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2021年3月6日土曜日

手を動かし続けながら

人と人の間に物を置くことで

 中国の故事成語に「眼高手低」という言葉があります。
 「眼」が「高」いというのは、美術や文学の批評力や鑑賞力があることです。
 そして、「手」というのは、何かを創作したり制作する技術のことをさします。
 それが「低」いということで、「批評なんかは上手なんだけど、実際に作らせると下手」、つまり、「口だけ」という意味になります。「眼高手高」を目指さねばならないということですね。
 しかし、「暮しの手帖」の創刊編集長で有名な花森安治さんは、この言葉に新しい意味を加えます。
 「手低」の意味を「現実の生活に着地」するという捉え方をして、「高い理想を持ちながらも、現実もよく分かっている」という意味であるとし、「暮しの手帖」の編集方針にしたそうです。高い理想に辿り着く為に、生活の中で出来ることを提案していこうということですね。手を動かして少しずつ日常を豊かにしていくことで、結果的に生活に思想が宿っていく感じです。
 東京大学大学院教授であり、ソニーコンピューターサイエンス研究所副所長の暦本純一さんも(スマートタッチを作った人ですね)、最新の著作「妄想する頭 思考する手」の中で、手を動かすことの大切さを語っています。手を動かさないと失敗できないし、試せない。そして、毎日手を動かしつづけることで、周りの人は諦めるようなことや笑われるようなことも、発明に繋がる可能性があるそうです。

 僕は、SKE48の井田玲音名のことを思い出しました。
 最初に断っておくと、僕は2019年ぐらいまでSKE48の6期生に対しては、あまり良い印象はありませんでした。丁度、2013年の春にメンバーの大量卒業と初めての組閣があり、1期生やチームSが持つ独特の緊張感が薄れていき、研究生たちはかおたんを中心に少し違ったイズムの元に動いているように見えたからです。
 そして、ドキュメンタリー映像の「アイドル」の中で「6期生がこれからのSKE48を作っていきますよ」という押しつけがましい演出にげんなりしました(ドキュメンタリー映画の技法としては最低だと思います。逆にテレビのドキュメンタリー映像としては正解だと思います。個人の感想です)。
 ただ、メンバーたちには罪はなくてですね。
 この映像がブルーレイ化した時に、特典ディスクとして付いてきた6期生たちの雨の中の単独コンサートを観た時に、「ああ、この子たちはこの子たちで、周りの評価に苦しみながら必死にもがいているんだな」と感じましてね。
 井田玲音名が、涙を流しながら「私たち6期生は甘えているとか言われて来たけど、ちゃんと成長してるんだって。自分では分からないけど、こうやってみんなで集まった時に強く感じました」という言葉の前半が特にそれを感じさせられました。

 さて、話を戻すと、井田玲音名といえば、劇場公演の出演回数の多さであったり、過去に行われた12公演全てに出演してきたりと、公演職人としての印象がまず強いです。また、「よりぬきモバイルさん」の井田玲音名特集の回を読むと、松井珠理奈や斉藤真木子の二人が劇場公演を副音声解説した時も高い評価を得ていました。
 今では子供たちにダンスを教えるお手本の立ち場にもいます。
 また、2019年10月に松井珠理奈プロデュースで、ソログラビアを披露。
 現在も、写真集出版の権利獲得に向けて、「大富豪は終わらない」のイベントにチャレンジしています。
 彼女のプロフィールを確認すると、趣味や特技に入っている「ダンス」のスキルが活かされていますし、鍛えられた身体性がグラビアにも生きてきているのだと思います。
 ただ、「公演」や「コンサート」、「グラビア」というのはいずれも非日常的なものだと僕は捉えています。メンバーにとっては、日常的なものかも知れませんし、「公演」はちょっとした非日常ですし、「コンサート」はさらに日常を離れた祝祭性があると思います(この辺りは最近の落合陽一さんと堂本剛さんの対談が面白いですよ)。
 僕が彼女の活動で興味深いことは、実は日常に関することなんです。
 たとえば、毎日Twitterで書いている、「#おはよう井田ちゃん運動」と「ラッキー〇〇」が興味深くてですね。もうこれを初めて5年以上になりますが、毎朝、メンバーから「ラッキー〇〇」というものが提示されて、場合によっては生活の中に取り入れて行く。ここでの「ラッキー〇〇」は宗教的な取り入れ方ではなく、自分が普段意識しないものを推しが提示して、ほんの少しだけ日常に変化がある(普段意識していたものなら、なおラッキー感がありますね)。簡単なようで、これを継続するのはなかなか大変なことだし、生活の中に一つレイヤーが加わるのは豊かなことではないかな、と僕は思っています。ある時は、「おっ、これは今日あるからリプ欄に写真貼ろうとか」、「いや、それはないのよ。でも、今日家に帰るまでには出会えるかも」とかね。
 「かさ」だったり、「パン」だったり、「水色」だったり、日常の「風景」になってしまっているものに、別の意味を与えるところが本当に素晴らしいと思います。
 「風景」に意味を加えるといえば、サンシャインサカエから羽豆岬へ徒歩で15時間かけて約60キロの道を歩いて行ったのもそうですね。頭で思いついても、なかなか実行できることではないです。それでも、自分に出来ることをやっていく、「手を動かす」という姿勢が素晴らしいと思います。
 そう、井田玲音名の素晴らしいところは、日常を少し豊かにしてくれるところだと思います。自粛期間中の動画2種も、「ワクチンを開発する!」とか「ディープラーニングを脳に埋め込む!」のような非日常的なものではなく、我々にも出来そうで、でも日常が豊かになることをアップしています。



 おにぎりを握って、ひなたぼっこをする。時々、窓から外を眺める。
 「いや、普通だろ」と思うかも知れませんが、実際にやってみると少しだけ贅沢な時間を過ごせます。動画の中の「普段気にしてなかった景色だったり音だったりに気づけたりして、また新たな発見がね、あるんじゃないかなと思うので」という言葉には、彼女自身も日常を自分で少しだけ豊かにしています。
 日常が豊かだからこそ、公演という非日常の場でのパフォーマンスも一際目を惹くのかもしれませんね。
 
 今日も彼女は「手を動かして」いきながら、次の目標へと進んでいくと思います。爆発的な猛ダッシュではなくて、羽豆岬へ一歩一歩あるいて行ったように。でも、その少しずつの歩みがやがて、理想としている「選ばれる人になる」へ近づいていくと思います。
 動かし続けた手が何を掴んできて、今度は何を掴むのか?
 いつか、彼女のラッキーアイテムに「写真集」が来るのを楽しみにしています。