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2022年3月27日日曜日

故郷と決断

いつかその日のために

 

 大人になってから聴くと初めてその曲の世界観が明確になっていく曲があります。
 たとえば、中島みゆきさんの「ファイト」。
 1983年にリリースされた「予兆」というアルバムの1曲です。
 ちなみに、僕は1983年生まれなので、当然リリース当時は知りません。
 1994年にCMソングに採用され、同年5月14日に発売された「空と君とのあいだに」で両A面シングルとして発売されました。
 当時小学生中学年だった僕は、「ファイト!」というサビの力強さと魚よ頑張れ、ぐらいの感想しか持てませんでした。
 しかし、大人になってから聴くと、「わかる、めちゃくちゃ分かるぞ!」という箇所が沢山あります。サビの「闘わないやつら」なんて曲が書かれた時代よりも目につきやすくなった気がしますし、海になった「あいつ」のところとかは、涙が止まりません。
 その中であの田舎を出ていくところですよ。
 「薄情もん」呼ばわりとかあと足で砂をかけるなんて、酷い言い方ですが、人生の決断の中でどうしても何かを切り捨てていかなければいけない時もあります。
 その選択で、切り捨てられた側からしたらたまったもんではないですが、切った側も決して軽い気持ちではないのは、自分も社会人になってから様々な取引の中で学びました。
 僕が切り捨てたものの中で自分のふるさとがあります。
 周りの人は高齢者が多くて、文学に興味なんか無くて、映画も芸術もここじゃあ学べない。早く抜け出したい。
 そんな気持ちでふるさとを離れました。
 18歳の時にふるさとから離れて38歳で戻るまで、長い間切り捨てていました。
 今、ふるさとに戻ってそこで職を見つけて、今、ふるさとを盛り上げるための仕事についているんですが、自分があと足で砂をかけたふるさとと今、うまく付き合えているのだろうか、と考えることがあります。
 花房尚作さんが光文社新書から出した「田舎はいやらしい 地域活性化は本当に必要か?」を読んでいると、地方の現状を九州の鹿児島を中心に追った本で、かなりダウナーな内容なので、もし読まれる方はそれなりの覚悟が必要な1冊なんですが、自分のふるさとを考える上で非常に参考になりました。
 実は、人口が多い街はチームプレースポーツが強くなり、人口が少ない町は個人プレースポーツが強くなるなど、面白いデータがありましたし、地方から都会へ流出する理由として大きく3つに分けられるところも興味深かったです。
 ① 学問を求めて。② 専門職を求めて。③ 選択肢を求めて。
 この3つを1つずつクリアーしていくことが重要だそうです。
 しかし、地方に上記の3つが揃っているとは限りません。
 なりたい自分になるためには、遠くへチャレンジするしかない。
 

 前置きが長くなりましたが、中島みゆきさんの「ファイト」を聴いていて思い出すメンバーがいます。

 SKE48の9期生。
 池田楓さんです。

 まずは、彼女の自己紹介のアメブロを読んでみましょう。
 \はじめまして/ #池田楓 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 長崎県の佐世保市出身なんですね。
 しかも早くも地元のハウステンボスのサイトにも載っているなんて凄いですね!

 Motto!ハウステンボス!Motto佐世保 (huistenbosch.co.jp)

 なんで僕がこんなに凄さを感じているかというと、まさに今、僕が住んでいる愛媛県宇和島市出身のSTU48の兵頭葵さんと地方の観光や商工をつなげられないか、とじわじわ動いているので、羨ましいことこの上ないわけです。
 話をかえにゃんに戻しましょう。
 

 長崎の佐世保から愛知県の名古屋にやってきたかえにゃん。
 彼女はどんな思いでSKE48にやってきたのでしょう?
 2019年7月12日の彼女の生誕祭の手紙を読んでみましょう。

 「楓、お誕生日おめでとう。

 19歳の楓がアイドルになって、こんなにたくさんの人にお祝いしてもらうなんて想像もしてませんでした。

 思えば幼稚園の頃から楓の夢はアイドルになることでしたね。おもちゃのマイクで歌をうたったり、公園のステージでダンスを披露してくれたり本当にキラキラしていました。

 だけど、小学5年生の時に引っ越し、転校をして、なかなか新しい学校に馴染めず、つらい思いをさせてしまいました。

 中学高校とあなたは本当に真面目に学校生活を送っていて、いつしかアイドルになるということを口にすることもなくなり、『地元で就職して早く親孝行をして家計を助けるからね。お給料をもらったら17匹の猫のためにキャットタワーを買ってあげたい』なんて言ってくれるようになりましたね。

 高校では簿記電卓部で全国大会に出場したりとか日商簿記2級などたくさんの資格を取ってコツコツと努力を積み重ねてきました。

 その結果が実って高校からの推薦で、地元で一番いい就職先に内定をもらって家族みんなでお祝いしましたね。この先も楓とは一緒にいるんだなと思っていました。

 そんな楓が高3の秋に突然『アイドルになるという夢を叶えられるのは最後かもしれない』と、驚くほどの行動力でオーディションへ向かった時は、アイドルへの夢や憧れはずっと心に秘めたまま消えてなかったんだなって嬉しかったよ。

