When in another's lair, show him respect or else do not go there.
映画ライターで雑誌「映画秘宝」のアートディレクター高橋ヨシキさんの話で、印象的な話があります。
2000年頃に「エクソシスト」のデジタルリマスターをアメリカのシネコンで観た時、平日の昼間でお客さんはまばらだったそうです。そのお客さんの中に、18歳ぐらいの女の子二人組が居て、「全然、怖くなーい」とか「つまんなーい」、「全然わかんない」と言って、「本当にいい加減にしろよ」と、10人ぐらいのコアなホラー映画ファンたちは劇場の中で思っていたそうです(コアなホラーファンだと思う理由が、全員黒のTシャツだったからというのも最高!)。
やがて、10分ほど経つと黙り始めて、30分ぐらいすると、「ちょっとやなんだけど、こういうの!」と言って、二人は出て行ったそうです。
出ていった瞬間、みんなで「うおおおお!」と拍手をして「悪魔祓いが成功した瞬間でしたね」と語っていました(詳しくは共感シアターで!)。
こんな痛快な感じで、自分の好きなカルチャーや場において、不愉快なことを無意識にしてくる人が居なくなると、ありがたいんですが、現実はそうではありません。
僕が趣味で書いているブログに関しても、1年に1回ぐらい、突然断定形で批判してくる人がいます。
先日も須田亜香里を応援する記事を書いたところ、「珠理奈の時はSKE48ファンは支えなかったけどな」ということを書いてくる人が居ました。普段ならブロックするんですが、同じSKE48ファンだしなあ、と対話してみるか、と思ったんですね。
そこで「SKE48ファン」と「支え」の定義を求めました。
「定義」をせずに自分の論を書き進めていくと、口頭試問や学会発表の際は勿論ですが、普通に仲間うちで論文を読む時も、「えっ、ここでいうAは定義しとかないと誤解を招くし、広義の意味過ぎるよ」ということも多いからです。
しかし、相手はこれを「1たす1から教えるようなもの」と拒否しました。
僕の意図としては「SKE48ファン」の中にその人も含まれるなら、相手も珠理奈を「支えなかった」ことの証明になってしまいます。
次に、「支えなかった」こととして、「須田亜香里に対するようなハッシュタグがなかったこと」を挙げていました。しかし、これは2018年の6月後半からじゅりなを対象とするハッシュタグが国内海外のファンで行われていました。
また、SNS上だけでなく、美浜海遊祭でも珠理奈コールがあったことを挙げました。
すると、SKE48まとめサイトでの珠理奈批判を擁護しないことを挙げられました。
そこで、匿名性の高いまとめサイトのコメントも「SKE48ファン」に含めても良いか、確認しました。
「SKE48についてのまとめサイトだから、SKE48ファンだと思うのは当然。調べて確認してみてください」とのことでした。
そこで、2018年6月18日からの珠理奈に関するコメントをすべて「SKE48ファン」のコメントとしてカウントしたところ、珠理奈擁護のコメントが40%から60%。記事の前半に擁護や応援、後半に批判という傾向が見て取れました。
11月になる頃には、60%以上になりました。
つまり、まとめサイトにおいても、最初にコメントしてきた人が言っていたことの逆、「SKE48ファン」は「支えて」いたことを証明しました。その間、コメントをしてきた人は、僕が聞いたいくつかの質問には答えないし、定義づけもしていないままです。まとめサイトのどの記事を指しているかや、いつからいつまでなのかも定義づけしていませんでした。
そして、返信が来なくなりました。
気になったので、どのような発信をしているか確認したところ、色々なだーすー関連のツイートに文句を言っていました。また、一部のメンバーに暴言を吐いたりしていたので、危険だと思い、ブロックしてTwitter社に報告しました。
なんで、こんなことになるんだろう、と寂しい気持ちになりました。
穴が空いている洗面器に水を入れようとしている気分でした。
丁度、シド・ミドー展のレポートを書きながらだったんですが、全く違う頭の部分を使う作業になりました。
僕が相手から得られたものは何もありません。
宇野常寛さんの著書「遅いインターネット」の中で、理知的に考えずに反射的に誰かを叩いたりするんじゃなくて、じっくりと考えて良質の発信を日常の中でしていくことの良さが語られていました。
僕自身もそのことを意識してものを書いています。
自分の感情が優先で裏どりをせずに発信したんでしょうか?
