グレデーションの中で
NHKの大河ドラマが好きで、よく一気見します。
昨年、放送された「麒麟がくる」も面白くて、これまでの歴史小説や映画の中で悪人として描かれてきた人物たちの再評価がされていて、立場を変えるとこんなに見え方が変わるのか、と楽しめました。
大河ドラマの面白さとしては、歴史の中のミステリーを脚本家や監督、現場のスタッフたち、そして演者たちが自分たちの解釈で埋めて行くところです。
たとえば、「本能寺の変」も様々な説がありますが、今年の大河ではみんなが明智十兵衛光秀に「もう誰かが信長殺すしかないよね」というのを押し付けていった感じがじっくり描かれていましたね。
徳川黒幕説や豊臣黒幕説、ただ単に恨みが蓄積していた説、公家黒幕説、などなど、これまでの説よりも個人的には好きな描かれ方でした。
なんでいきなりこんな話から始めたかというと、昨日の惣田紗莉渚さんの卒業発表を知った時に、まず頭に思い浮かんだのが、「うわあ、大河ドラマにしたら面白そう」という感想だったからなんですね。
崖っぷちの状態からアイドルの世界に入った彼女。
上に登っていくために「泥臭く」頑張って、握手の売り上げを伸ばし、SKE48の選抜にも入り、総選挙でも選抜入りという見事な結果を残していきます。
アイドルとしてだけでなく、舞台女優としても少しずつキャリアを積み、憧れの宝塚とはアプローチは違うものの着実に舞台人として活躍していく姿は、ファンだけでなく、アイドルになりたいという夢をまだ大事にしている少し年上のアイドル志望の方々の希望にもなっていたのでは、と思います。「S田3姉妹」という言葉がSKE48ファンの中ではありましたが、彼女も須田さんや柴田さんのように、ストイックに活動に取り組む姿勢には、尊敬の念を抱いていました。
それだけに、今年の春に文春に報道されたジャニーズタレントとの報道は、非常に残念というか、「悔しい」というのが正直な感想です。
報道を知った時は、美しい物語から、いきなりスキャンダラスな波乱万丈ストーリーの序章のように感じました。
ファンの方の中で昨年の10月にSNSに投稿したものから、もうある程度卒業することを決めていて、そこから気が緩んだのでは、と考える方もいらっしゃるんですが、僕はこの期間になぜ彼女があんなことをしたのか、と考えてしまうんですね。しかも、医療関係の仕事を知識を得ていたにも関わらず。
勿論、お相手の事務所の関係で公に謝罪できないのかも知れませんが、なかなかモヤモヤする対応で(昨日の言葉も含め)、市川崑監督の「処刑の部屋」のような「信じていたものが、自分の理想を押し付けていただけで、現実は全然違いましたよ」という衝撃を緩和する何かが欲しかったかなと思います。
おそらく、このスキャンダルについて彼女本人が語ることは、これからもない可能性が高いと思います。そうなると、僕らが物語の補完をしていかなければいけません。
「舞台ではよくあることだよ」とか、「欲望に負けたんだよ」とか、100億人がすぐに思いつきそうな理由もあるのかもしれませんが、大河ドラマのように、一つの事象に対して様々な描き方を用意して、自分が納得できる説を探せないかな、と考えています。
卒業に関しては、乃木坂46の松村さんのように謝罪して、そこからもう一度立て直すというプランを取れなかったのも痛かったかも知れませんし、後輩達のロールモデルになりきれなかったというのもあるかも知れません。ここから、どう信用を回復していくかの物語も見たかったです。
話を戻すと、あの時「アイドル 惣田紗莉渚」と「人間 惣田紗莉渚」の間に何があったのか。
僕が好きな谷川俊太郎の詩集「定義」の中に「灰についての私見」という散文詩があります。
少しだけ内容を書くと、どんなに小さな白の中にも目に見えない黒が隠れていて、それは常に白だからこそ黒を生んでいく。逆に黒にも白が隠れていて白を生んでいく。本当の黒であったためしはないし、本当の白であったためしはない。
あの時の惣田さんは白が強かったし、あの時の惣田さんは黒が強かったかもしれない。
じゃあ、次は?
それが今の僕の答えです。