 本当はそれまでも何度もオーディションに応募していたこともママは知りませんでした。楓の気持ち、何も理解してなかったなと反省してます。

 自分で夜行バスを予約して11時間かけて名古屋に行きましたね。

 初めての名古屋、たった一人で道に迷ってオーディション会場まで2時間歩いたと聞いた時はママに似て方向音痴を受け継いでるなって申し訳ない気持ちになりました。

 そして、まさかのオーディション合格。最終審査まで残った時は『ここまで来たら合格してほしい!』という思いと『合格したらどうしよう』という複雑な思いでドキドキしながら結果を待っていたのを思い出します。

 でも、そこから本当に大変でしたね。

 就職内定を辞退するということがどれだけ大変なことか楓もパパもママも何もわかっていませんでした。

 学校に呼び出されること5回。行く度に先生の数が増え、その度に考え直すように説得され、ママは初めて内定を断ることの重大さを知りました。

 『学校始まって以来の前代未聞の事件だ』とまで言われました。

 だけど、楓は毎回泣きそうになるのを堪えながら、目に涙をいっぱいに浮かべながら自分の意志を貫き通したね。

 担任の先生、学年主任、進路指導主任、教頭先生、校長先生を前にして一歩も引かずに自分の覚悟を一生懸命に伝えました。

 ママは先生方の迫力に圧倒されて何も言えなくてごめんね。

 最後は先生方も納得してくれましたが、その時に背負った責任と覚悟は一生忘れないでください。あなたはアイドルを選んだことでたくさんの人に迷惑をかけたこともまた事実だから。

 12月になって慌ただしく名古屋に引っ越し、あまりに急展開でもう何が何だかわからない日々でしたが12月31日のお披露目に行くことができて凄くキラキラしている楓を見ることができて本当に嬉しかったよ。

 人が沢山いてママはキョロキョロしすぎで挙動不審だったかも。

 そして、地元を離れて半年が過ぎました。田舎から出てきて初めての一人暮らし。希望よりも不安の方が大きくって、最初のうちは毎晩泣きながら電話をしていましたね。あっ、それは今もかな。

 ダンス経験もなく運動をやっていなかったあなたの武器はとにかく真面目なこと。振りの映像を見ても覚えられないからとノートに立ち位置の動きや手の振り、指の動きまでびっしりと書き込んで夜中まで練習したり、本当に頑張っていると思います。

 時間はかかっても真面目に積み重ねた努力はきっといつか花を咲かせてくれるから、今はどんなに苦しくても結果が出なくても決して腐らずに諦めずにコツコツと努力を重ねてください。絶対楓なら大丈夫。両手百握りの手相を持ってるしね。

 田舎もんでもダンスが苦手でも努力すればアイドルとして輝けることをこれから楓が証明していってくれることを心から願っています。

 楓はママの誇りです。悔いのない楓の人生をこれからも精一杯歩んでね。

 最後に。こんな素敵な生誕祭を開いてくださったファンの皆様、スタッフの皆様、先輩の皆様、そして同期の皆様、今日は本当にありがとうございます。たいした取り柄もない田舎の娘ですが、アイドルへの思い、SKEへの思いはどこまでも純真でまっすぐに持っています。どうかこれからも娘を支えてあげてください。よろしくお願いします。

 ままにゃんより」


 もうね、読みながら彼女がどんな覚悟と責任を持ってSKE48に来てくれたのが分かります。高校時代から彼女が凄く真面目で努力家だったことが伝わってきます。そして、内定を断るくだりは、教育業界に10年身を置いていた人間としては、かえにゃん側の気持ちも先生側の気持ちも分かって、読んでしばらくは自分の記憶が色々と蘇りました。良い文章の条件の一つに内省が生まれることだと思うんですが、このお手紙を読んで皆さんも人生の中の痛みと共に選んだ選択を思い出したんじゃないでしょうか?

 涙をこらえながらも選んだ道は、一度は彼女を地元長崎佐世保から離れさせますが、時を経て素晴らしい形で錦を飾らせてくれることになりますが、まだ先の話です。
 

 高校の頃の彼女の勉強家ぶりが分かるアメブロを読んでみましょう。

池田楓(=^x^=)キャッチフレーズの由来☺︎ | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 この人は、アイドルを辞めてからも仕事に困らないんじゃないか、という手に職がついてるアイドルですね。いつか、かえにゃんと某資格取得出版社(英語3字のあそことか)のコラボで、彼女の体験談を踏まえた参考書とか出版しませんか?

 さて、彼女はSKE48となり、研究生、正規メンバーと昇格していきます。
 その中で、同期との別れや自分のやりたいことが明確になったりと様々なことがありました。
 ちょっと連続して二つのアメブロを読んでみましょう。

 池田楓☺︎きゃさん卒業公演 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 きゃさんこと、石川花音さんの卒業についてのアメブロは、本当に青春を感じるもので、「To be continued」が本当に似合うなあ、旅立ちと見送りだなあと今更ながら感じます。

 そして、もう一つは生誕祭のことです。

池田楓☺︎生誕祭のこと | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 「先が見えなくて」、「自分は何をしてくてここにいるのか分からなくなって」という箇所は本当にコロナ禍が直接的な金銭やイベントの中止だけではなく、間接的にエンタメに携わる人たちを、苦しめているなと感じますね。
 そんな期間中も彼女をSNSなどで支えてくださったファンの方々との関係が素晴らしいですね。
 そして、「長崎佐世保市の観光大使」という目標。
 

