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2019年8月24日土曜日

人生の無駄遣い①



意味からの離脱



 なんかもう、このブログを根本から否定するようなことを書きますが、意味を求めるがために、身動きが取れなくなることってないでしょうか。
 今回、考えていく「人生の無駄遣い」は「人生」というものの意味から離れることによって、次第に本質が見えて来る曲になっています。
 ちょっと聴いてみましょうか。

  

 先に歌詞の世界についてみていくと、1番では曲の主人公が生まれてきた意味を求めて生きてきたのですが、愛することや愛されることから背をむけるという、小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」を全面否定する結果を迎えます(ちなみに僕はオザケンファンです。あしからず)。




 1番では、世界との繋がり方を考えますが、まだ答えは出ません。
 サビでは、全てに興味を失っていく主人公。それでも欲しいものが一つある。
 それは何か。
 次に「砂時計」という言葉が出てきます。
 曲が発表された時には、砂時計が欲しいのかな、と思ってたんですが、これは自分の人生の比喩とは、読み取れないかな、と思いましてね。
 そうすると、次の砂が落ちていく内容と1番の歌詞がリンクするんじゃないかな、と僕は思います。
 一度だけの人生を無駄遣いしたいということを主人公は決意します。

 2番では、1番で過去を顧みていたのに対して、未来について考えていきますが、こちらも少し悲観的でしてね。「人生は死ぬまでの暇つぶし」的なゴリサの名言的に考えていきます。
 サビ前では暗に人生を終わらせることも考え始めます。
 そして、サビですが、死んだら何も残らないということを語っていきながら、誰かに泣かれたりするという、「悲しい」という意味を与えられることを否定します。
 
 いよいよ、大サビなんですが、人生は「自由である」という結論に至ります。
 「意味」から離れて、人生を終わらせても良いという気持ちに変わっていくことで、1番の気負いがなくなり、明日死ぬんなら、何でもできるよな、という思想観なんじゃないかな、と僕は理解しました。なので、この曲は、1番と大サビでは同じ言葉のようで、向いているベクトルは、全く違うんじゃないかと考えています。過去の自分の人生の象徴である「安っぽい 砂時計」の砂は無駄遣いして、早送りして、もう一度ひっくり返せないか、という解釈ですね。
 もちろん、さっさと死にたいわい、みたいな解釈もできますけどね。

 この曲のセンターは、はたごんこと、髙畑結希。
 僕が一番印象に残っているのが、2018年10月24日に放送された「ラジオ惑星委員会」に出演した時のはたごんのインタビューです。
 
 選挙でランクインしているけど、選抜には入れなかったはたごん。
 「自分の魅力ってなんだろう?」と考えるはたごん。
 選抜への挑戦権を得ているのでは、ということを司会の宇野さんが語っていました。
 これを受けて、はたごんは下のように答えています。

「今までは、自分はもう、あー選抜っていう位置に立ってないから、自分には関係ない発表だって正直思ってたんですよ。でも、なんか『パンチライン』の選抜発表の時から、なんでか分かんないんですけど、涙が出ちゃって。あの全然自分は何も考えてなかったんです。(中略)これはもしかして、自分ガチで選抜に入りたいんだなって」

 この時のインタビューから時は流れ、カップリング曲のセンターを獲得したはたごん。
 2019年に選挙がなかったダメージをもろに受けているメンバーの一人ではないか、と僕は勝手に心配していただけに、今回のセンターはちょっとホッとしたというか、運営そうきたか、と感じました。ファンの方からしたら、「いや、選抜入れろや」と思われたかも知れませんが、代表曲が1曲増えるというのは、良いことなんじゃないかと思います。

 そして、この曲は、はたごんにも結構合ってるんじゃないかと思いましてね。
 OLからアイドルになるという「人生の自由」を体現しているかのような彼女は、この歌のセンターにふさわしいのではないかと思います。
 人生を無駄遣いできると考えられる人は強い。
 これからのはたごんのアイドル人生がどうなっていくのか、次作のシングルも楽しみです。

             (「人生の無駄遣い」より引用)

はたごんが落語にチャレンジした「鷺とり」の記事はこちら! 
https://oboeteitekure.blogspot.com/2019/01/blog-post_44.html