワクワク感。トヨタスタジアムで席へと向かう通路で聴いた「over ture」のもう少し待ってくれという思い出。
 様々なことが甦ってきます。
 ただ、どの会場でも一緒にいた百人から4万人、それぞれのファンの方々の熱気がそこにはありました。
 かくいう僕も普段からためこんでいた何かを爆発させて、「さあ、コンサート始まるぞ」とワクワクしていた気がします。
 まさに、「祭り」というか「ハレの場」がありました。
 
 現在、SKE48は、無人で公演を行っています。
 おそらく会場にファンが入るようになっても、ファンが声を出すことが許されるまでは、時間がかかると思います。
 ましてや、満席の大会場で「over ture」が響くことはもっと先かも知れません。
 でも、いつかまた、あのコールや爆音を体験したいな、と思っています。

 書き終わったので窓を開けると、むわっとした風が入ってきました。
 今日も暑くなりそうです。
 大声で叫べない僕らの代わりに、セミたちが鳴いていました。
 少し羨ましく思いながらも、セミたちよりも長く生きる僕らが、もう一度大声で叫べる日を、今は待ちたいと思います。

 2020年7月の終わりに。