 彼女はその目標にたどり着くために、努力していきます。
 その結果が2021年12月に出ます。

池田楓☺︎観光マイスター | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 ただ観光大使になりたいというだけではなく、自分も地元の観光について勉強するという姿勢は本当に素晴らしいです。
 2022年、かえにゃんが観光大使になる姿が見たいですね。
 そうすることで、高校生の時の彼女と同じように、地方からアイドルになりたいと夢を見ている人たちのロールモデルになれるのではと僕は考えます。一度はふるさとを離れてもきっと自分のなりたい仕事でふるさとの為になれると。
 きっとかえにゃんは、今日も静かに闘っていると思います。
 目標に向かって。
 それを嗤う人もいるかも知れません。
 それでも僕は、諦めずに一つ一つ実績を出していく彼女のこれからを楽しみにしています。
 

2022年3月20日日曜日

変異と適応と鎌田さんについて

 進化に必要なもの


 慶應義塾大学特別招聘准教授の太刀川英輔さんの「進化思考」が面白いです。
 生物や製品が進化していく過程を9種類の「変異」と4種類の「適応」で考えていく大著です。
 たとえば、量の変化を想像することで様々な進化や発明が生まれます。
 地球を小さく描きたいと思ったから地球儀が出来たでしょうし、iphoneをもっと大きくしたいと思ったからipadが出来たというような「変量」など、様々な事例が挙げられています。
 中でも生態系の競争での生き残り方が描かれた「適応」の賞が凄く面白くてですね。
 たとえば、「ニッチ」について書いた章。
 生態系ポジションの隙間を狙って自分の地位を作っていくことを生態学で「ニッチ」と呼ぶそうです。
 他の種がすでに生態的地位を確立してしまっているところでは競争に負けてしまうので、なるべく競争がすくないところを生物は狙って生き延びます。
 コアラのことを考えてみましょう。
 コアラが食べているユーカリの葉には猛毒があるそうです。
 他の生き物からみたら、「マ、マジか、あんなの誰も食べないよ。お腹こわしちゃうよ」と心配になると思います。
 実際にコアラにはユーカリを無毒化する免疫はありません。
 ですので、食べながら痺れているそうです。
 だから、コアラはゆっくり動きますし、22時間も寝ているそうです。
 めちゃくちゃ無理をして「適応」をしているわけですね。
 周りの動物、コアラにも食べさせてあげて、と思わず思ってしまいます。 
 僕は、ふとアイドルについても同じようなことが起こっているのでは、と思いました。


 まず、アイドルになるということは、普通の女の子が様々なタイプに「変異」していくことだと僕は思います。
 そして、厳しいアイドル界の中で自分なりの「適応」をしていくことだとも。
 

 鎌田菜月さんのサイリウムカラーを皆さん覚えてらっしゃいますでしょうか?
 紫1本と白2本ですね。
 普通の女の子だと自分の好きな色はあっても、自分を応援するサイリウムの色を持つというのは、アイドルならではだと思います。
 鎌田さんのサイリウムカラーについては、こんなエピソードがあります。
 ちょっと、2019年12月10日のブログを読んでみましょう。

 (鎌ºωº田)<紫は好きな色じゃない。 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 ううむ、お母さまが好きな色だったんですね。
 「ライバルだと思って通したドレスが、相棒になりました」という表現が素敵ですね。
 そういえば、鎌田さんって、私服はモノトーンのイメージが強い感じでしたが、そういうことだったんですね。
 ちなみに、この紫は彼女にとって安心できる「お守り」のような色になっていきます。
 2020年11月16日のアメブロを読んでみましょう。

 (鎌ºωº田)<私にとってのお守り。 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)
 

 知らない人たちと出会うロケ番組などで、ちょっと緊張するときに「ほっこり」を感じられるスタッフの方の優しさと色に関するエピソードが素敵ですね。
※本題と少しずれますが、ロケに関する素敵なエピソードがあったので、こちらのアメブロも是非!

(鎌ºωº田)<地元と一緒に。 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 さて、鎌田さんがいる48グループは、W・チャン・キムが提唱したマーケティングの「ブルーオーシャン戦略」でいえば、非常に「レッドオーシャン」な状況だと思っています。
 2022年現在は勿論ですが、時計の針を5年戻したとしても、色々な席は埋まっていたと思います。それでも、生き残るためにはチャレンジが必要です。
 そこで、鎌田さんはこれまでの連載でも書きましたが、様々なチャレンジをしていきました。
 そんな鎌田さんのスタンスが分かるアメブロを読んでみましょう。

 (鎌ºωº田)< #美浜海遊祭2018 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)


 「たとえ自分の中の努力が結果と比例しないとしても、それが1つの結果であり評価です

 『何で頑張ってるのに?』ではなく受け止めて、1つ1つ頑張っていくしかないんです」

 そんな彼女のことを見つめていた先輩がいます。
 須田亜香里です。
 だーすーといえば、この長いアイドル生活の中で様々な「変異」を行い、アイドル界どころか、芸能界に「適応」していったメンバーです。
 彼女の目には、鎌田さんはどんな風に見えていたんでしょうか?
 

