落日であり夜明けでもある
なんでリブートしてしまったんだろう、という映画が時々あります。
たとえば、市川崑監督の「犬神家の一族」は1976年に公開され大ヒット、2006年にリメイクされます。全く同じストーリーを同じ主演で、できる限りカットも類似させたものを市川崑監督は作りますが、独自に付け足したラストシーン以外は、76年版を知っている人間からしたら、違和感の残るものになりました。どうしても、昔の方と比べてしまうからです。
同じく「ヱヴァンゲリオン新劇場版:序」を観た時もテレビ版との差に、「あれ、なんか確認作業でもしてるのかな?」という感想で終わってしまいました。
この原因を考えて行くと、天才プロレスラー武藤敬司が週刊プロレスのインタビューの中で「どんなに今日ベストバウトをしても、観客の思い出には勝てない」と言っていたこと(W1立ち上げ後だったと思いますが、詳しい方がいらっしゃれば教えてください)がヒントになるのでは、と思います。
思い出はどんどん美化されていきます。
気づけば等身大の対象以上に膨れ上がることもあるかも知れません。
かく云う、僕も市川崑もエヴァンゲリオンも思い入れがあるからこそ、違和感を抱いたというのもあると思います。
SKE48の世界でも思い出とぶつかる瞬間が訪れます。
その最もたるものが卒業公演や卒業コンサートだと思います。
先日開催された松井珠理奈卒業コンサートでも、珠理奈に関する曲が披露される度に、その曲が歌われていた頃の珠理奈の姿を思い出すことがしばしばありました。
僕が最もそれを感じたのが、アンコール2曲目で披露された「Glory days」でした。
この直前のアンコール1曲目で、たった一人で「神々の領域」を珠理奈は歌います。
いつかのコンサートのみきてぃのように「これまでの1期生が見えている」と鑑賞した人もいれば、「松井玲奈卒業コンサート」での雨の中の3人、「大矢真那卒業コンサート」での涙や名古屋ドームの1曲目など、関連する思い出が甦った方もいらっしゃるかも知れません。
僕は残酷なぐらいありのままの現実と最後の一人になった珠理奈の孤独を再認識させられました。
その後に、明るいメロディと共に、中西優香と桑原みずきが出てきた時、「ああ、珠理奈に仲間が来てくれた」という喜びと共に心配もありました。
何故かというと、上記のような「思い出の方が美しい」現象に襲われる可能性があったからです。
また、昼の部では松本慈子センターで両サイドに熊ちゃんと鎌田さんを据えて、表情が常に快晴という状態のキラキラした現在進行形の「Glory days」を見せられていました。果たして、どうなると考えていると、曲が始まりました。
「Glory days」の和訳は「絶頂期」という意味と「かつての輝かしい時代」という意味があります。
あの珠理奈・中西・桑原の「Glory days」が踊られた数分間で、観ていた観客それぞれの「Glory days」の珠理奈が甦ってきたのではないでしょうか?
勿論、「絶頂期」の珠理奈の思い出が甦った方もいれば(今も絶頂期だという方もいらっしゃると思いますが、今は一歩後ろに引いている感じがあると僕は思います。今回のセトリの配置を含めて)、現在の珠理奈だけをじっと観てらっしゃった方も居るかもしれません。
ただ、アンコールというもうすぐコンサートが終わる時に歌われる曲という配置も関係してか、僕は「ああ、もうすぐアイドル松井珠理奈が終わるな」と明るい曲調とは反対に涙が零れてきました。
無邪気な笑顔を見せていた珠理奈の表情は大人びたものでしたし、中西のブリッジはありませんでしたし、カツオのターンもありませんでした。おそらく、踊りだけをとれば2013年ガイシ(奇しくも同じ会場)がこの3人のベストでは、と僕は考えていますが、その時と比べるとダンスでは物足りなさがありました。
でも、「思い出の方が美しい」現象は起こりませんでした。
勿論「最後にオリメンで観られた!ありがたい!」みたいなレベルのこともありますが、「ああ、これでアイドル松井珠理奈は終わるんだな。最後にキラキラしていた絶頂期の片鱗を僕らに見せてくれたんだな」という美しい終わりを感じたからです。
きっとあの曲の間に多くの人の頭の中で「絶頂期のSKE」が一瞬甦り、そして、2021年の現実、もうすぐやってくるアイドルの終わりを見ることになったのではないでしょうか?
現実と思い出が融合した不思議な感覚でした。
この現象はコンサートの中でもフラクタル構造になっていて、夜公演は特に思い出と現在を行ったり来たりしながら進んで行ったように思います。
「Glory days」が終わった後のMCは、本当に昔のSKE48のコンサートのMCを観ているのでは、という錯覚を起こすぐらいの懐かしさがありました。
でも、元1推しの中西優香のトークよりも、現役メンバーが沢山喋ってほしいなという気持ちの方が強かったです。その理由はまだ自分の中で言語化できていませんが、ただ、「今」が愛しい感覚の方が強かったです。
夜の部の「Glory days」が「かつての輝かしい時代」を思い出させてくれたのと同時に、今、SKE48に居るメンバーたちが次の「絶頂期」を連れてきてくれるのではないか、と期待しています。
そして、ソロプレイヤーの松井珠理奈の夜明けも。