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2022年9月11日日曜日

私の歩き方①

忘却に消えても残るから

 先日、舞踏家の最上和子さんの「身体というフロンティア」を読みました。

 最上さんといえば、アニメがお好きな方でしたら押井守監督と出した「身体のリアル」でご存じの方もいるかも知れません。

 さて、最上さんは「身体は人間に残された最後の土地」という考えを「身体というフロンティア」 で書いています。たとえば、人間の身体は重力に嫌でも引っ張られています。そのことを自覚した上で舞踏していく(彼女の表現を借りるなら、自分に『取り込んでいく』)。それは、重力だけではありません。様々なものを事細かに観察します。「細微」を入口にして、「身体の内部」という「深く広大な未開の地」に入っていくわけです。そこで取り込んだものをまた、自分の外的身体で舞踏する。

 ううむ、同じ人間の身体を持っているのに、ここまで違う動きが出来るのか、或いは、美しく奇異な動きができるのか、と感じました。
 また、彼女が別のメディアで舞踏を始めるきっかけになったこととして、「踊っている人間の身体が言葉に見えた」という表現があったことも非常に印象的でした。
 僕が、コンサート中のダンスやMVのダンスをどこか文学的にとらえようとするのは、彼女の影響があるからかも知れません。

 

 何故、僕がこのことから書き始めたかというと、昨夜、須田亜香里の卒業曲「私の歩き方」を観たからです。



 まずは、開始35秒までの彼女のダンスを見ていただきたいです。
 この35秒の中に僕は様々な言葉を見つけました。
 「あゆみ」、「発見」、「時間」、「目標」、「喜び」、「我慢」、「つながり」などです。これは、彼女の表情やしなやかな身体だからこそ、出来る表現だと思います。ただ、踊りから確かに言葉が伝わってきます( 少なくとも僕には )。それと同時に言葉というものがいかに世界を細切れに分けてしまうのか、とも思います。それに対して、彼女のダンスには何かいくつもの何かが同時に流れていて、いくつかの層にもなっているようにも感じます。

 ちなみに、この踊りはコテンポラリーというバレエのジャンルだそうです。
 「形式を持たない自由な身体表現」ものだそうで、米津玄師さんの「Lemon」のMVの中にもにも登場しています。


 また、だーすー自身も2018年の総選挙の感謝祭で、コテンポラリーダンスを踊っています。


 このアメブロを読みと、今回のダンスの振り付けにもひょっとすると、彼女の思い出や関連する曲が入っているのかな、と改めてみなおしたくなりますね。振り付けも同じ辻本先生が担当していますしね。
 
 さて、歌詞の世界を見て行くと、まずは、時間の流れの早さを曲の主人公が意識するところから始まります。その時間の中で、自分が出来たことと出来なかったことを思い浮かべます。
 サビでは、自分の歩き方で曲がることなく道を行くことが語られます。
 これは簡単なようで難しいことです。周りの声に流されず、自分の歩き方をキープして道を踏み外さずに進む。
 僕は、彼女のエッセイ集である「てくてく歩いてく」を連想しました。
 P43の「誹謗中傷の裏側」では、アイドルをしていると、誹謗中傷などで暗闇でボールを投げられる感覚になることが書かれていました。しかし、10年間、ファンの方や番組スタッフの方など様々な方が自分を選んでくれたことで、暗闇を歩く感覚はなくなったと語っています。この歌詞のように、真っすぐ歩ける背景には、ファンの方々の後押しもあるのかな、と曲の世界から少し離れてしまいますが、感じました。秋元先生がだーすーの著作まで読んでここ書いてたら一生ついていきます。

 さて、話を曲に戻しましょう。
 2番では風が吹き始め、風に流れていく雲が、曲の主人公に旅立ちを連想させます。
 1番では何をしたかでしたが、2番では誰と出会い別れたかを意識していきます。
 自分の内側から外側への変化を感じます。
 2番のサビでは、沈み行く夕日が登場します。
 この夕日に「あの日々」を重ねるところから、やはり、もうすぐ新しい旅立ちが控えていることを感じさせます。しかも、「忘却の彼方」といういつか忘れられることであるというちょっと厳しい場所へと沈んでいきます。
 ただ、ここが凄くリアルだな、とも同時に思いましてね。
 仮にこの曲の主人公に須田亜香里を代入した時に、彼女が輝いたSKE48時代はいつか、忘れられてしまう、ということになります。秋元康はそれを自覚した上で、旅立った後に新しい忘れられない物語を作れよ、というメッセージを書いているのかも知れません。もし、そうだったら、一生ついていきます。
 そんな甘くない世界でも夢は叶うと信じて、一歩踏み出す主人公の決意。
 
 大サビでは、再び自分の歩き方を意識していきます。
 誰とも比べずに、自分のペースで進んでいくことを決意します。
 沈み行く太陽と一緒に、「青春」へ主人公は別れを告げます。 
 「ありがとう」という感謝の言葉と共に。

 全体を通してみると、これまでの回想と感謝、これからへの決意を感じる歌詞になっていますね。
 曲の方は、卒業曲らしい優しいメロディーなんですが、MVというかダンスなしで聴くのとダンスありで聴くのとでは、味わいがぐっと変わってきます。
 ラストの「ありがとう」のところの天を見上げながらする拍手や「私の歩き方で」のところで現れるバレエの動き、「今になって気づく」の表情。
 一つ一つが、曲の味わいを豊かにしてくれますし、レイヤーを一層深めていると僕は思います。
 
 少し気が早いですが、卒業コンサートではあえて歌わずにコテンポラリーダンスをフルで表現するバージョンで観てみたいなと僕は思います。

 須田亜香里は、常に更新していく人だと思います。
 一体、この人はどれだけ引き出しを増やしていくんだ、とも。
 アイドル生活の最後の曲で、自分の身体表現の素晴らしさを見せてくれた彼女。
 きっと、「私の歩き方」でこれからも新しい自分と出会っていくんだ、と思います。彼女のキャリアが忘れられても、新しい何かを生み出していくと思います。
 だから、今年の須田亜香里も好きですが、来年の須田亜香里も再来年の須田亜香里もきっと期待できるし好きになれるのだと思います。
※民藝と須田亜香里について考えた記事はこちら!