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2021年3月28日日曜日

手紙の言葉で

 君のことを考える時間が一番楽しい時間だから


 皆さんは最後に手紙を書いたのはいつでしょう?
 会話で使う言葉ともSNSで使う言葉とも違う手紙の文章が僕は好きです。
 手紙を送る相手のことを思い浮かべながら、語りかけるような文体の手紙たち。
 SKE48の歴史の中で様々な素晴らしい手紙がありましたが、今回は古畑奈和に関する手紙に触れながら、彼女について考えてみたいと思います。
 何故、奈和ちゃんを選んだかというと、彼女のSKE48人生の中で正念場の時に書くブログの文章が本当に素晴らしいからです。
 ただ、ある程度彼女にまつわる代表的なエピソードとブログについてさわり終わり、先日行われた水戸黄門にも行けなかったので、暫くは新しい記事を書けないかなあ、と思っていたんですが、全く別のメンバーの記事を書こうと調べものをしている時に、ふと、手紙はまだ触ってなかったなと気づきました。奈和ちゃんからファンの皆さんへではなく、同じSKE48のメンバーへの手紙ならば、また違うものが見つかるのではないか。また、同じメンバーから見た古畑奈和像も見えて来るのではないか、と思い、過去の生誕祭の手紙を調べていきました。

 

 まずは、2013年の11月13日に行われた菅なな子の生誕祭で書いた手紙です。彼女の同期であり、当時5期生のトップランナーだった菅なな子。
 同期でありながら、自分との立ち位置の違い、そして彼女を少しでも良いから支えたいという気持ちが伝わってくる手紙になっています。

「なな子へ。

 誕生日おめでとう。

 後から名乗るの恥ずかしいから先に名乗るね。

 奈和だよ。

 SKE48に入って2年間、あっという間だったね。なな子は5期生のセンターとして常に私たちを引っ張ってきてくれて、こんな高度な役割は菅なな子、君にしかできないよ。
 なな子がいたから5期生は成長したんだと思う。ダンスでも引っ張ってくれて、私たちのお手本になってくれて、いつも先頭を走ってくれて、きっと大変だったよね。真面目な部分とか結構あるから悩んで立ち止まったりもしたのかな?
 でも私は先輩と喋っているなな子を見て安心しています。先輩と喋っているなな子は甘えててふにゃふにゃしてて、安心してるんだなって思いながら和んでいます。同期として居やすい場所を作ってあげたいんだけど、私はつまらない人間なので無理かもしれません。
 でもね、こんなつまらない人間にもたまには甘えてください。
 いつでもウェルカム。待っています。
 あっ、でも強制ではないので、おばあちゃんぐらいまでに1回とかでも良いです。
 明るくて人懐っこいなな子なら、この先何があっても生きていけるよ。だって、なな子は助けてくれる良い子だから。

 私、ダンスで助けられたし、いつか、私がダンスで助けるから。うん、無理。ごめん。ごめんなさい。

 もう、なな子は私にとってライバルではありません。ライバルって思えないくらい大きな存在です。なな子を見て学ぶことは沢山あるから、同期であり先輩のようなものです。

 最近は寒くなってきたから体調を崩さないように気をつけてね。あとは、夜は危ないから気をつけるんだよ。睡眠もしっかり取るんだよ。
 改めて誕生日おめでとう。
 5期生として、仲間になってから今も変わらず好きだよ。

 奈和より」

 ううむ、同期を引っ張る立場にあるなな子が、先輩の前では甘えている姿を見て、自分のことを「つまらない人間」と言いながらも、甘えて欲しいし力になりたいという思いが伝わってくる良い手紙ですね。ちなみに、同じ日の松井玲奈のブログでは、あいりんに膝まくらしてもらっているなな子の姿が描かれていましたね。後半のお母さんのような言葉も奈和ちゃんの優しさが伝わってきて素敵です。
 この時、まだ同期でありながら立場が違った奈和ちゃんが徐々にステップアップしていくことを考えると、歴史を感じる手紙でもありますね。

 次に2014年1月18日に行われたAKB48の藤田奈那の生誕祭で読まれた奈和ちゃんの手紙を読んでみましょう。

「こんばんは、皆さん、なぁなさん。
 なぁなさんお誕生日おめでとうございます。
 誰からのお手紙でしょう?
 そう、古畑奈和です。
 なぁなさんにお手紙書くって約束したの覚えてましたか?