 #須田亜香里 #カレーはいかが? #鎌田菜月生誕祭 #お手紙 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 「頑張ったこと」に関するスタンスが非常に似ていますよね。
 さらにもう一つ。

 #須田亜香里 #鎌田菜月生誕祭 #Mステ | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 このアメブロからも鎌田さんが、アイドルの枠に収まらずに「変異」を続けていたことが分かります。


 ちなみに、鎌田さん関連で「行動すること」について書いたアメブロも読んでおきましょう。

 #須田亜香里 #名古屋ウィメンズマラソン #行動を起こすということ | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)


 ちなみに、だーすーに対する鎌田さんの視点を見てみましょう。

(鎌ºωº田)<須田亜香里のソーユートコあるよね? | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 ううむ、お互いの良いところを発見し合ってますね。
 

 「ニッチ」の獲得競争には環境負荷を低減させる効果もあるそうです。
 「ニッチ」を獲得することでそこに余剰が生まれ、お互いに価値化をしあえば生態系には効率化や安定化が生まれやすいそうです。
 SKE48もそうです。
 勇気を出して新しい分野に飛び込んでいくこと、自分の色を増やしていくこと、そうすることで周りのメンバーにも良い影響が生まれていくわけです。
 それが伝わるだーすーのアメブロを読んでみましょう。

#須田亜香里 #読み方が分からない味 | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)


「頑張れ。
 そして
 鎌田のように頑張らせてくれ」


 後輩に対してそんなことを素直に言えるだーすーの凄さと、鎌田さんとファンの方々が起こした「活力をもらえる生誕祭」。
 本当に良い関係だと思います。
 もう鎌田さんたち6期生はベテランのグループに入ると思います。
 多分、これからは若手に混ざってイベントで戦うことになるとも思います。
 でも、鎌田さんには遠慮せずに欲張って欲しいな、と思います。

(鎌ºωº田)<立候補します! #春の鎌田まつり #P4U | SKE48オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

 今までは選ばなかった選択をしていく。それは怖いことですが、勇気をもってファンの方々と進んでいく。
 「変異」と「適応」を繰り返しながら、人見知りの彼女は新しい物や人と出会っていきます。それは時として疲れることや緊張することかも知れませんが、「月」という名前で覚えてくださった方のように、きっと彼女にとって大事な縁になっていくのではないか、と思います。

 2022年、鎌田さんはどんな「変異」を遂げて、どこに「適応」していくのか。
 今から楽しみです。

「Style of ニッポン~古畑奈和の綺麗・絶景・長崎夜景」の感想

 夜景と文化


 いやあ、久々にBS日テレさんと古畑奈和ちゃんの番組ですよ。
 これまでは奈和ちゃんが大好きなお酒や酒場に関連する番組でしたが、今回は夜景!

 しかも、お昼の14時からということで、どんな感じの番組になるのか楽しみにしていました。
 で、感想を先に書くと、「美しくてタメになる!!」です。
※予告動画はこちら!


 まず、最初の10分間は、夜景評論家で夜景プロデューサー、その他夜景関係の肩書をお持ちの丸々もとおさんのお話から。
 驚くぐらい雑に説明すると、夜景の世界は奥が深くて国際的にも注目され始めているんですね。日本は夜景先進国で、経済効果も期待できると。たとえば、音楽や食といったコンテンツは移動が可能ですが、夜景は土地そのものが作るコンテンツなので、直接来てもらわなければいけない。そして、夜に観るのでその土地に宿泊してもらうことも期待できる。
 更に、海外の夜景はイベント的なものが多いということも語ってらっしゃいましたね。それに対して、日本の夜景は生活の光が多いんですかね。
 
 いやあ、非常に勉強になるんですが、番組が始まって10分が過ぎたあたりから「あれ?これはもしや、『Style of ニッポン 丸々もとおの綺麗・絶景・長崎夜景」を付けたんじゃ、という不安が沸き上がってきましてね。
 続く、夜景写真家の岩崎拓哉さんの話も面白くて、夜景との付き合い方といいますか、眺めるとアイディアが沸いてきたり、周辺も散歩するのも良いよね、という話も素敵でしてね。夜景を上から見る「パノラマ」、人工的に演出する「ライトアップ」、非日常的な空間が魅力の「工場夜景」とジャンル分けで夜景を楽しむというのも本当に良いなあ、と思ったんですよ、ええ。
 でもね。
 すでに、この時点で20分に迫ろうとしています。
 あれ、番組が始まってもう3分の1が終わろうとしてるぞ。
 そんな不安をよそについに我らが古畑奈和ちゃんが登場です。

 まず、ランタンが吊るされた中華街のあたりを歩く奈和ちゃんの姿が良いですね。
 僕が6月の終わりか7月の頭に出す雑誌でも(クラファンと自費です)、たまたま長崎にいらっしゃる方に執筆してもらう予定なんですが、その時に使う予定なのが、このランタンやランタンフェスティバル関係の写真と街なので、今回の番組は凄く期待していたんですが、映像で見るとまた良いですね。

 まずは、長崎市の文化観光部観光政策課の遠藤さんからお話を聞きます。
 この時の黒髪に黒のロングワンピの奈和ちゃんが素敵でしてね。
 収録しているホテルの感じもあるんでしょうが、上品な美しさがありましてね。 
 これまでの「えにし酒」や「乙女酒」とは違った魅力を感じます。
 ちなみに僕はこっちの路線の奈和ちゃんが演技をするところとかも見たいです。
 さて、遠藤さんのお話によると長崎の夜景ガイドがあるみたいですね。

 そんで、このHPにも丸々もとおさんがいるではないですか!
 話を番組に戻すと、奈和ちゃんは稲佐山に夜景を観に行きます。
 頭にちょっと粉雪がついていることから、この日は凄い寒かったのでは、と思います。
 で、こちらは夜景を見つめる奈和ちゃんの横顔が素敵でしたね。
 強いていえば奈和ちゃんの感想が聞きたかったかな、という感じです。
 まずは、「パノラマ夜景」を楽しんだわけですな。
 
