人気の投稿

2022年10月23日日曜日

New Ager

価値観を変えるきっかけを探して

 夏目漱石が、東京帝国大学文科大学英文学科の講師として教壇に立ったのは、1903年の4月です。芥川龍之介は、井川恭に宛てた手紙の中で、「夏目さんの文学論や文学評論をよむたびに当時の聴講生を羨まずにゐられない」ということを書いています(1914年12月21日付けの手紙)。
 ちなみに、漱石の文学論は結構難しくて、僕も学生の頃に一度読みましたが、読んだ記憶があるだけで、この記事の為に再度読み直してみると、認識と情緒に関する部分は、当時聴講生に居た志賀直哉への影響を考えると、なかなか面白かったです。
 ちなみに、漱石の授業は当時の帝大生には、不評でした。
 前任教授が、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)で、「直覚的に鑑賞すべき」という考えの方で(この教えの背景には、教員としてではなく創作者として学生を育てたかったという背景があったことも追記しておきます)教えていました。
 それに対して漱石は、分析的に作品を解剖していくタイプの人だったので、当時の資料を読み解いていくと、漱石は「田舎高等学校教授あがりの先生」とか「居眠りに最初の幾時間を過した」という感じで、反発を受けていました。
 彼の評価を変えたのが、1903年9月から始めたシェイクスピアの「マクベス」を取り上げた講義です。
 講義室はいつも満員御礼になり、「マクベス」の後、「リア王」も漱石は解説することになり、当時、帝大の学生だった金子健二の日記によると、「文科大学は、夏目先生ただ一人で持っている居らるるやうに感じた」と残っています。
 この背景には、川上音二郎一座が洋行から帰り、1903年に明治座で「オセロー」を上演したのが関係しているのでは、と研究者の間では言われています。ちなみに、主人公のオセローの名前は日本人にも分かりやすく、日本人名に変えています。その後、6月に「ヴェニスの商人」、11月に「ハムレット」と年に3回も川上一座はシェイクスピア作品を上演しています。
当時の帝大生たちもこれを観に行き、英文学ないしはシェイクスピア文学の魅力を感じ、それが思わぬところで漱石を助けたのかもしれません。ちなみに、漱石は、イギリス留学中に川上一座がロンドンに公演に来て、観に行かないか現地の同僚に誘われても嫌だ、と断っていたそうです。まさか、自分が拒否したものが自分を救うとは。

 人間というのは、思わぬきっかけで、その人の価値を発見していくものですね。
 その発見の手伝いとなるものと、自分の気づかないうちに出会って通り過ぎている。

 僕はふと、SKE48の「New Ager」という曲を思い出しました。
 まずは、聴いてみましょう。
 公式チャンネルからどうぞ。



 まずは、歌詞の世界から見て行きましょう。
 秋の並木道からこの歌詞は始まります。
 季節の経過の中に「後悔」はないかとふと思います。
 永遠はないから、今というこの瞬間を思う。
 過ぎて行くもの、このままでは入れないもの「青春」というのは、生き物のように変化していくことを意識します。自分もやりたいことをどんどんやっていかねばと曲の主人公は思います。
 2番では1番のように季節という大きい単位ではなく、1日という単位での時間の流れから始まります。陽のあたる時間から星空になる時間になって、やっとお互いの夢の話になります。自分の若さをどう使えば良いのか分からず、一歩目が踏み出せなかったことを「僕」は意識します。
 そういえば、ここで曲の主人公が「僕」であることが分かりましたね。
 サビでは、試行錯誤しながら生きて行くことを誓います。1番のサビで花のたとえがありましたが、それは人間の生き方と重なるのかも知れません、人生が過ぎて行くと新しい自分が生まれていく。
 大サビでは1番のサビが繰り返されますが、2番のサビを受けると、また違った響きがしますね。
 
 曲は王道のアイドル曲で、9期から11期生のメンバー24名が踊っています。センターは11期生の原優寧さん。2001年生まれだから、今年20歳でしょうか。とてもそうは見えないフレッシュな感じですよね。10期生でSKE48の表題曲を務めた林美澪ちゃんとはまた違った雰囲気の持ち主だと思っています。
 
 MVでは、校内フォトコンテストの為に、生徒たちが「写ルンです」で写真を撮っていくという流れですが、「青春」という日々流れ続けて行くものを、写真で一瞬切り取っていく。それは、もう少し視点を引くとメンバーたちのこの瞬間のアウラを切り取ったものかも知れません。
 それぞれの部活もなかなか似合っていて、赤堀君江さん、竹内ななみさん、篠原京香さんがいる美術部とか最高過ぎですよね。
 
 急に僕の話をさせていただくと、SKE48に対する熱量が結構冷めてきているところがありましてね。その理由は結構複雑で、詳しくは「対談集 かける人」を読んでいただきたいんですが、一つ理由を挙げるとすれば、卒業したある10期生の推しの世界観をずっと引きずってしまっているんですね。で、SKE48の新しいメンバーを見せられたり、新しい曲を提示させられたりしても、「いやあ、今はちょっといいですう」という感じだったんですね。小泉八雲の講義をまだ引きずっていた帝大生のように。ただ、この「New Ager」はひょっとすると、川上一座のように僕のようなこじらせSKE48ファンの価値観を変えるきっかけになるかも知れません。もしくは、この曲で価値観を変えられなくても、「思えばあの時、あの曲と出会っていたのがきっかけだったかも」という曲になるかもしれません。
 
 総選挙選抜にまで食い込んだトッププレイヤーたちが全員、居なくなりました。新時代の始まりはいつも意識していないところから始まっているかもしれません。