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2020年7月10日金曜日

アイドルと言葉

「アイドル」と「古畑奈和」







 アイドルというのは、何時から何時までアイドルとして消費されていくんでしょう。

 先日、映画監督でスクリプトドクターの三宅隆太さんの著作、「スクリプトドクターのプレゼンテーション術」を読みました。「クロユリ団地」や「劇場霊」といったホラー映画を沢山とりながら、アイドルとも仕事をすることが多い三宅監督。
 撮影現場に朝早く、まだすっぴんで入ってくるアイドルの子たちを見て、今は芸名のアイドルではなく、本名の一人の女の子なんだな、と感じられたことがあるそうです。

 彼は元々、岡田有希子さんのファンでしたが、彼女が若くして自殺してから、アイドルというシステムの消費のメカニズムから、距離を取っていたそうです。ファンとしても消費者としても、何もできなかった自分に感じるところがあったそうです。
 映像作家としてデビューしてからも、暫くは、アイドルとの仕事は距離を取っていたそうです。
 ただ、撮影現場にやってくる素の状態のアイドルたちを見て、今の自分なら何かサポートできるのでは、と思い、アイドルとの仕事を引き受けるようになったそうです。
(詳しくは、著作を読んでください)

 実は、アイドルを推すということは、彼女たちを消費するシステムに加担することですし、そのせいで等身大の彼女たちとアイドルとしての彼女を、時にはどんどん引き離してしまうんじゃないか、と考えてしまうこともあります。

 「消費」という書き方をしましたが、まるで、アイドルを「モノ」のように見ている人もいます。たとえば、ランダム生写真を会場で開けている集団をたまに見かけますが「うわあ、メンバー弱いわあ」とか「雑魚ばっか」という人がいます。
 「いや、他に言い方ないのか、そもそも生写真にしてもらうって結構凄いことだぞ、お前は何かそれぐらいの実績だしてるのか?お前の方が雑魚じゃないのか?」と思うこともあります。
 これは、まだ僕がアイドルを「人」として見ているからで、「モノ」としては見てないからだと都合良く解釈しています。
 極端な例を上げましたが、本当に「人」として考えて発言してる?と言いたくなるようなことを握手会で言う人や配信で罵詈雑言を浴びせる人もいます。
 先日、こっちゃんこと白井琴望がyoutubeで卒業発表をした際もチャットで10代の子に対して汚い言葉をひたすら書いている人がいました。僕にできるのは「報告・通報」ボタンを押すことぐらいです。

 なんで、直接人を傷つけるのか?
 メンバーにわざわざ推し変しに言いに行く連中の、自分のことしか考えてない思考は何だ?と思うこともあります。
 うしろめたさでしょうか?
 「推し増し」という手もある気もしますが、「消費」の仕方はその人たちそれぞれだから、僕がとやかく言えた義理ではありませんが、もう少しメンバーのことを考えたら、と思うことはあります。

 なんでこんなことを長々と書いたのか、というと、僕の心の柔らかい場所を未だにまだ締め付けるブログがあります。
 古畑奈和の2018年1月16日のブログです。
 ちょっと読んでみてください。

 2018年に読んだ時も、全く別の奈和ちゃんの記事を書くために2013年から2020年までのブログをかたっぱしから遡って読んでいる時に発見した時も、とても心が寂しくなったのを覚えています。
 なんで、この子がこんな思いをしなきゃいけないんだ、と。
 アイドルとしての古畑奈和が書いているけれど、「傷付」いたのは、人間としての古畑奈和でもある。
 タイトルで前置きをしてくれているものの、内容を考えると素直に受け取るのは難しい内容です。

 アイドルを続けている間、こんな思いをし続けるのか?
 「消費者」としてではなく、「ファン」として何か出来ることがないか?

 アイドルがSNSを更新する度にコメントを残している人達がいます。
 「おはよう」という投稿に対して、挨拶を返す人達。
 企業のSNS戦略としては、非常に合っているらしいということは先日読んだキングジムやSEGAといったSNS戦略で成功している企業を特集した本にも書いてありましたが、果たして、アイドルたちの何気ない挨拶にコメントを返すことに何の意味があるのか?
 僕はブログを始めるまで、わりと冷笑的でした。
 映画で応援上映をする人たちを見て、いや、そこには映像が映された幕しかないから、というぐらいの冷め具合でした。

 でも、ブログを始めてから、何気ないコメントの嬉しさ、「いいね」や「リツイート」をしていただいた時の「味方が居た」感。確かにこれは意味があるんだ、とひしひしと感じました。
 そう、NONAMEの名曲「この涙を君に捧ぐ」の中で(この曲はアイドルの『君』と名もなき『僕』の関係と読み取ることができます。詳しく考えたい人は『AKB0048』AKB0048を観てください)、「こんな僕に出来ることは 君の虚しさをただ癒すこと」という一節があります。
 活動をしながら、「虚しさ」を感じる時。
 何気ない、ファンからのコメントが力になることがある。

 先ほど挙げたブログから、約2週間後の2018年1月29日の奈和ちゃんのブログを読んでみましょう。

 言葉が推しの心を癒していく。
 それなら、いくらでも言葉をかけてあげたい。
 「心のおちびさん」をはしゃがせてあげたい。
 アイドルをしていて良かったな、と思える瞬間を沢山プレゼントしたい。
 そう思わせてくれる素敵なブログです。

 ちなみに、奈和ちゃんが、自分の文章や言葉について書いたブログも良いので、お時間がある人はどうぞ。

 うーむ、奈和ちゃんの文章が好きな僕としては、たまらない記事でした。

 さて、話を戻しましょう。
 2017年に書いた奈和ちゃんのブログ。
 この後6月にあった総選挙で見事ランクインし、ファンの方との信頼関係は強固ですが、2017年頃はひょっとすると、それが確立される最終段階だったのかもしれません。

 翌年の総選挙開催が決定した時のブログを読んでみましょう(なんか、2018年1月に偏って申し訳ないですが、この月、11月なみに良いブログが多いんですよ)。


 お互いの言葉や文章で心を豊かにできる関係。
 そこには「消費」ではない何か別のものがあるんじゃないか、と僕は思っています。
 様々な苦難を乗り越えてきた奈和ちゃんと、それを支えてきたファンの方々の「人」と「人」としての信頼関係が(48グループがそれだけ人を追い込んでアイドルとしてじゃなくて、「人」としての際をみせるイベントがあることも問題かもしれませんが)、そこにはあると思います。


 いつか、彼女が年をとって一人の女性に戻っても、「心の中のおちびちゃん」がはしゃぎ続ける言葉が残りますように。