 今度は、長崎ハウステンボスへ。
 ハウステンボスといえば、パトレイバーですよね。




 ちなみに、僕は映画の「パト2」派です。
 さて、話を番組に戻すと、ハウステンボスの古賀春菜さんのお話を聞くと、ハウステンボスはめちゃくちゃイルミネーションに力を入れてるんですね。
 社員の方々もイルミネーション作りに携わっているというのも大変ですが、ありがたいですね。
 そして、インタービューをしているスペースがまた素敵なんですよね。
 この日の奈和ちゃんは耳を隠している髪型で、ふわふわモコモコファッションですね。
 奈和ちゃんは、「光の滝」や「ウォーターマジック」などを観に行くんですが、小さい拍手をしているところが良いですね。
 で、本編ではアンブレラストリートで、奈和ちゃんの出演場面は終わります。
 「イルミネーション」編の終わりです。
 
 ここからは、ナイトタイムエコノミーとして、東京の夜景が紹介されます。
 品川のお高そうなホテルが紹介されます。
 さらに東京の首都高速道路の夜景情報なんかも入ります。
 都心にお住まいの方は是非チェックを!

 最後は丸々もとおさんのインタビューです。
 ここも「夜景」の定義が面白くて「夜の気配を視覚的に感じられるもの」というところが凄く良くてですね。
 今は、コロナ禍で人が集まりにくい状況ですが、劇場やコンサート会場に僕らファンで色とりどりの「夜景」をサイリウムで生み出す日が帰ってくるといいな、と番組を見ながら思いました。

 最後のスタッフロールで、youtube版の動画の紹介があるんですが、奈和ちゃんのいつもの感じが楽しめる素敵な動画になっていますので、未見の方は是非!

※#1 佐世保バーガー編( スタッフの方とのからみも面白いですよ )


※2 レモンステーキ編( 良い匂い過ぎて跳ねる奈和ちゃんが最高です )


 もう、昼景をレギュラー番組化してくれ!
 流石に丸々さんも昼景は把握してないだろう!
 そんなことが脳裏を駆け巡りましたが、番組を作るための予算を獲得するには、色々とあるのかなあ、と素人ながらに思いました。
 どうか、BS日テレさんと奈和ちゃんの良いえにしがこれからも続きますように!

 
 
 

2022年3月6日日曜日

エンドロールの後も続く物語

今もきっと



 昨年(2021年)の12月に刊行されたダン・ヒースの「上流思考『問題が起こる前』に解決する新しい問題解決の思考法」が面白いです。
 冒頭で出てくる医療社会学者アーヴィング・ゾラが語ったとされるエピソードを驚くぐらい雑に紹介させてください。
 「あなた」が友人と川岸で楽しくピクニックをしているとしましょう。
 すると、川で叫び声が!
 なんと子供が川で溺れているではないですか!
 「あなた」は友人と一緒に川に飛び込んで子供を助けます。
 良かった。良かった。
 これが映画「子連れ狼 死に風向かう乳母車」だったら、「あなた」の武器である銃を奪った拝一刀が川辺に立っているところですが、溺れていた子供も大五郎ではないので、大丈夫です。
 ところが、すぐに違う子供の叫び声が川から聞こえてくるではないですか。
 間一髪、なんとか救うことができました。
 しかし、次から次からへと子供が流れてくるじゃあないですか。
 ふと友人の方を見ると、川から上がって上流を目指しています。
 「上流に子供を流しているやつがいる!そいつをぶっとばす!」

 これは根本的な問題が普段から見逃されているのではないか、という大きな問題提起です。そこから、問題解決について語られていくんですが、この上流思考というのは問題解決だけではなくて、他のことにも応用できるのではないか、と思いましてね。
 
 SKE48における公演職人たちの歴史。
 まずは、あいあいこと、杉山愛佳さんとなるぴーこと片岡成美さんについて書きました。
 その上流にいる、なるちゃんこと、市野成美さんについても先日書きました。
 じゃあ、その上流には誰がいるのか?

 SKE48の4期生、えみりんこと小林絵未梨さんだと僕は思います。
 彼女のことをなるちゃんは「師匠」と呼びました。
 何故、彼女はなるちゃんが「師匠」と呼びたくなる存在だったのか。
 今回は、えみりんについて考えてみたいと思います。

 彼女は2010年9月30日にSKE48の4期研究生として、SKE48に加入します。
 同年12月6日に4期生たちが中心となったチームEが結成されますが、そこに彼女の名前はありませんでした。
 それでも彼女はめげることなく、公演に出続けます。

 2011年の生誕祭の手紙では、「制服の芽」公演の松下唯さんのポジションと、「パジャマドライブ」公演では、阿弥ちゃんポジションを短期間で覚えたエピソードが彼女のお母さまから語られたそうです。 
 その時の彼女は決してダンスが得意でも覚えが早いわけでもなく、泣きながら家でDVDを見ながら覚えたそうです。
 これに加えて「見逃した君たちへ2」で「手をつなぎながら」のアンダーも担当しています。
 2012年になると、「ラムネの飲み方」公演では古川プロと佐藤聖羅さんポジションもマスターします。
 少しこの後書くことと時期が前後しますが、2012年6月17日に彼女がグーグルプラスで書いたことを少しだけ抜粋します。
「小林絵未梨 6/17 22:47
 えみりの初アンダーって
 Eだっけ?Sだっけ?
 忘れた(笑)

