ハスってしまう自分
皆さん、音楽を聴いていると、「あっ、この歌詞凄く共感できる!」というものや「こんな発想や心情があるのか」というものはありませんか。
2000年頃、僕は自分のワンルームマンションの部屋で、MDに録ったラッドウィンプスの曲を、当時付き合っていた彼女と聴いていました。
曲名は忘れたんですが「サヨナラって言ったのは君なのになんで泣いたの?」という歌詞があったんですね。
僕は全くピンとこなかったんですが、彼女は「別れたくなかったからやん!」と言い物凄く共感していたのを覚えています。彼女はそこから僕以上にラッドウィンプスが好きになっていきました。僕は、「えっ、そういうもんなの?」と自分の想像力の無さにガッカリしたもんです。
彼女にとってその曲は最初に僕が問題提起したことの前者であり、僕にとってこの曲は後者だったわけですね。
時は流れて2020年。
すっかり48曲や日向坂46の曲が大好きになった僕ですが、2020年に「これは、凄いな」という曲が登場しました。
それがNMB48の「だってだってだって」です。
まず、歌詞の世界から見ていきましょう。
まず、いきなりサビから始まるんですが、「だって」という接続詞がここまで輝く歌詞があったでしょうか。多くの場合、反論や理由や言い訳をする時に使われる言葉ですよね。
じゃあ、何に対する言い訳かというと、素っ気ないリアクションをしてしまったことに対してです。そして、また「だって」の3連発の後、ドキドキした内面を語ります。
つまり、「だって」をはさんで「行動→心情」という説明から始まっています。
素直になれない主人公の心情から歌詞の世界がスタートしていきます。
1番のAメロなんですが、最初の1行目で答えが出てる気がするんですね。「恋をすると~」からの1行ですね。もう徹底的にこれを描いているんじゃないか、と思います。
「後悔」→「内省」→「現実」という、最初のサビの背景が描かれています。
別に異性とのコミュニケーションだけではなく、シンポジウムとか会議とかで多くの人の前で対話する時にこういうことってないですか?
1番のBメロでは、この曲の季節が明らかになります。
どうやら、色々な恋のイベントがありそうな夏がもうすぐ来るようですね。
そして、1番のサビ。
「だって」が「なんで」という副詞に変わります。
「だって」と比較すると、同じ理由を考える言葉なんですが、「なんで」は自問する時にも使うんですね。「だって」が対象に対して使うことが多いのに対して、「なんで」は自問の要素が含まれています。
「なんで」を挟んで「行動→心情」という説明の流れは同じなんですが、その事象に対して、曲の主人公が主体的に向き合い始めていることが分かります。
ちなみに、「なんで」が3回続いた時に、SKE48の古畑奈和ちゃんが思い浮かんだアナタは、結構昔から、SKE48が好きな人だと思います。
2番のAメロは、他の異性と好きな人とコミュニケーションする時の比較です。
他の人とは普通に話せるのに、あなたとだけは普通に話せない。
僕の大好きな番組「オードリーさん ぜひ会って欲しい人がいるんです」の中で「美人な女性と話せない」というぜひらーが(素人の方)が「ブスとオバサンとは普通に会話できるんですけどね」という「令和の社会において、それは大丈夫なのか」と心配になることを公共の電波に乗せて語っていました。
でも、自分と関係のない人の前ではマイペースにふるまえる、というのは分からなくもないなあ、と思います。好きな異性だからこそ、緊張してしまう。
1番と合わせて考えると、自分という人間の価値をちゃんと分かって欲しい、高くみて欲しい人に対してなのかなあ、とも思いました。
そして、第3者的な目線で自分というものを評価していきます。
でも、その評価は結構厳しく自分を見ているんですね。かと言って好きな相手のことを諦められない。「あなた」と出会ってから自分が変化してしまったことを語っています。
2番のBメロでは、外面の変化として髪型を変えたことを挙げています。
ここで、「純情」という単語が出て来るんですが、ここまで内省して恋に対してしっかりと向き合ってたら、十分「純情」だろ、と思うんですが、やっぱり自己評価が厳しいんじゃないか、と考えてしまいます。
2番のサビは「もっと」に変わります。
この言葉は、何かを更に強めようとする時に使われることが多いです。
じゃあ、何をしたいかというと、自然に振る舞いたいということなんですね。
「あなた」の見ている自分は、本当の自分だったり、こうなりたい自分とは違う全くの別人なんだよ、と。
「自然」つまり、本来の自分を知ってほしい、ということですよね。
だから、不自然になってしまう現状を顧みて自己嫌悪してしまったり、悔しさで泣いてしまったりするわけですね。
今日は上手く行かなかったけれど、ちゃんと自分を理解してもらいたい。
髪を切った外面的な興味の喚起だけでなく、内面ももっと知ってもらいたい。
そんな気持ちが伝わってくる名曲だと思います。
さて、曲についても聴いていくと、本当に素敵なメロディーだと思います。
サビも好きですが、1番のサビ前でテンポが少し落ちて、内面をじっくりと伝えてくれるメロディが好きです。
MVも現在、2種類でていますが、僕は#stayhomeバージョンが好きです。
名前のテロップがあるのがありがたい!
総選挙が無くなった弊害として、他グループのメンバーの名前を覚えることが少なくなりましたよね。
暇な人は、曲が終わるまでに僕が誰に惹かれたかも予想しながら観てみてくださいませ。
着ている衣装もそれぞれ違いますし、部屋の様子が違うのも面白いですね。
さらに言うと、どんな自分を見せたいかという自己プロデュース面もみられて面白いと思います。
ちなみに僕はこのMVで、こじりんこと、小嶋花梨さんがなかなか素敵だなと感じましたよ。ショートカットが曲の世界とマッチしてますし、綺麗なターンがいいですね。
あと、みるるんのお家のワンちゃんたちも。はあさちゃん家のワンちゃんの「ん?何やってるんですか?」という感じの見上げ方もカワイイですね。
SKE48ファンの一人としては、「何故、こういうのをうちもしない!」と思ってしまいます。少なくとも名前のテロップをつけることで、僕みたいなボンクラでもこじりんについて知ることが出来ましたし、MVとは違った楽しみを一つ提案してくれますしね。SKE48はダンスバージョン動画で差別化してるんでしょうか。でも、こういうやり方もありなんだな、という発見もありました。
共感と発見、どちらもある素晴らしい名曲だと思います。
久しぶりにNMBの曲、買ってみようかしら。
(個人的にNMB48も好きな曲が多いです。『存在してないもの』とか『北川謙二』とか)