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2020年1月28日火曜日

おすすめの映画と本「仮面ライダー龍騎 エピソードファイナル」

命ある限り闘い、壮絶に散る!


 この2日間、病気になってましてね。
 夜中に寒気で震えながら、頭だけはどんどん熱が出ていって、ひたすら嘔吐を繰り返しながら、「あっ、死ぬんだ」と何回か思ったんですが、ふと、こういう時ぐらいしか「生きている」ことについて考えないなあ、とバンプオブチキンの歌みたいなことを考えていたわけです。
 そして、もう死ぬかもしれないし、最後に何か1本映画でも見てから死ぬか、とヨロヨロしながら再生したのが、何故かこの「仮面ライダー龍騎 エピソードファイナル」だったんですね。





 いやあ、自分でも特撮映画のベスト3に入るぐらい好きなんですが(残りは『ガメラ3』と『W』の『AtoZ』)、観てさらに病状が悪化したことも付け加えておきます。

 この映画は劇場でも観ましたし、アルバイトをしてDVDも買ってひたすら観たもんです。当時、龍騎を観ていた友人に、映画の中で神崎士郎が言う「タイムリミットだ」から、ライダーがガンガン変身してくところまでをひたすらモノマネし続けるという嫌がらせをしたもんです。あと、友人の留守電には必ずゾルダの喋り方で入れるとかね。

 話がなかなか本筋に入りませんが、それだけ思い入れのある映画だったわけです。
 そして、この作品のディレクターズカット版が出た時に、かなり驚きましてね。
 なんじゃ、そりゃ。
 通常版のDVDに未公開映像として入れてくれよ、と思ったもんです。
 通常版でカットして行った霧島美穂という女性がより浮き上がってくる感じなんですよね。


 【ここからはネタバレ全開で行きます。テレビシリーズ含む】

 
 まず、映画の始まりで、残りのライダーの人数と残り時間が、文字で出てくるんですが、これがもうしびれました。
 あとが無い感じが伝わってくるんですよね。
 今、考えると、テレビシリーズで絶望的な強さを誇ったオーディンが、ここまでで死んでいることが衝撃ですね。誰が倒したんだろう。

 この映画の中で好きなシーンが2つありましてね。
 1つ目は教会にライダーが集まり変身、神崎士郎がパイプオルガンを弾くところです。ちなみに、このパイプオルガンは井上敏樹さんの指名だそうですね(オーディオコメンタリーより) 。
 ライダーバトルが始まるワクワク感と、デッキが投げて渡されるカッコ良さ。
 そして、神崎士郎がいったい何故、パイプオルガンを弾くのか、これから死に行く者たちへのレクイエムなのか、ただ、カッコいいからなのか。
 個人的には、ナイト対ゾルダの「ケリをつけるか」、「ああ…」からの変身がカッコいいんですよね。
 ライダーたちが揃って変身はこの場面ぐらいしかないんですよね(リュウガは除く)。

 2つ目は、蓮が真司を友と認めるところですね。
 あの蓮が!という感じで感動したのを覚えています。
 城戸真司という田崎監督風に言うと「凡人」が、他の超人たちの中で思考錯誤しながら、奮闘していき、最後は認められるというのも良いですね。全然関係ないですが、僕の地元では、真司が仮面ライダータイガを呼ぶ時の「オイ、トージョー!」のモノマネが爆発的に流行ったことも書いておきます。
 話を戻すと、めちゃくちゃ燃えるドラゴンライダーキックの後であり、サバイブになって突っ込んでいくシーンの前にある、静かだけど熱いシーンです。
 映画の脚本は井上敏樹さんが書いてるんですが、最後の最後に男の友情というのが良いですね。

 ちなみに映画館で映画を観終わった時は、放心状態でしてね。
 えっ、ここで終わり?となったもんです。
 ただ、満足感もありましてね。
 早くテレビの続きみたいなあ、と思いながら家に帰りました。

 映画公開後の龍騎は一気に核心に進んで行き、終局を迎えるんですが、リアルタイムで観ていた僕は、第49話のラストで真司が死ぬところで、朝からめちゃくちゃ大声を出したもんです。
 そして、迎えた最終回。
 「蓮、お前はなるべく…生きろ…」、「お前こそ、生きろ!」の映画とは違った二人の最後のやりとりも切なくてね。
 最後の仮面ライダーとなった蓮が歩いていき、そこに真司のモノローグが重なっていくんですよね。

 「でも、さっき思った。やっぱりミラーワールドなんか閉じたい。闘いを止めたいって。きっとすげえ辛い思いしたり、させたりすると思うけど、それでも止めたい。それが正しいかどうかじゃなくて、俺もライダーの一人として、叶えたい願いがそれなんだ」

「お前が最後に信じるものを見つけたように、俺にも信じるものはある。ライダーの一人として」

 こちらは、小林靖子さん脚本なんですが、映画版とはまた違った二人の男の良さがあるんですよね。

 「仮面ライダー龍騎」は9・11を受けて、正義について提示する作品があったということは、公式本の中で白倉プロデューサーが語ったいますが、まさに「正義の多様化」、「2元論では語れない社会の複雑さ」を感じた作品でした。
 一人一人の正義があり、一人一人の終わりがある。
 そして、繰り返され続けるゲーム。
 最後はテレビ版の最終回のラストに行きつくんでしょうけど、色々と想像できて良いんですよね。
 未だに「あれは何だったんだろう」とか、「あの後、どうしたんだろう」と思うシーンがある深みのある作品です。
 平成ライダーで並べた時に、クウガで蘇って、アギトで確立して、龍騎で破壊した感じがします。よく、龍騎を評して、「見た目がライダーじゃない」とか「同じライダー同士で戦うとかおかしい」なんて、観てない人がよく言ってましたが、いや、初代の時から戦ってたよ、同じ改造人間同士と。そして、「仮面ライダー」という固定概念を良い意味で破壊したんですよね。白倉プロデューサーの「最終回先行映画化」という仕掛けも「龍騎」だからこそ、効いた作品なんじゃないかなとも思いますしね。
 平成ライダー1期の攻めて攻めて攻めまくる感じが、大好きです。

 最後にオーディオコメンタリーの中で田崎監督が言っていた印象的な言葉があります。それは、劇場版の「アギト」、「龍騎」、「555」(当時撮影前)を並べて観た時に、芯になるものが何なのか考えて欲しいということなんですね。
 僕が考えたのは、「正義の多様性」と「強大な力に抗っていくこと」の二つを感じたんですが、皆さんはどうでしょう?
 また、機会があったら、特撮は好きなんで書いてみたいと思います。
 
 それにしても、今日は天気が悪いね、五郎ちゃんの顔が見えないよ。