 小林絵未梨 6/17 22:47
 3つの公演を一気に覚えたのしか覚えてないわ、、、

 小林絵未梨 6/17 23:02
 水のないプール
 手紙のこと
 覚えるの大変だったなー
 
 小林絵未梨 6/17 23:49
 でもガイシでコンサート
 ほんと良かった!
 生誕Tシャツ見つけたときの嬉しさ半端なかったよー」
 
 最初読んだ時、ちょっと凄すぎて理解が追い付かなかったんです。
 3つの公演を、同時に?
 めちゃくちゃ過ぎます。
 いったい、昔のSKEどうなってんだ、と。
 当時のチームSは選抜メンバーの多さから慢性的な公演メンバー不足だったそうです。
 しかも、当時のチームSは桑原みずきや中西優香という公演の鉄人たちもいました。
 3期生たちのラジオのトークを聞く限り、出るまでのテストもあり、そう簡単に出られるものでもなかったはずです。
 それでも出演できていた背景には、彼女の努力があったからこそではないかと思います。
 

 2011年11月26日に5期生たちがお披露目されます。
 その中には彼女の後に「弟子」となる市野成美の姿もありました。

 2012年、彼女の活動の中で転機となる出来事が起こります。
 2012年2月27日に書かれた彼女のブログの一部を抜粋しましょう。

「前回はブログをあげられなくて
 ごめんなさい。

 ご存じの方もいると思いますが
 パパが脳幹出血で11日に倒れて15日の朝
 お星さまになりました。

 人の命は
 ずっと続くものではありません。
 だけど
 パパの命が尽きるのは
 早すぎました。

 まだまだ
 親孝行してないし
 パパとはしたいことは
 たくさんあったけど
 今はSKEの活動をして
 元気なところを見せるのが
 一番の親孝行だと思います。
 
 いつまでも悲しい姿を
 見せてられないと思って
 17日の握手会にも参加させていただきました。

 握手会では
 『一緒に頑張ろうね』
 『いつでも頼ってね』
 って言ってくださったり
 励ましのコメントも
 たくさんもらって
 ファンの方の優しさ、大切さを感じました。

 本当にありがとうございました!!

 パパはずっとえみりの心の中で
 生き続けています。
 この前は夢に出て
 一緒に笑ってくれました(^ω^)
 また夢に出てくれるといいな♪

 …なんだか
 文章がごちゃごちゃになったけど
 みなさんに
 えみりの気持ちは前を向いているということを
 伝えたかったのです。

 これから
 みなさんに頼ることがあるかもしれませんが
 そのときはよろしくお願いします!」

 そして、翌日のグーグルプラスでは短いですが、こんな投稿をしています。

「おはようございます(敬礼する顔文字)

 今日はパパの誕生日!
 柿の種を買って
 お供えしようと思います♡

 今日も一日ふぁいてぃん(腕を上げる顔文字)」

 突然のお父様の死。
 そして、握手会の時のファンの方々の優しい言葉。
 短いけれど、お父さんへの気持ちが感じられるえみりんのぐぐたす。
 一つ一つが心を動かされる言葉ばかりです。
 夢に出てきたエピソードなんて、涙なしには読めません。
 彼女は、前を向いてSKE48の活動を続けていきます。

 2012年8月24日、研究生の昇格発表がありました。
 しかし、そこに彼女の名前はありませんでした。
 この頃のファンの方々の声を探していくと、チームSのアンダーが多かったことから、彼女がチームSに昇格するのでは、と語られていたそうですが、残念ながら、昇格はかないませんでした。
 それでも、かおたんやわんちゃんと一緒に研究生公演を盛り上げていきました。
 これは、思えばかおたんがトリックスター的に研究生として活躍していたのに対して、えみりんは、様々なチームのアンダーに出ながら「公演」というSKE48の基盤を支えていました。対照的な二つの才能がこの頃の研究生にはいたんですね。

 2013年1月15日。
 この日、彼女は卒業発表をします。
 この時、彼女のアンダー出演回数は当時の最多記録の113回に達していました。

「私、小林絵未梨はSKE48を卒業します。去年の2月に父親の死と向き合ってから、自分の将来についていろいろと考えて卒業を決めました。今までSKE48のメンバーとして活動してきて楽しいこと、嬉しいことが沢山あった分、苦しくてつらいこともたくさんありました。それも全部含めてSKE48の一員としていられたことは、私にとって一生の誇りです。SKE48で学んだことをこれからの人生に活かしていこうと思います。
 皆さんと過ごせる卒業するまでの間最後まで応援よろしくお願いします」

 この日の22時36分にアップされた花音のアメブロを読んでみましょう。


 「4期生の中で一番尊敬しているメンバー」、「弱音もはかない」というところから、彼女が選抜常連でSKE48の最前線を走っていた同期からも、リスペクトされていたのがわかりますね。
 
 さらに、この日の23時53分にアップされたゆかぴこと、山下ゆかりさんのブログの一部を読んでみましょう。

 「実はえみりの卒業を知ったとき『なんで?じゃあ、これからゆかりはどうすればいいの?』って泣いて…えみりを困らせました。
 そしたらえみりは『ゆかりは大丈夫。ステージでのゆかりは輝いてるよ。えみりの分まで頑張って』って。
 その日はたくさん泣いたけど、えみりと今年約束したことがあるので…もう泣きません。」