 私はいつもなぁなさんに助けられてきました。
 最初に話しかけてくれたのも、仲良くなったのも、ご飯を食べたのも、大笑いしたのも、全部全部なぁなさんです。なんでなぁなさんってこんなにも優しいんだろうって思います。

 『ふるちゃんはチームKなんだから』って言葉が今でも嬉しくて嬉しくて、チームKにも居ていいんだってホッとしました。
 私ね、本当に大好きなんですよ。
 周りのことをしっかりと見ていて、考え方が誰よりも大人で、いつも楽しませてくれて、なぁなさんのおかげでチームKに馴染めました。一人じゃないありません。

 今はもう引っ張る立場できっとチームのために色々考えて大変ですよね。でも絶対に周りの人が助けてくれるし、なぁなさんが私を助けてくれたみたいに私も助けたいって思っています。いつでも手は差し伸べているので、ピンチになる前に手を握ってくださいね。頼りないかもしれないけど、傍にいることはできますから。

 なぁなさんが笑ってくれるの嬉しいから、これからもいっぱい笑いながら踊るし、全力ダンスもします。これからのチームK、私もどうなるか分からないけどチームKも大好きだから、一緒にいろんな試練を乗り越えてキラキラ輝くチームになりたいです。その時は一緒にブサイクな笑顔になるくらい笑いましょうね。


 ねえ、なぁなさん。なぁなさん、本当に本当に大好き。聞いてくださった皆さん、お手紙を読んでくださったメンバーさん、ありがとうございました。

 なぁなさんにとって素敵な1年になりますように。

 古畑奈和でした。」


 ここでも奈和ちゃんの優しさが伝わってくる手紙なんですが、奈和ちゃんの声が聴こえてきそうな「2回繰り返す」表現がこの手紙では登場していますね。ちなみに、この表現で僕が一番印象に残っているのは、2015年の総選挙のスピーチです。
 話を手紙の内容に戻すと、AKB48と兼任になった奈和ちゃん。この手紙の時には、大組閣の影響でもうチームKではなくチームAになっています。
 チームKに兼任することになった自分を笑顔にしてくれた藤田さんを笑顔にしたい、そして、いつか自分も笑って「ブサイクな笑顔」になるぐらい笑顔の交換がしたい。そんな彼女の気持ちが垣間見える素敵な手紙でした。
 奈和ちゃんの兼任に関しては、2021年の視点から見ると、彼女にとってAKB48のチームKに触れたことは、SKE48とはまた違う「全力ダンス」を感じられ、この後のチームAで表現力を磨いていくことになったのかな、とも思います。また、別のグループにも仲間が居て支え合えるというのが素晴らしいですね。もう、兼任の経験があるSKE48のメンバーは彼女とみなるんだけですが、運営が試行錯誤していた兼任というシステム、実はAKB48と兼任しながらそのまま48グループを引っ張っていく2015年5月29日以降のもう一つの未来も想像してしまいます。たとえば、チームBの古畑奈和は何を吸収して、どのあたりのポジションに行ったのかとか。

 ちなみに、2013年に行われた奈和ちゃんの生誕祭ではお母さまからの手紙が読まれ、選抜や兼任を経験しながら成長していく娘の姿を母親の視点で語っていて、まだ幼さが残っていた奈和ちゃんが一人の職業人になっていくようで、今読むと凄く印象的です。ちなみに、この手紙で僕は奈和ちゃんにお姉ちゃんが居たことを知り、衝撃を受けました。てっきり一人っ子かと思っていました。

 さて、ここまでは同期であったり、兼任先のメンバーへの印象的な手紙を見てきましたが、今度は後輩たちへの手紙はどうでしょう?
 まずは、2018年12月4日に行われた松本慈子の生誕祭で読まれた手紙です。
 ううむ、正直、この二人の絡みはあまり意識していなかったんですが、皆さんはどうでしょう?