しかも、独り言じゃなくて、他者に対して。
僕のフォロワーの方はSKE48好きの方もいらっしゃいますが、それ以外の方も多いです。その人達が観た時に、珠理奈ファンがどう思われるか?
僕が珠理奈の記事を書く度に、リツイートやいいねを押してくれる珠理奈ファンの方々が国内外にいらっしゃいます。その方々は会ったことはないですが、凄く良い人達だと僕は信じています。
だから、今回のやりとりは、もし、そのコメントしてきた人が「SKE48ファン」や「珠理奈ファン」だとしたら、とても寂しいです。
スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」ではないですが、少しだけ想像を広げて自分や相手の立場を考えたり、オーラロスリング、アンナロスリング・ロンランド、ハンス・ロスリングの共著「ファクトネスフル」で提示されたデータを基に考えたりするのは、そんなに難しいことでしょうか?
面倒なことでしょうか?
今朝、というか昼に起きると、SKE48関連でとても寂しくなるツイートが流れていました。ラグビーやサッカー、バスケなどのスポーツ関連、地域の特産物イベントや映画などの文化事業。本当に一部の人の想像力のリーチが足りないだけで「SKE48ファン」はマナーが悪い、となり、「そういえばこういこともあった」と潜在的な不満も噴出していきます。
冒頭に挙げた高橋ヨシキさんの著作に「サタニック人生相談」という愉快な著作があります。サタニックというとオカルトのような感じがします。自分の頭で考えて行動することが語られていますが、その中で気になった一節があります。
「他人の住み処では、相手に敬意を持って接すること。それが出来ないのであれば訪ねないこと」
まさにこれだと思います。
あくまでお客さんであるし、普段と違うカルチャーを知る側なので、その辺りを意識すると、凄くマナーも向上していくのではと思います。むしろ、あの人たちが居るところに今度は自分たちも1回行ってみたいと思ってもらえるようになればいいな、と思います。その為にどんな行動を取ればよいのか?
あくまで呼ばれている側なので、誰が主役なのか。ゴールはどこか。何を発見するのかを最低限認識するだけで大分、コミュニティのモラルは上がっていくと思います。
SKE48ファンの盛り上げる力が好きです。
色々なイベントに定期的に呼ばれる背景には、きっとアイドルファンの持つ「熱」も期待されているのではないか、と僕は想像しています。
コラボ先のファンの方々とSKE48ファンの方々の熱が融合した時の、ものすごい熱のうねりをコロナ禍の今でも体感できるイベントが、これから現れていくと良いなと思っています。
僕がライブ会場で見たことがあったり、ネット上でコミュニケーションを取ったことのあるSKE48ファンの人達なら、それが出来るのではと信じています。
ついでに、コミュニティについてそろそろ、もう少し良い場を作れないかと僕個人も考えています。
ブログ自体は通常通り運営しますが、noteで治安の良いwebサークルの場でも作ろうかな、と考え始めています。
サークル費用は120円ぐらいで。缶コーヒー1杯僕に奢る代わりにちょっと面白い話や対話ができる、なんなら記事投稿もできて仲間たちとフィードバックできるみたいなサークルですね(noteの最低価格帯で300円ぐらいになるかもですが)。
少しだけ治安のレベルを上げた場を作って、じっくりと話せたりコミュニケーションを取れるようにしておこうかな、と最近考えています。
飲食店を出して、お客さんと話すよりは気軽に始められそうですしね。
最後にまた、高橋ヨシキさんのアメリカでの体験を。
毎年、アメリカの北西部の荒野で1週間に渡って行われる6万人が参加する大規模なキャンプパーティ「バーニングマン」。
誰もが異邦人で誰もが地元の人になります。
誰が来ても「ウェルカムホーム」と言われます。
貨幣経済や商行為が行われず、世界中から集まった人々が隣人と交遊しながら、様々な自己表現をして暮らしていきます。
それぞれが与えられた場の中でそれぞれを尊重し合い、仲良くなっていく。
「贈与」も大事な精神になっていて、物だけではなく料理を挙げたり、音楽を聞かせたり、「華氏451図書館」を作ったり、その場のルールを守って最高の空間を作っているそうです。
「バーニングマン」まではいかなくても、素晴らしい場をSKE48ファンや僕自身も作っていけたらなと思います。