 彼女と「人生共同体」だったゆかぴならではの文章ですね。
 卒業が決まったことから、同期のメンバーたちの生誕祭を頼まれることが増えていきます。


 2013年3月13日に行われた山下ゆかり生誕祭で読まれた彼女の手紙を読んでみましょう。
「ゆかりへ

 17歳の誕生日おめでとう。
 
 ゆかりを初めて見たのはオーディションの最終審査。
 第1印象はすごく元気が良くてうるさい子。正直苦手なタイプ。まさか人生共同体と名付けられるくらい仲良しになるとは思ってもいませんでした。

 ゆかりはしっかりしてて、強そうに見えるけど、本当は甘えん坊で、泣き虫。めんどくさい子ね。でも、ゆかりの泣き顔、かわいくて好きだよ。

 リクエストアワーのリハーサルの後、『虫のバラード』のことが心配で泣いてた時も、すごいかわいかったもん。パフォーマンスへの意識が高いゆかりはステージでいつも輝いてるよ。だからこれからも心配して泣いたりしないでね、めんどくさいから。

 17歳のゆかりにたくさんの笑顔がありますように。

 絵未梨より

 P.S.

 絵未梨と同じ舞台に立ちたい!って言って、研究生公演に出てくれてありがとう。次はガイシかな?2人で『眼差しサヨナラ』をできたらいいね。

 そしてファンのみなさん、これからもめんどくさい山下ゆかりをよろしくお願いします。

 以上、SKE48研究生の小林絵未梨でした。」

 ゆかぴの一見するとネガティブにみられる「めんどくさい」ところを肯定し、将来の幸せを願う素敵な手紙です。

 さらに、2013年3月18日に行われた犬塚あさな生誕祭でも、えみりんの手紙が読まれました。
「わんちゃんへ

 1日早いけどお誕生日おめでとう。

 1ヶ月後には私が19歳になって、ほとんど年の差のない私たちは同じ4期研究生で、親友のような存在だね。

 ふざける時はとことんふざけあって、たくさん笑って、悩んでる時は相談し合って、一緒に泣いたりもしたね。

 『PARTYが始まるよ』公演を4期5期だけですることになった時、真木子さんたちが昇格した時、いつも私が立ち止まってしまう時、隣にいてくれたのはわんちゃんです。今までありがとう。

 私は卒業してしまうけれど、辛い時はいつでも相談に乗るから頼ってね。

 いつも笑顔で誰にも優しく接することができるわんちゃんは後輩に頼られてるから、もっと自分の意見を言っていいと思うよ。この前のレッスンの時も注意したり、意見を言ったりするのが怖いって言ってたけど、全然怖くないよ。だから、どんどん意見を言って、後輩を引っ張っていってね。

 私に安心して卒業して欲しいって言ったの覚えてる?私はわんちゃんがいるから、頼もしいわんちゃんがいるから、安心して卒業できるよ。だから、研究生をよろしくね。

 私の願いは、私の分までわんちゃんが昇格することです。
 
 昇格した時は一緒にご飯食べに行こうね。

 今年は新しい発見と成長を感じれる1年にしてください。

 絵未梨より」

 3期なしで公演をしていく時の不安、自分が立ち止まった時、そんな時にも隣にいてくれたわんちゃんへの手紙。
 だからこそ、卒業した後も支えたいという気持ちが伝わってきます。
 

 そして、2013年4月14日。
 「市野成美・小林絵未梨合同生誕祭」が行われました。
 まさかの指定合同生誕祭ですが、なんとも粋な計らいですね。
 まずは、この時に読まれたえみりんからなるちゃんへ書かれた手紙を読んでみましょう。

「なるちゃんへ

 14歳のお誕生日おめでとう。
 

 なるちゃんとは同じ誕生日で、運命的な出会いをしたね。一緒に写メ撮ったの覚えてる?

 なるちゃんが公演に出始めた頃は、振りや立ち位置があやふやなところがあって、この子大丈夫かな?って心配した時もあったけど、今じゃ沢山アンダーに出て活躍しているなるちゃんを見て、安心しています。これは、なるちゃんが毎日毎日練習を重ねてきた成果だね。

 そして、その成果のお陰でチームEへの昇格おめでとう。師匠はとっても嬉しいです。これからはチームEとして、先輩として、頑張ってね。なるちゃんの活躍を楽しみにしています。

 いつもしつこいぐらいにひっついてくるなるちゃん。私はいつも鬱陶しがってるけど、ほんとはかわいいなーって思ってるよ。

 これからもかわいい弟子でいてください。今度また一緒に遊園地に行こうね。なるちゃんにとって、素敵な1年でありますように。

 師匠の絵未梨より 」

 自分と同じように努力してきたなるちゃんの姿。
 自分と同じように沢山アンダーに出演するなるちゃんの姿。
 そんなかつての自分と似た存在が昇格してくれること。
 これは、卒業していく師匠として、嬉しいことではないかと思います。僕の勝手な推測ですが、自分の分まで報われてほしいなという思いも感じました。
 

 次になるちゃんがえみりんに送った手紙を読んでみましょう。

「絵未梨さんへ


 お誕生日おめでとうございます。

 

 私はSKEに入った頃、研究生の先輩では斉藤真木子さんやエンジェルさんとはすぐ話せるようになったけど、見た目が怖かった絵未梨さんには近づけませんでした。

 でも、先輩たちが卒業や昇格でだんだん少なくなって、残った研究生でレッスンや公演ををするようになってがんばっている絵未梨さんを見て、どんどん尊敬するようになりました。

 今では尊敬し過ぎて『この曲ではここが絵未梨さんの声が一番聴こえるパートだ』とか『このパートの絵未梨さんの顔は見逃したらいけない』とか私の耳や目が絵未梨さんのために勝手に進化していきました。キモイですか?