「ちかちゃんへ。
 お誕生日おめでとう。
 ちかちゃんが1期生としてSKE48に入ってきてくれて、すぐに話しかけることは出来なかったけど、遠くから見ていた私からちかちゃんへの印象は、純粋にキラキラしていて、無邪気な姿や笑顔を見せられる、アイドルとして最高な部分を持っている子だな、と感じていました。

 他の子とはまた違う、溢れる純粋明るさなのかな。その魅力が私にも伝わってきました。今でもそう。あなたの知らないうちに私のことも、その笑顔や明るさや無邪気さでそっと助けてくれているんですよ。
 誰を助けていると思う?
 答えてみて。

 正解は、古畑奈和でしたー!
 慈子は私のことをずっと憧れの人と言ってくれているけど、憧れているのは私の方で、自分の笑顔で私の心や誰かの心にすっと優しさをくれる存在って凄いなって。ファンの皆様もそれも魅力の一つとして惹かれているのだろうなと、私もその慈子だけの魅力に惹かれ、納得します。

 でも、気遣い屋さんの慈子だから、きっと言葉に出来なかったこと、言葉にしてこなかったこと、沢山あると思います。慈子の中だけで止めている気持ちや感情がもしあるなら、その時は慈子のファンのみんなにもたくさんたくさん伝えてください。それがうまくまとまらなくても、その瞬間の感情をぶつけてみてください。

 もう慈子も分かっていて、必要のない言葉たちかもしれないけど。慈子、ファンのみんなは強いぞ。だいぶ精神鍛え上げられているぞ(笑)。
 だから、慈子の全部を受け止める自身はあると思います。慈子のことみんな大好きだから。みんなも待っていると思うよ。慈子の抱えているものを一緒に分けて、慈子がずーっと笑っていられるように私も一緒になって望んでいるから、だから少しでもモヤモヤすること、ぶつけたい何か、目標でも夢でも悩みでも全部を一緒に持って進んでいって欲しいです。もちろん私も可愛い可愛い愛しい慈子のためなら、私にできることがあるのなら、したいので、いつでも遠慮なく言うんだぞ。遠慮なくしたらデコピンだからな(笑)!

 慈子にお手紙を書くことが出来て幸せでした。

 ありがとう。

 聞いてくださった皆様、読んでくださった方、ありがとうございました。このお手紙を書いていて、慈子の笑顔が早く見たくなりました。

 じゃーね!慈子、大好きだよ。

 本当に誕生日おめでとう。

 古畑奈和」

 実は、松本慈子の憧れの人だったんですね。
 慈子に語りかけるファンの人に対する「だいぶ鍛え上げられているぞ」とか「全部一緒に持って行って進んで行って欲しい」という言葉は、2018年の総選挙でファンの皆さんとの信頼関係を感じた彼女だからこそ説得力のある言葉だと思います。
 手紙の中に出てくる「無邪気」や「キラキラ」というのは、SKE48に入ったばかりの頃の研究生だった頃の自分を重ね合わせているのかも知れません。もう大人になった彼女だからこその言葉だと思います。ちなみに、「無邪気」や「キラキラ」は未だに「えにし酒」シリーズなんかで時々、顔をのぞかせてくれます。
 手紙を書きながら、相手の笑顔を思いだして見たくなるという最高の結びの文も素晴らしい手紙です。

 続いて2019年12月10日の白井琴望の生誕祭で読まれた手紙を読んでみましょう。

「こっちゃんへ。

 17歳の誕生日おめでとう。

 こっちゃんと出会ったのは4年前のドラフト会議でした。その時の私はぼーっとしがちだったので、こっちゃんとお話することはなかなかなく、後の写真を見て『凄く細いから体力的についてこれるかな?』とか『踊れるかな?』と勝手に心配していた覚えがあります。でも、そんな心配はすぐに吹っ飛びました。

 日に日に上達するダンスに、覚えも早く、努力もして、公演のアンダーにもいつの間にか沢山出演するようになっていて、私は先輩だけど、そんなこっちゃんがずーっとカッコ良く見えていました。

