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2019年10月12日土曜日

棘①



自分という個性を守る


 最近、生きにくい世の中になってきたな、と思いましてね。
 はっきりとは書きませんが、これから創作物って、検閲されたり、規制されていくのかなあ、とね。  
 文学や映画、芸術を愛する人間としては、日本の文化レベルが下がっていくんじゃないか、と心配になることがありましてね。
 それで同じ頃、映画制作に関わる方の本や近代詩の作者たちに関する本を立て続けに読んでから、枠にはめてこようとする社会や世間と戦いながら、作品を作っていく姿勢に感動しました。いずれも昭和や平成の始めが舞台だったので、昔は良かったなあ、みたいな感情になりそうだったんですが、ある日、山本彩の「棘」を聴きましてね。
 うわあ、凄く攻撃的な歌詞だけど、この時代に刺さるまっすぐな内容だなあ、と。
 まあ、まずは聴いてみましょう。



 まずは歌詞の世界を見ていきましょう。
 一輪の花が枯れていったのに、誰も気づかないというところから、この曲は始まります。細かい物は見ていないという風にも感じますし、繊細なものに無関心であるという風にも読み取れます。逆に言うと、この曲の主人公は気づいている、少し世界の人とは違う目を持っているとも読み解けます。
 次に曲の中では「普通」についての押し付けが見えてきます。
 曲の主人公は、「普通」という「物差し」を押し付けてくる「お前」(この場合は『世間』の人でしょうか)の基準に興味はないな、という答えを出します。
 サビでは、後ろめたいところは無く、偽らずに生きていくことを語ります。そして、「自分の守る場所」を探している途中であることも語ります。
 「自分を守る場所」って、どんなところかというと、「普通」にとらわれない場所、自分らしさを守れる場所なんじゃないか、と思います。

 2番では、新しい物差しとして、「性別・年齢」が出てきます。
 確かにありますよね、「最年少」とか「女性初の」とか。でも、それは評価するものとは、関係ないんじゃないかと。
 そして、「違うもの」をつぶすような世界ならば必要ないということが語られます。「マイノリティ」という言葉もお前らの視点から見ればな、とも読み取れます。
 サビでは自分を変えず自由に生きる、そして、その自分を愛し愛され生きるという考えを語ります。

 大サビ前では、いつまでも続く衝突や自分を笑う人たちへの意見を語ります。
 そして、1番のサビの後、2番のサビの最後を語って終わります。

 表現者として評価されること、その際に様々な基準がきっと彼女に降りかかってくると思います。ミュージシャンとして「普通」ならばとか、こういう活動や表現をするのが「普通」だと。
 けれど、そこで丸くならずに棘を出すところが素晴らしくてですね。
 ひょっとして、曲中で枯れてしまった花は、「棘」を出さなかった花なのかな、とも考えました。

 MVの方は逆に自分をからめとって、動けなくする棘から解放されていく様子が描かれていまして、個人的には、海でのシーンが凄く好きなんですよね。晴れてない、今はどんよりしている海で笑う山本彩のカッコよさ。

 「NMB48」という巨大な場所から出て、自分の道を歩んでいる山本彩。
 彼女が辿り着く「自分を守る場所」はどこなのか。
 そこまで「普通」や「物差し」を跳ね返しながら、彼女なら進んで行ってくれるんじゃないか、と思いますよ。

 「毒にも薬にもならない」という言葉がありますが、山本彩の曲って、「毒」や「薬」が多いんですよね。
 個人的には彼女の「JOKER」が本当に好きで、僕の元推しが山本彩さんの大ファンだったというのもあって、未だにリピートしています。本当にサプリ的な曲なんですね。でも、今回の「棘」は刺激を与える毒です。無味無臭な曲が毎日、流れてBGMになり果てている中、今回の「棘」は、本当に刺激に満ちていましたし、自由について考えさせられる素晴らしい曲でした。

 おまけですが、タワーレコード難波店で、山本彩さんのパネル展がやってましたよ。

 彼女のファンの方からのメッセージノートもあったんで、パラパラと読んでみると全国から応援メッセージを書きに来ているひとが多くて、彼女を愛する人達が沢山いるんだなあ、と感じました。
 きっと、「自分を守る場所」は完成に近づいてるんじゃないか、と感じましたよ。

 もう予約が始まっている新曲も、次はどんな世界を見せてくれるのか楽しみです。