 公演で披露する曲が変わって、ポジションの発表がある度に、私は絵未梨さんのポジションを見て、『どうして?絵未梨さんはもっと前でしょ?絵未梨さんにはもっと前で踊ってほしい』って自分のことのように悔しかったです。それは一生懸命がんばる絵未梨さんを見てきたからです。それでも何も言わずに与えられたところでがんばる絵未梨さんが大好きでした。

 3月の初めに4月生まれの生誕Tシャツをデザインすることになった時、『なるちゃん、私、最後の生誕Tだからお揃いにしようよ』って誘ってくれたこと、本当に嬉しかったです。嬉しすぎて上手く描けるまで、何回も何回も描き直しました。


 私に急なアンダーで声がかかって不安そうにしていると『がんばって。なるちゃんならできるよ』って励ましてくれたり、終わるといつも『大丈夫だった?』ってメールで心配してくれました。絵未梨さんに「がんばって」って言われると何でもできる気がしました。

 握手会の後、私が誰とも時間が合わなくて、一人でいた時、『なるちゃん、一緒に遊びに行こう』って声をかけてくれたり、『弟子にしてあげる』って言ってくれたり、本当にたくさんの『ありがとう』を言いたいです。

 卒業してしまうことは初めは知らなくて、でも色んなことで何となく気づきだして、でも怖くて聞けませんでした。4月に入ってからはこのまま時間が止まってしまえばいいのにって何回も思いました。

 そして、ガイシホールでのコンサートで昇格発表がありました。私は自分の名前が呼ばれた時、一番に絵未梨さんのことを考えました。絵未梨さんがこんなにもがんばってきて昇格できずに卒業していくのに、私なんかが昇格していいの?って苦しかったです。絵未梨さんは『おめでとう』って笑ってくれました。本当は悔しかったはずなのに笑ってくれたんだと思います。

 そんな私の大切な師匠の絵未梨さんがもうすぐいなくなってしまうなんて信じられないです。それでもその日はもうすぐ来ます。SKEじゃなくなってもずっと私の師匠です。私にもいつか弟子ができるぐらい、もっともっと努力していきます。

 私は14歳の1年はがんばるので、絵未梨さんも19歳の1年をがんばってください。

 あっ、書き忘れてました。絵未梨さんが私に一番最初に話しかけてくれた言葉は『誕生日一緒なんだよ。写真撮ろっ』でした。覚えていますか?

 絵未梨さんのその時の髪型はポニーテールでした。合ってますか?

 なるちゃんより」


 もう、読みながら涙が出てきました。
 なるちゃんのまっすぐな思い。
 なんで、これだけ頑張っている人が前じゃないんだ、なんで、自分が昇格して師匠は卒業していくのか。
 本当は悔しいはずなのに、笑ってくれる師匠への思い。
 僕が好きなSKE48のメンバーが書いた手紙の一つです。

 
 2013年4月19日に彼女の卒業公演が行われました。
 この公演の時にゆかぴが読んだ手紙を読んでみましょう。

「約2年半おつかれさまでした。最初に絵未梨を見たときはなんだかやる気のなさそうな子だと思ってました。そんな絵未梨とこんなに仲良くなるなんて不思議ですね。絵未梨が研究生としていろんなチームのアンダーに出て必死にがんばっている姿をずっと見ていました。そして自分のことよりも人のことを最優先に考える絵未梨の優しいところが私は大好きです。離れていても絵未梨とゆかりは"人生共同体"です。大好きー!」

 「自分のことよりも人のことを最優先に考える絵未梨の優しいところ」がまさに、彼女の「利他」的な精神を感じます。これは、なるちゃんにも受け継がれていくのではないかと思います。

 最後にファンの方々に向けてのメッセージでえみりんは、次のように語っています。

「最初は本当に無愛想でやる気のなさが出てしまっていたみたいです。それでもここまで頑張ってこれたのは皆さんのおかげだと思います。本当にSKE48に入ってからたくさんの方に出会って、私は一人じゃないって感じることができました。大切な仲間もたくさんできて私は幸せです。悔いの残るようなこともありません。これからはSKE48で学んだことを生かして頑張っていきたいです。本当にありがとうございました。アンダーで困ったときは私を呼んでください」

 「アンダーで困ったときは私を呼んでください」という言葉に彼女の優しさを感じます。
 ゆりあもこの日のことについて、ブログで書き残しています。


 
 人生に「もしも」はないですが、もし、えみりんの努力が認められていたら、昇格していたら、と考えてしまいます。
 SKE48全体のことを考えれば、どの公演でもアンダーに出られる人材は、昇格させたくなかったのかもしれません。
 それでも、彼女のようなひたむきな努力が報われる選択肢があればな、とふと思いました。
 
 映画にはエンドロールがあります。
 エンドロールが終わったら当然ですが、映画の物語は終わります。
 しかし、良い映画はエンドロールが終わった後も、観客の心の中で続きます。
 見終わった仲間と喫茶店で話したり、暮らしの中でふと思い出したり、さらに良いものは人格形成の核になっていきます。
 小林絵未梨の物語を観たなるちゃんたちの心では、エンドロール後もえみりんの物語は続いていたのではないかと思います。
 そして、その「利他」の精神は、ちゃんと上流から下流へと受け継がれていきました。
 
 彼女が劇場で鳴らしたベルは、彼女がいなくなっても鳴り続けていると信じています。