 私がメイクをしながら、他のメンバーと年齢のおしゃべりをしていた時、こっちゃんが16歳ということを知り、『わっか』って、こっちゃんの幼さに本当に驚きました。私が『もっと甘やかしていこう』とポツリと言った言葉にたまたま聞いていたこっちゃんは『えっ、いいんですが?』って可愛い顔して嬉しそうに聞いてくれたね。そこから、この近づき難い雰囲気にも負けず、くっつきに来てくれたり、『遊びにいきたい』と素直に言ってくれたり、今までよりも距離が少しずつ近づいてきたね。

 しっかり者で先輩たちの手も煩わせないこっちゃんだから甘える機会が少なかったかもって。
 後輩として先輩に甘えることも重要だからね。我慢しなくて良いので、私は待ってるからおいで。

 あと、初日のリターンマッチに舞台監督さんからアドバイスをもらった時、次の公演では人が変わったようと思うくらい初日よりも成長したパフォーマンスで驚かされました。本当に頑張り屋さんで偉いね。一緒のチームになって、こっちゃんの成長する姿を近くで感じることができて、先輩として嬉しいです。先輩としての幸せをくれてありがとう。

 こっちゃんにとって素敵な1年になりますように。

 古畑奈和」

 同じ後輩でも今度は、同じチームで成長を見守っているこっちゃんについての手紙でした。「先輩としての幸せ」の概念は、人を「育てる」経験がある人ならば非常に共感できる内容ではないかと思いますし、「私は待ってるからおいで」という優しい言葉も素敵です。
 

 ここまでは、奈和ちゃんが書いた手紙でしたが、今度は奈和ちゃんに宛てられた手紙はどうでしょう?彼女の生誕祭の手紙の中で気になったものがあります。
 2018年9月26日に行われた生誕祭の時のかおたんからの手紙です。

「奈和ちゃん、誕生日おめでとう。

 奈和ちゃんのファンの方が焦りながら『お手紙をか書いてください、お願いします』と握手会で言われたました。卒業発表したからでしょうか。もしかしたら、最後になるかもしれないお手紙をどうぞ受け取ってください。

 正直言って、私の中での奈和ちゃんはずーっと謎の存在でした。あまり本心が見えないいうか、素が分からないというか。
 2年前の総選挙前にあったゼロポジの生討論会で質問に対して無言になって泣き崩れた奈和ちゃん。何で泣いたのか、何で質問に答えられなかったのか。ある程度の年齢を重ねていたし、考える力があるはずなのに。当時は不思議でありませんでした。

 でも、今思うと凄く奈和ちゃんの中で葛藤していた時だったのかもしれません。

 奈和ちゃんって誰かと群れるわけではなくて、ちょっと暗いイメージがその当時はありました。メンバーとプライベートでどこかへ行ったりとか、あんまり聞いたことも正直なかったし、まあ反省会とか、そういう場面でもあまり意見とかを言ったりせずに、聞いている立場が多かったです。
 何でだろうなあ?そういうあんまり興味ないのかなって思っていたんですが、総選挙のスピーチで話していたように、他の人から見えている自分だったり、イメージだったり、アイドル像だったり、そういうのを気にしすぎて、感情を押し殺していたことを知りました。

 ここ最近、スタッフさんもメンバーも感じていることだと思うけど、奈和ちゃん自身が凄く明るくなって、楽しそうにしているのは、1人の人間として古畑奈和というものをファンの方も含めて、みんなにさらけ出せているから今があるんじゃないかと感じています。

 目に見えていない何かを抱えていた奈和ちゃんがスッキリして、自分らしく活動している姿を見て、今とっても安心しています。

 きっと昔のままだったら、今みたいにヘアカラーにチャレンジしたり、自分の好きな服装を着たり、そういうのも全部我慢して、周りから思われている『いい子の奈和ちゃん』を演じていたと思います。ここにいるメンバーも、ファンの皆さんも今の奈和ちゃんのことを受け入れているし、大好きです。

 メンバーがどっかに行くって今話したら、『私も行きたい!』って言っているところを最近よく見ます。そういう風な関係になれたことがとっても今嬉しく思っています。3期まで区切られる古参でもなくて、6期以降の若手でもなく、間に挟まれていて、どういう立場でいればいいのか難しいし、大変だと思うけど、江籠ちゃんと二人でしっかりと引っ張って行って欲しいです。

 最近6期生が何かと注目されがちだけど、負けずにしっかりと背中を見せてください。

 そして個人的には、センターや少しでも前をがむしゃらに目指していた奈和ちゃんの姿がとても好きなので、その姿を私がいるうちにまた見せてほしいです。

 『前のめり』で奈和ちゃんがセンターに出てきて、地鳴りみたいな歓声があった時のこと、私はずーっとあの時、覚えています。

 誰でもセンターに立つことは出来ません。
 でも、奈和ちゃんはその可能性を持っている子だと思うので、今の自分に満足せずにこれからも向上心を持って、アイドル活動をしてほしいと願っています。

 最後に、『好きなものは好き。嫌いなものは嫌い』。周りのことを考え過ぎずに生活してください。

 22歳の奈和ちゃんの1年が去年よりも充実したものになりますように。

 松村香織」

 奈和ちゃんのSKE48人生の中で重要なターニングポイントが手紙の中にいくつも書かれていましたね。リクエストアワー2015の「前のめり」での「風の中を」の歌い出しで「奈和ちゃん」コールが聴こえた瞬間に、奈和ちゃんの瞳が潤んでいくところは今でも頭の中に浮かんできます。
 そして、2017年のリクエストアワー前の討論会での泣き崩れた姿。
 周りが望む「いい子の奈和ちゃん」からの脱皮。
 2018年の9月といえば、後輩のゆなながセンターを経験し、「いきなりパンチライン」は珠理奈センターであり、代役は多くの場合だーすーが担当。それでも、彼女にセンターを目指し続けろというメッセージ。
 最近、NHK大河ドラマをヴィンジーウォッチングしているんですが、大河ドラマ「古畑奈和」では、松村香織という人がかなり重要な人物になって、奈和ちゃんに影響を与えていくのではないか、と考えさせられました。
 どんな自分でも、受け入れて理解しようとしてくれる先輩がいたという経験が、先ほど挙げた後輩たちへの「甘えて」という奈和ちゃんなりの言葉になっているかも知れません。また、今はまだキャリアが浅くて、周りの眼を気にして萎縮している後輩への味方である意志にも。
 
 SKE48の常識をどんどん実力で破壊していったかおたんですが、彼女がオフロードを走っている時に(かおたんファンの方、ごめんなさい。でも、どしゃぶりのオフロードを走る彼女も本当にカッコいいんですよ)、ふと全く違うコースを走っていた奈和ちゃんに、自分とは違う革命の予兆を感じていたのかも知れません。
 

 2019年11月10日に行われた23歳の生誕祭の中で高柳明音の手紙が本人の口で読まれました。その中で「SKE48にあった色々なしがらみや当たり前や暗黙の了解とか正面突破でぶっ壊して行って、それを大人たちに新しい魅力として認めさせたのは、けっこうSKE48の歴史の中では革命だったと思います」という言葉があります。この言葉の前に彼女がセンターになった時、「私は私にしかできないセンターになる」と宣言していたことも語られていますが、きっと僕らファンには分からない「しがらみ」や「暗黙の了解」もあったかも知れません。でも、それを全部、実力で変えて行く奈和ちゃん。
 気づいたら、彼女はみんなと同じコースから外れ、轍の無いコースを一人で走りながら、後輩たちがこれから自分を出しやすくなる「革命」をどんどんやっていたのかも知れません。

 「ピアスの穴の後があると時代劇の仕事は無理」そんな誰が決めたか分からないルール、彼女は舞台「水戸黄門」に出ることで、また一つ覆してみせました。
 これからも彼女はいくつも、前の時代の常識を破壊していくでしょう。
 そんな彼女の言葉だから、色々な後輩たちの生誕祭の手紙に登場してほしいなと思います。
 個人的にはかつて48グループメンバーで新書を出していたように、彼女が激動の48人生で考えていたことを何か本に残して欲しいなと思っています。「つまらない人間」なんて彼女は謙遜するかも知れませんが、48グループの中でも屈指の「面白い人間」の物語、ぜひ、彼女の言葉で読んでみたいです。
 これからも、新しい道を作っていく彼女の、目撃者の一人で居られたらなと思います。

 


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